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幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(11)

 其 十一


 今、宗安の話を聞いて、おぞましい思いをしていたその勇造に入って来られて、おこのはますます鬱陶しくなり、顔を()()けて言葉もなかったが、それに引き替え、宗安は急に空笑(そらわら)いを作って、

「ヘヘヘ、これは旦那様、旦那がお出でになろうとはちっとも知らずに、飛んだところをお見せしてしまい、ヘヘヘ、面目次第もございません。いや何も私だって、好んで婦人(おんな)(いた)めつけているわけではございません。余りにも虫の好いことばかりを言われるのでつい、腹立ち紛れに思わぬ毒口もききました。医は仁術でございますので、こうまでも言わなくてもいいのですが、私も随分苦しいので」と、(あらわ)れかかる膝皿(ひざざら)を着物で(しき)りに(おお)いながら、真面目になって言い(つの)れば、煙管(きせる)を咥えて長閑(のどか)()に聞いていた勇造、皆まで言わせず、

「よいわ、宗安、細かいことは言わなくても金さえもらえば用はあるまい。何程(いくら)だ? 何だと、九両余りだと? それ、十両()る。端銭(はした)はくれてやる」と、財布を探って投げ与えると、

「それをあなたに出させては」と、おこのが言う間に、宗安は素早く懐中(ふところ)へとねじ込んで、

「旦那、真実(ほんとう)に済みません。ヘヘ、ごゆるりとなさって下さいませ。そんならおこの(さん)、お前の方はもう済みましたので、薬代は確かに清算いたしました。取れない銭が思わず取れたのも旦那の見事なお捌きがあってのこと。ヘイ、旦那様ありがとうございます。おこの(さん)さようなら」と言いながら外に出る間際、勇造と眼を見合わせ、何やら顎を一トしゃくりして、そのままやっと帰って行った。


 話が途切れて、男も喋らず、女も口を開かず、(へや)の中は一瞬ひっそりとしたが、目前の危機を救った底意は何かは分からないが、とにかく謝礼(れい)を言わなくてはと、

「あの宗安めが医者にも似合わない無慈悲な談判(かけあい)を持ち出しましたが、それも言われてみれば確かに理に(かな)ったことでもあり、答さえも出せないでいた必死の状況でしたが、お救い下さいましたので、私はやっと生きた心地がしております。お礼は言っても尽きませんが、今が今なので、このご恩をとてもお返しすることは出来かねますけれども、必ず一生忘れはいたしません」と、おこのが折り目正しくする挨拶を打ち消して、

「礼を言ってもらいたくてやったことではない。何のこれしき。頭を下げるのは止めにしてくれ。それはそれにして置いたところで、これはこれにして話さなければならない大事なことが起こったので、今日はわざわざやって来た。苦労に苦労を重ねているあんたにかかる又一ト苦労、聞かせる(おれ)さえ辛いけれど、聞いてもらわなくてはならないことだ」と、頼もしげにも心配顔して言い出せば、おこのは又驚いて、何事かと胸を躍らせ、

「それは又、どういうことでしょうか」と、話を進めれば、相手は()かず、

「他でもないが、榮吉殿が分からないことをして置かれたので、何とも今は困ることになってしまった。きっとややこしい事情のあって、こういうことをされたのだろうが、今となっては問うてみることもできず、ただ当惑するばかり。と言うのは、あんたも薄々知っておろうが、私の方へ去年の冬に抵当に入れなさった八反ばかりの僅かな畠が、不思議なことには白幡(しらはた)(むら)()(へい)()殿にも抵当になっていて、幾らか借りてある由。私の方が先口なので、訴訟になっても私が損をするということはないけれど、これは私の手に入るべきものだと言い張る日には、茂平次殿から金を借りたのは、榮吉殿が二重抵当を行ったからだと、詐欺同然ということになり、その汚名を受けなければならない結果になる。それだけではなく、あんたら親子までもが長い間憂き目を見なければならなくなる。これもお(かみ)の法なので、どうしようもない。私もそれではあんまりだと、散々苦労、心配したけれど、法律というものを知らなければ好い考えはとても出ず、困って困って困り抜いたところ、幸いにも法律に明るい人が浦和から来たので、これを好い機会だと無理に頼んで、あんたの考えと私の考えを一緒にして好い相談をしようと連れては来た。しかし、あんたの家へ他人を呼ぶのもあまりなことなので、あの(むら)(はず)れの鯉屋に入って、ちょっと待ってていてもらうことにして、あんたをわざわざ呼びに来たのだ。日も暮れかかるので、榮太郎も追っつけ帰って来るだろうし、取られるものなど何もあるまい。私と一緒に鯉屋に来て、よく相談して好い考えを出そう。榮吉殿の死後の名を善いか悪いかにする境、あんたが愚図愚図している場合ではない。直ぐに一緒に行きましょう」と、手を取るようにして()き立てた。


つづく

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