第35話 彼女は選び③
ジェラールから3600ギラー(キラービィの針30個の代金)と書き上がったばかりの『錬金依頼契約書(薬品)』を受け取ると、ルーシェリカさんは工房を後にしました。
そのまま自室に戻るのかと思いきや、違う方向に進んで行きます。
最初は何処に向かっているのか分かりませんでしたが、遠目に塔が見えることになって、ようやく私は彼女の目的地に気付きました。
西の塔です。
ジェラールに会えて必要書類がもらえたので、ルーシェリカさんはそのままシュダァ様に会いに行くという判断をしたようですね。
部屋に戻ることで、時間を無駄にしたくなかったのかもしれません。
行き先に気付くのが遅かったのは、仕方ないことです。
私は薬剤院から西の塔に向かうルートを通ったことなんて、一度もなかったんですよ。逆ならありますけど、それにしたって一度だけですし。
すぐにピンとこなかったんですね。
今の時間は、まだ昼間です。
そのおかげで、西日による眼への眩しさダメージはありません。
もしかして、ルーシェリカさんがそのままこっちに来たのは、少しでも早い時間に向かうことで西日が目に刺さるのを避けたかったからじゃないのかな――と、ちょっぴり邪推。
今日も先日と同じように、ザガードさんへシュダァ様がご滞在かどうかを確認。
いらっしゃるようなので訪問の許可をしてもらい、ルーシェリカさんは長い長い螺旋階段を登って行きます。
「今からセルマに会いに行くのか?」
先日と同じように書類作業を一時中断して待っていたシュダァ様へ『錬金依頼契約書(薬品)』を献上すると、そんな質問が飛んできました。
その次の瞬間、虚空に光る文字が浮かび上がります。
このままセルマに会いに行く
セルマには後日会いに行く
……選択肢ですか。
シュダァ様にとって、何か意味があるんですかね? この質問って。
そもそも、セルマの居場所はルーシェリカさんにも簡単に想像が付きます。
シュダァ様から下された魔法の特訓中でしょうから、西の塔近辺に居るというのはほぼ間違いないでしょう。
もしかして、シュダァ様がらみの何かの用事で他の場所にいるとか?
しばらくシュダァ様の質問の意図が見当がつかずに考え込みましたが、別にコレといった意味がない可能性もあります。
シュダァ様は単に、どれだけ早期にセルマと討伐クエストへ行きたいのか、その度合いを知りたがっているだけかもしれませんし。
なので、『このままセルマに会いに行く』を突っつきます。
どのみち許可が得られ次第、セルマには会いに行く予定だったのですから。
「はい、導師シュダァ。その予定ですが、何か?」
「そうか」
シュダァ様は立ち上がって執務机から離れると、奥に続く扉へ向かって静かに歩き出しました。この部屋の床に敷かれた絨毯は良いモノを使っているのか、まったくその足音が聞こえません。
シュダァ様は扉の前に辿り着くとドアノブに手を伸ばしながら、こちらへ振り返ります。
「――セルマに会いに行くのなら、近道を通らせてやる。着いておいで」
ええ?
こんな場所(地上数十メートル)に近道なんてモノあるんですか?
最高位の魔導師のための部屋が、出入りするのにも時間が掛かるこんな高い場所にあることを考えると、確かに在ってもおかしくないのですけど。
事故を防ぐためもあるのでしょうが、一段一段の高さが低めで、登って行くうちに延々と続いているようにも感じだすほど長い螺旋階段をまた降っていかなくてはならないことは。
必要があるとはいえ、内心うんざりしていたのでしょうね。
ルーシェリカさんは私のように疑問に思うよりも先に、力強く頷きました。
「御好意、ありがとうございます。導師シュダァ」
ルーシェリカさんは気が変わらないうちにとでも思ったのか、早足でささっとシュダァ様に近寄りました。
シュダァ様はその場で待ってくれていて、ルーシェリカさんがすぐ傍で立ち止まってからドアノブを回し、扉を押し開けます。
扉の先は小部屋になっていて、またすぐに違う木製の扉が正面にあるのが目に入りました。この階、他にも違う用途の部屋があるようです。
そして、私から見て左手に。石造りの階段があるのが見えました。
おそらく、最上階行きの階段でしょう。
螺旋階段とは違って利用者が限られているからだと思いますが、段差はそこまで低くありません。
先導するシュダァ様は、真っ直ぐに階段に向かって進んで行きます。
ルーシェリカさんはその後に続きました。
階段を上がりきった先には、またもや扉が。
今度の扉は観音開きの金属製で、いかにも頑丈そうな錠前が掛かっています。
先を行くシュダァ様は扉の前で立ち止まると、やおら襟元に指を差し込みました。
何をしているのかと思って見ていると、手袋で覆われた長い指先に細い金の鎖が引っかかり、引きずり出されています。
その黒衣に映える金の鎖の先には、青と赤の小粒の宝石が填められている鍵の形をした飾り。
デザインは違いますが、ご主人様も金のペンダントをつけていらっしゃいます。
何か関係があるのかと私は一瞬思いましたが、勘違いでしょう。
アクセサリーにも見えますが状況的にペンダントなどではなく、コレは正真正銘の鍵のようです。
シュダァ様がその長身を屈めて錠前に鍵の先端を触れさせると、錠前が一瞬青白い光を帯び、かちりと音が響いて外れました。
そのまま錠前はゴスリと重い音を立て、外れます。
シュダァ様は見慣れているのか、外れた錠前を気にした様子もなく、上体を元に戻して姿勢を正すとドアノブの片方を掴んで回しました。
ぎぎィっと蝶番が錆びついた重い音を立てて、金属製の扉が開いていきます。
扉が開くと、その奥から冷たく強い風が入り込んできました。
どうやら、外に繋がっているようです。
シュダァ様について進んでいくと、やっぱり外に出ました。
いやはや、絶景かな。
王城で最も高い塔の屋上から見る景色は、実に見事なモノでした。
ルーシェリカさんが螺旋階段を登っているうちに、時間が経過していたらしく、空の色は赤みを帯びたオレンジ色に変化しています。
王城自体が小高い丘の上に存在しているので、城下の方までしっかりと見えますよ。夕暮れの色に染まったミニチュアの箱庭のような街並みが、実に綺麗ですね。
高所故に、体に吹きつけてくる風が強いのが難点といえば難点です。
「――メイド長、手を」
「はい。導師シュダァ」
私と同じように、眼下に見える絶景に感心していた様子のルーシェリカさんは。
シュダァ様の声に、ほぼ反射的に従って右手を差し出しました。
その細い手首がシュダァ様の大きな手でキュッと掴まれ、そのまま屋上の端に誘導されていきます。
アレ?
「飛び下りるから、しっかり口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
唐突過ぎる言葉に。戸惑って見上げたルーシェリカさんの視界に入ったシュダァ様は、実ににこやかに微笑んでいて。
墜落防止用の縁をひょいっと飛びこえると、そのまま更に外側――空中に身を投げ出しました。
ルーシェリカさんの手首を掴んで引っ張ったまま。
本当に驚いている時や恐怖している時、人間は悲鳴などあげられません。出そうにも咽喉が締まってしまい、声が出ないのです。
ジェットコースターなどで悲鳴を上げるのって、実はそれだけの余裕があるということですよ。
数秒にも満たない自由落下。
地上に向かって墜ちていくルーシェリカさんは、大きく眼を見開いて悲鳴もあげることも出来ずに、元凶のシュダァ様だけを見ていました。
そんなシュダァ様はまったく動揺など無く、むしろ何だか楽しそうで。
その手袋に覆われた右手の甲。いつの間にやら発生した複雑な形の模様のような光が布地を透過して、浮かび上がっているように見えます。
地面にぶつかると思った瞬間。
ふわりと柔らかな風に持ち上げられるようにして、頭が下を向いていた体の向きが正常になり、まるで何事もなかったように両足が石畳の地面につきました。
「さて。着いた。俺は塔に戻るとするか」
シュダァ様はそう言って、ルーシェリカさんの手首を掴んでいた手を離しました。
数十メートル上空からの自由落下という恐怖体験に脱力したのでしょう。
唯一の支えを失ったルーシェリカさんは、その場でへなへなと崩れ折れるように座り込みます。
腰を抜かしたんでしょうね。無理もありません。
そんなルーシェリカさんを自然にスルーして上空に浮かび上がっていく――飛行して西の塔の屋上に戻るシュダァ様を茫然と見送りました。
どうやら、シュダァ様は風属性のもよう。
……確かに凄まじく近道です。
あの長い道のりが数秒まで短縮されていますから、シュダァ様は決して嘘をつかれてはいてません。
ですが。
もっと前に具体的な方法を伝えてほしかった。
直前って、心構えする暇すらないじゃないですか。
コレ、心臓の弱い人間相手に実行したとしたらショックでポックリ逝ってますよ!?
「メイド長さん。大丈夫~?」
恐る恐るといった様子の女性の声が掛けられたのは、シュダァ様の姿が見えなくなった直後でした。
ぎくしゃくとルーシェリカさんは座り込んだ状態のまま、声の聞こえた方向に目を向けます。
そこには、バツの悪そうな表情のセルマがいました。
「師匠が驚かせたみたいでごめんね~。悪気は――無いとは言い切れないけど、悪意はないから。むしろ、誰かを近道させてあげる時って、機嫌が良い時くらいなの~」
シュダァ様はセルマのいる場所をしっかり把握されていたようです。
そうでなければ、こんなにすぐ彼女と遭遇しないでしょう。偶然にしては出来過ぎですし。
「……セルマ様」
「うん? なぁに?」
ルーシェリカさんはプルプル小刻みに震えながら、かつてないほどか細い声で訴えました。
「申し訳ありませんが、よろしければ私を立たせていただけないでしょうか? 1人では立ち上がれそうにありません」
「うん、良いよ~。これから何処に行く予定? 平気になるまで支えてってあげる」
セルマは頷くと、手を差し伸べてくれました。
師匠がやったことのせいなので、弟子である自分がフォローして当然だと思っているのかもしれません。
「セルマ様。導師シュダァの御許しがいただけたので、貴方に会いに行く予定でした」
「ええ?! 嘘! 師匠、許したの~!」
大きく眼を見開き、凄い凄いとセルマは連発します。
こと王国内の権力闘争に影響がありそうなことなので、セルマにして見るとシュダァ様がそう簡単に許すとは考えていなかったのでしょうね。きっと。
興奮した様子のセルマでしたが、ルーシェリカさんの状態を忘れていなかったもよう。
ベンチのある近くの広場まで、おぼつかない足取りのルーシェリカさんを支えるようにして連れていくと、ベンチに座らせました。
その隣にセルマも腰掛けます。
「メイド長さん……って、これから一緒に戦うんだから、この呼び方じゃ余所余所しいよね。貴女の名前、ルーシェリカで良かった~?」
「はい。セルマ様のお好きなように読んでください」
「私に『様』はいらないよ~。宮廷魔導師といっても私は今のところ見習い寄りの平だし、同じ平民出身だもん。王城内で他に誰かいるなら別だけど、敬語もいらな~い。一緒に戦うんだよ。気楽で仲良しの方が断然いいし」
ちょっと疑問に思ったんですけど。
第2王女のメイド長って、この王国のヒエラルキーではどの辺の位置なんでしょうか?
あくまでメイド(平民)であって侍女(貴族)ではないので、王宮務めとはいえ、あまり高くは無いとは思いますけど。
「分かりました」
「ほら、言ってる傍から敬語!」
「……分かったわ。セルマ」
ルーシェリカさんは戸惑った声で言い直しました。
セルマはその様子を見てうんうんと2度頷き、実に満足そうな表情を浮かべます。
「そうそう。それじゃ、呼び方決めるから、ピンとくるの出てきたら言ってね。
ルー、ルシェ、ルーシー、ルース、ルシル、ルル、ルルー、ルカ、ルーク、シェラ、シェリカ、シェリー、リカ」
愛称って結構ありますね。
それだけ出されると何か呪文めいて聞こえますよ。
『ルーシェリカ』って、名前自体が長いからそれだけ多いのでしょうけど。
「いえ、どんなふうに呼ぶかはセルマ様――じゃなかった、セルマの好きに決めてくれていいんだけど」
「だって、名前を直接呼ぶと素質がバレちゃうでしょ」
「は? それって、どういう?」
「あれれ? 知らない? これって、一般的じゃないのかな。
『ルーシェリカ』だと6文字だから、ランクAまで属性魔法素養があるってことだよ。私は『セーマディータ』で7文字だから、ランクSまであるってこと。
職業魔導師が本名を名乗らないのって、魔法素養のランクがバレて実力を低く見られないようにするためだもん」
なるほど。
名前は今まで思っていたより重要なんですね。
言われてみれば、ジェラール(5文字)の大地魔法はランクBでMAXになっていました。だとすると、シュダァ様は本名が7文字なので、セルマと同じくランクSまで素養があるということに。
「私みたいな魔導師にしたら、人を本名で呼ばないのは当然の常識なのね。でも、思いつく端から出してみたら、思ったより多過ぎちゃって決められないよ~。まだ思いつかない呼び方もあると思うし。だから、自分で選んでちょーだい」
職業意識から愛称で呼ぶことに拘っている様子のセルマに。
ルーシェリカさんは深い溜め息を吐きそうな疲れた様子で、小さく両肩を落としました。
シュダァ様には予告なくコードレスバンジー体験させられ、いつもよりテンション高いセルマと接して、実際に疲労しているのでしょう。
「そうなの……じゃ、ルーで。昔からの友人や知人はそう呼ぶから」
私の耳には何だかルーシェリカさんの声の調子が投げやりに聞こえましたが、セルマが気にした様子はありませんでした。
ゲーム『金と黒の王国』的な、セルマPTイン条件。
シュダァ、セルマと遭遇している
民衆・貴族支持率を2回以上ずつ上げている
シュダァの出す条件を達成する(状況により変化。基本的に、シュダァと関連のある人間関係の条件が出される)




