9「セレネ」
セレネ。
その名前は、もちろん前から知っていた。
ステラ界隈の流れは、いつもひととおり追っている。誰が伸びていて、どういう配信が人気なのか。ルミナをプロデュースする以上、業界の地図を頭に入れておくのも、私の仕事のうちだから。
その地図の中でも、セレネは、今いちばんホットな場所にいた。
大手事務所所属の新人ステラ。デビューは私たちよりちょっと早いだけなのに、登録者はもう桁が違う。白銀の髪。足元には、跳ねる光の兎、おまけに兎耳。完全な厚ミラ――現実の姿を、ARで根こそぎ作り替えた、月の兎をイメージした意匠をまとう配信者。界隈では、白銀の姫と呼ばれているらしい。
新人で今いちばん勢いがあるのは、間違いなく彼女だった。
「ねえ、そら」
その晩、私の部屋で、ルミナが神妙な顔をしていた。スマホには、セレネのチャンネルが映っている。
「この人、私のこと、配信で言ってたでしょ。それに、今いちばん伸びてる新人ステラなんだよね。だったら、ちゃんと見ておきたいなって」
「……どうして?」
「うん。私にないもの、いっぱい持ってる人だと思うから、参考にしたいんだ」
少し、驚いた。
名指しされて、怖がるでもなく、相手を見て学ぼうとしている。ルミナの中でなにかが着実に変わっている。
そして、悪くない判断だ。
視線を向けられたときは、目を逸らすより、正面から見ておくほうがいい。強さとかじゃない。逃げなかったという事実が、自分を支えてくれるから。
ちょうど今夜、セレネの配信がある。私も、ちょうどしっかり見ておきたいところだった。
というわけで、私たちは並んで、スマホの前に陣取った。
『みんな、こんばんは。セレネよ。今日も、うちに時間くれて、おおきに』
第一声で、分かる。
……うまい。とんでもなく、うまい。観衆に聞かれることを意識している声。自分に注目を集める方法を知っている視線。とても新人の貫禄ではない。
「すごい! キラキラのミラージュだ。それに声まできれい!」
ルミナが、無邪気に拍手している。敵情視察に来たはずなのに、もう普通にファンになっている。
まあ、ルミナらしいっちゃらしいけどね。
でも、私が見ているのは、別のところだった。
「……演出、すごいな」
気づけば、口が動いていた。
「顔の陰影がいちばんきれいに出る角度に、照明が固定してある。背景の兎のエフェクトも、派手なのに、主張しすぎてない。コメントも誘導してて、たぶん全部、計算ずく」
「セレネちゃん、やっぱすごいの?」
「すごい。これだけのこと、毎回やってのけてるなら、本物だよ」
ルミナは「やっぱり!」と無邪気に喜んでいる。
でも、その完璧な劇場をしばらく見ていると、私は、少しだけ引っかかりを持った。
……隙が、ない。いや、なさすぎる。
配信は、本当はもっと隙があっていい。噛んでもいいし、間違えてもいい。ルミナの配信が伸びたのは、その隙――生身の人間が、そこにいる感じが、好かれたからだ。
でも、セレネの配信には、それがひとつもない。まるで、隙を見せたら全部終わる、とでも思っているようだ。
ここまで完璧な幻を作り込むのは、もしかしたら、その下にある素の自分を、あまり信じていないのかもしれない。盛らないと価値がない、と、どこかで思っているのかもしれない。
……なんて、あくまで私の勝手な想像だけど。
でも、もし、そうなのだとしたら。
「……手強いな」
私は、ぽつりと言った。
ライバルとしての手強さと、それから、この子はきっと、簡単には崩れてくれない。自分を貫き通す。そういう類の強さを持っている。
「うん! すっごく手強そう!」
ルミナには、私の言葉の意味はたぶん伝わっていない。それでいい。私が感じた怖さは、今はまだ、私だけが持っていればいい。
セレネの配信を見終えて、数日が過ぎた。
チャンネルの数字は、相変わらず伸び続けていた。歌枠も、ゲーム案件も、ぜんぶがいい方向に転がっている。バズで来た人の何割かは、ちゃんと配信に残ってくれていた。波が引いたあとには、陸地が前より広がっていた。
そんな、ある日の夜。
配信を終えてだらだらしていたとき――私はその隣で編集作業をしていたのだけど――ルミナのチャンネルに、通知が1件、届いた。
プラネタリアの、公式アカウントから。
「んー、何かな? ……えっ」
画面を見たルミナが、固まった。
「そら……これ」
おそるおそる差し出されたスマホを、覗き込む。
通知は、洒落た書き出しで始まっていた。
――『あなたを、誰かの一番星へ。』
その下に、続きがあった。本年度プリマステラの候補に、あなたが選出されました――と。
……来た、か。
正直に言えば、半信半疑だった。ルミナが伸びているのは分かっていた。でも、新人賞の候補に本当に名前が挙がるかどうかは、また別の話だ。ロジックが秘密主義のプラネタリアの評価システムで絶対はない。願ってはいたけれど、期待しすぎないようにもしていた。落ちたときに、落胆する顔は見たくなかったから。
でも、ちゃんと、届いた。
「プリマステラって……あれだよね。年に1回の」
ルミナが信じられないといった表情で呟く。
「……うん。その年、いちばんたくさんの人に見つけてもらえた新人に贈られる賞。投票だけで決まる。その候補に、ルミナが入ったんだよ」
『すごいね、やったね』なんて、私が言うより早く。
ルミナは、ぱっと顔を輝かせた。
「えへへ……すごい、なんか、すごいね! ノミネートだって! なんだか信じられないよ。私、がんばってきてよかった! あ、もちろんそらのおかげだけど……」
「そんなことない。ルミナが頑張ってたことは、知ってるから」
「……なら、2人の努力の成果だね!」
「そういうことにしておこうか」
私が、そう言うと、ルミナがにんまりと笑った。
「でも、そっか。一番星かあ……。なれたら、いいなあ」
私の前で見せる、いつものルミナだ。明るくて、前向きで、単純で。
でも――そのあと、ルミナは、ふっと黙った。
手の中のスマホを、じっと見ている。輝いていた表情から、少しずつ、明るさが引いていく。喜びが過ぎたあとに、何か別の感情が、ゆっくり追いついてくるように。
「……そら」
しばらくして、ルミナが、小さな声で言った。
「私さ、今、すごい、嬉しかったんだよ。ほんとに。でも……やっぱり、ちょっと、怖さもあるんだ」
「怖い?」
「だって、一番星になるために頑張るってことは、もっとたくさんの人に見られるようになるってことだよね」
ルミナの声が、細くなっていく。
「私……目立つの、ずっと怖かったんだ。目立つと、ろくなことがなかったから。最近は、見られるのって、そんなに苦しいことばかりじゃないって、ちょっとずつ分かってきたけど」
ルミナが一呼吸置いてから、言葉をこぼす。
「でも、まだ心のどこかで、それを怖がってる、私もいるから」
金色の髪。生まれつきの容姿。それで、この子がどれだけの目に遭ってきたか。私は、その全部を知っているわけじゃない。でも、知っている範囲だけでも、十分すぎるくらいだった。
ルミナにとって、目立つことは、長いあいだ「傷つくこと」と、同義だった。
私は、何も言わずに、続きを待った。
ルミナは、膝の上で、耐えるようにぎゅっと両手を握って。
それから、自分に言い聞かせるみたいに、ぽつぽつと続けた。
「でもね、配信始めてから、うれしいこともいっぱいあったんだ」
ルミナが、何かを思い出すように目を閉じる。
「見つけてもらえるのって、思ってたよりずっと、あったかかったから」
顔を上げる。
「だから、怖いけど、出来る限りやってみたい。今までの私を、変えたい……、なんて、ちょっと大げさかもしれないけど」
その目を見て、私は、何か気の利いたことを言おうとして――やめた。
だって、ルミナが。あの、ルミナが。少し前までは思いもしなかった、こんな前向きなことを言うなんて。
ルミナの人生からすれば、ほんの短い配信活動。その中で少しずつ、ちょっとずつ自信をつけて。それで、自分を奮い立たせようとしている。
正直、厳しい戦いだ。足りないものを挙げればキリがない。
だけど、通用するものも——きっと、ある。
「……うん」
だから、それだけ言った。
「ふふ、なにそれ。そらにしては、あっさり」
「ルミナが、もう自分で決めてるからね。私が言うこと、ないかなって」
ルミナは、きょとんとして、それから、嬉しそうに笑った。
「……あのね、そら。一番星になれたら、いちばんに、そらにお礼言うね。ありがとうって」
「ルミナ、それはさすがに気が早いよ」
「いいの、決めたから。だから、約束だよ。――私、頑張るから。そらも全力でサポートしてよね」
そのセリフとは裏腹に、顔には不安がありありと浮かんでいる。それでも、決めた、と言うその顔は、いつもより少しだけ、大人びて見えた。
ここから、長い投票期間が始まる。夏から秋へ。冬を越えて、春まで。たった1つの一番星を決める、長い戦い。同じ候補の中には、あの手強い白銀の姫も、きっといる。
その入口に、ルミナは、自分の足で立った。
……まあ、その足が、ちょっと震えてるのは、見なかったことにしてあげよう。
その代わり、震える手なら、いつでも握れる場所に、私はちゃんといるから。




