10「オリ曲」
その夜、ベッドに入っても、なかなか寝つけなかった。
ルミナの言葉が、頭の中で、ずっと響いていたからだ。
怖いまま前に出る、と決めたあの子のために、私にできることはなんだろう。編集も、運用も、案件交渉も、もうやっている。
——あと、私にできる事。
と、考えつつも。
本当は、ひとつだけ思いついていることがあった。いや、思いついていたというより、最初から分かっていた。
なんとなく目を逸らしていただけだ。
――ルミナだけの曲を作る。
カバーじゃなく、ルミナのための、オリジナル曲。歌がこれだけ人気になるなら、それはきっと武器になるはず。
「……それは分かって、いるんだけど、ね」
私はそう小さく呟いて、暗い天井を見上げたまま、目を閉じた。
作曲はできる。前世で、それだけはやってきた。技術はある。曲の組み立て方も、ルミナの声に何が合うかも、見えている。
なのに、いざ「作ろう」と思うと、指が止まる。心のどこかが、嫌がる。
……怖いのは、私のほうか。
あれだけルミナに偉そうに語っておいて。自分は、いちばん見たくないものに、蓋をしている。生まれてから、ずっと。
そのメロディが、頭の中で鳴りはじめたのは、そんなことを考え始めてからだった。
編集作業の合間。お風呂の中で湯船につかっているとき。ルミナの寝顔を見ているとき。ふとした瞬間に、ずっと昔の――しばらく思い出すこともなかった、あのメロディが、勝手に流れてくる。
そして、気づいたら、口ずさんでいる。歌詞のない、ただの旋律を。
ふ、ふーん、ふん――♪
……なんで、今さら。
それは、前世で、最後に作りかけた曲だった。たった一人、ネットで知り合った歌い手のために書いていた、一曲。私が珍しくその声に惚れ込んで、誰かのために作ろうって思えた、初めての曲。サビのメロディを作って、これいいね、と言ってもらえて。でも、そこに歌詞をつける前に、相手が消えて、私も死んだ。
サビの、メロディだけ。そこから先は、一音も進まなかった。歌詞をつけることも、ないまま終わった。
ずっと、頭の奥に沈めていたはずだった。もう二度と、開けることはないと思っていた。
なのに最近、そのメロディが、勝手に浮かんでくる。ルミナの「覚悟」を聞いてから、ずっと。
……まるで、この曲が、ルミナのところに行きたがっているみたいに。
……結局、こうなる。頭から追い出そうとしても、出ていってくれない。
迷った末に、私はひとまず、サビだけ、形にしてみた。
深夜、ヘッドホンをして、前世のメロディを打ち込む。ルミナの声に合うキーを探して、コードを置いて、編曲していく。十何年ぶりなのに、手順は体が覚えていた。怖いくらい、すぐに形になった。
歌詞も、不思議と、すんなり乗った。
ルミナのことを考えながらメロディを聴いていたら、言葉のほうから、勝手に降りてきた。まるで、最初から、そこにあったみたいに。一行、また一行。サビの分だけは、あっという間に、埋まっていった。
――でも。
そこから先が、まったく書けなかった。
Aメロも、Bメロも、二番も。その先のぜんぶ。
キーボードの上で、私の手は、止まった。
頭では分かっている。理屈ならいくらでも組める。どんな音を置けばいいか、どんな言葉を乗せればいいか、教科書みたいに説明だってできる。
なのに、一音も、一文字も、進まない。
もう一度、サビを頭から鳴らす。その終わりから、先へ、指を伸ばす。――そこで、また止まる。何度やっても、同じだった。ここまでは、来られる。でも、その先の、一歩が、どうしても踏み出せない。
……たぶん。
私が、止まっているんだ。
どこかで、ずっと。自分でも、いつからなのか、分からないくらい、昔から。
……結局、私は、ここから動けないのか。
生まれ変わって、十何年経っても。
その夜は、結局、何ひとつ増やせないまま、画面を閉じた。
「ねえ、これ、聴いてほしいんだけど。……ルミナの、曲」
翌朝、私は、ルミナにサビのデモを聴かせた。サビだけしかないこと、フルはまだないことを、ぜんぶ正直に言った上で。
ルミナは、イヤホンを両耳に挿して、目を閉じて、聴いた。
一回。二回。三回。
何も言わないまま、ルミナは、それを繰り返し聴いた。
そして――目を開けたとき、その顔は、泣きそうになっていた。
「これ、なに。すごい。すごく、好き」
「……おおげさ。サビだけだよ?」
「いいの、サビだけで、こんなに……ねえ、これ、そらが作ったの?」
「……まあ、ね」
前世で、とは言えなかった。
「すごいよ! こんなの作れるなんて! ねえ、これ、私が歌っていいの? 私の曲にしていいの?」
ルミナの目が、きらきらしていた。宝物を、見つけた子供みたいに。
……ああ。やっぱり、この曲は、この子のところに行きたかったのかもしれない。
私が、最後まで書けなかった曲。でも、もしかしたら、ルミナの声に乗せてなら――その先を、書けるんだろうか。
そう思った瞬間、胸が、ぎゅっとなった。期待と、怖さで。
「フルは、これから、ちょっとずつ作る。時間、ちょうだい」
「うん! 待つ! いつまででも待つから!」
いつまででも、なんて。私は、一瞬、返す言葉に詰まった。昔も、同じことを、言われた気がする。誰に、とは――今は、思い出さないことにした。
「……うん。ありがと」
それだけ言って、私は、コーヒーを淹れに立った。背中を向けたのは、たぶん、顔を見られたくなかったからだ。
その曲のことが、思いがけない形で広まったのは、その数日後の配信だった。
雑談の流れで、ルミナが、つい口を滑らせたのだ。
『あのね、実はいま、そらが、私のためにオリジナル曲を作ってくれてるんだ!』
……ルミナ。それ、まだ言うつもりなかったやつ。
画面の外で、私は頭を抱えた。サビしかできてないのに。でも、コメント欄は、もう止まらなかった。
《えっ、そらPが作曲!?》
《作曲までできるの? 多才すぎん?》
《オリ曲! 聴きたい!》
《どんな曲? ちょっとでいいから!》
『あ、えっと、まだ全然できてないんだけどね? サビが、ちょっとあるだけで……』
《それでいい!》
《お願い、ちょっとだけ!》
《気になって眠れなくなるやつ》
コメントが、聴きたい、で埋まっていく。ルミナが、ちらっと、画面の外の私を見た。「歌っちゃ、だめ?」という顔で。
……まあ、いいか。
私が小さく頷くと、ルミナは、嬉しそうにマイクに向き直った。
『じゃあ、ちょっとだけ。サビだけ、だからね』
息を吸って、ルミナが、歌い出す。
『降り止まないスターレイン、夜空をこぼれていく――』
私が前世から連れてきた旋律に、今の私がつけた歌詞。
それがルミナの声に乗って、初めて世界に流れた。
コメントが、止まった。聴き入って、手が止まる。たぶん、そんな静けさだ。
『――まだ光ってる、みんな』
サビを歌い終えて。
コメント欄が、わっと沸いた。
《は? 何これ、サビだけでよすぎ》
《一気に引き込まれた》
《フルはいつ!?》
《そらP天才では?》
《ルミナの声とめちゃくちゃ合ってる》
《これ絶対バズる》
『えへへ……でしょ! そらの曲、すごいでしょ!』
自分のことみたいに、ルミナが胸を張る。
……まったく。そんな、得意げになって。
でも、悪い気はしなかった。私が一人で抱えこんでいたものが、今、たくさんの「聴きたい」に囲まれている。
まあ、同時にプレッシャーも感じるけど。だけど、ルミナとなら、その先も書けるかもしれない。前世で、書けなかった続きを。
その夜、私はそのサビを15秒だけ切り出して、ショートにした。配信で歌ったやつの、音源版だ。《新曲、作ってます。タイトルは、まだ秘密》。そう添えて、投稿した。
その15秒が、夜のうちに、回りはじめていた。今までで、いちばんの速度で。
ルミナのチャンネルが爆発している一方で、私生活はいつも通りだった。
配信のことは、学校では言っていない。ルミナとは別のクラスだし、私は私で、教室では目立たないように過ごしている――つもり。
でも、なぜか私は、男女問わず、声をかけられることが多かった。
「夕凪さん、放課後ひま? 一緒に帰らない?」
「ごめん! 用事あるんだ。また今度さそってくれると、嬉しい」
角を立てないように、でも、絶対に押し切られない断り方。誰も傷つけず、しれっと引いてもらう。月に何度かあるこれを、私は事務的に捌いていた。
今まで誘いに乗った事の方が少ないと思うんだけど、なんでそれでも私に声がかかるんだろうか。
その日も、昼休みに告白めいたことを言われ、いつものように穏便に断った――ところを、たまたま、ルミナに見られていた。
その夜の配信。
『はぁ……今日ね、なんか、もやもやすることがあって』
《どうしたルミナ》
《珍しくトーンが低い》
『あのね、そらが、すっごくモテるの。今日も告白されてたの、見ちゃって。べつに、いいんだけどさ。いいんだけど……なんか、もやっとして』
《あー》
《わかる》
《それは、あれですね》
『え? なに? あれって、なに? ねえ、教えてよー!』
ルミナは、自分の感情に、名前がついていないみたいだった。本人だけが、自分のもやもやの正体に、気づいていない。
画面の外で、私は、こっそり笑ってしまった。
孤立していた頃は、そんなもやもやを抱える余裕もなかったのだと考えると、これもまた成長か。
なんて、相変わらず親みたいなことを考えていた。
ただ――その何気ない配信には、ひとつだけ見えていないものがあった。
あとから思えば、それを、面白く思わなかった人間も、きっといたのだ。
いつも夕凪空の隣にいて、配信で「そら、そら」と、まるで自分のものみたいに呼ぶ、あの目立つ女の子。あの子さえいなければ――そんなふうに、誰かが思っていたかもしれないなんて。




