7「歌」
歌枠をやると決めてから、まず二人でセットリストを組んだ。
いつも通り、構成を仕切るのは私の仕事だ。最初の何曲かは、誰もが知っているメジャー曲を並べる。流行りのバラード、配信で歌われ慣れた定番、サビをみんなが口ずさめるやつ。歌枠の入口は、知ってる曲じゃないと。「うまいけど、知らない曲」より「へただけど、知ってる曲」のほうが、足を止めてくれる人は多いだろう。掴みは王道で、というのが鉄則だ。
「ねえ、そら。あのさ」
セトリをだいたい組み終えたころ、ルミナが少し遠慮がちに切り出した。
「1曲だけ、わがまま言ってもいい? 最後に、歌いたい曲があるんだ」
「もちろん、いいよ。なんて曲?」
ルミナが口にした曲名に、私は、一瞬、手を止めた。
知っている。数年前、私がたまたま見つけて、ひそかに気に入っていた曲だ。無名の作り手が作って、ほとんど誰にも聴かれないまま沈んでいった1曲。再生数は3桁で止まったまま、たぶん今も埋もれている。
まさか、この子も知っているとは。
「……なんで、その曲?」
動揺を悟られないように、できるだけ普通に聞いた。
「えへへ、あんまり有名じゃないんだけどね。昔からすっごく好きな曲なの」
ルミナは、少し恥ずかしそうに笑った。
「ひとりの時にね、たまたま見つけて。誰も知らないんだけど、私だけは知ってるって思えるのが、なんか、嬉しくて。ずっと、お守りみたいに聴いてた」
同じ曲を、同じように、こっそり大事にしていた人間が、こんな近くにいたとは。
……まあ、私がこの手の曲に弱いのは、たぶん理由がある。前世で、似たようなものを作って、似たように沈んだ側の人間だったから。でも、もちろんそんなこと今は言えないが。
「だめ、かな。みんなが知らない曲を最後に持ってくるの、配信的には良くないって、そらなら言いそうだけど」
「……いや」
確かに私なら言いそうだ。実際、セオリーで言えば良くない。知らない曲は離脱を生む。
でも。
「いいよ。最後に、それ歌おう」
セオリーより、優先したいものだって、たまにはあるよね。
「3、2、1――」
『こ、こんばんは! 今日はですね……じゃーん! 初の、歌枠です!』
《歌!?》
《歌うんだ!?》
《星見当番、本日も着席しました》
《緊張で声裏返ってるの好き》
『言わないでよー。あー、上手く歌えるか不安かも』
《がんばれ》
《下手でも盛り上げるよ》
序盤から、狙いどおりになった。
1曲目は、今いちばん流行っているバラード。ルミナがサビを伸びやかに歌い上げた瞬間、コメントが動いた。
《えっ、うま》
《歌枠なめてた、ごめん》
《サビ、鳥肌たった》
《下手とか言ってスマン》
『え? ほんと? ふふ、ありがとう! でも本番はこれからだよ。次、いくね!』
2曲目、3曲目。定番どころを、危なげなく歌っていく。ときどき歌詞を間違えては『今のなし! 聞かなかったことにして!』と慌てて、コメントが《かわいい》《人間アピール》と沸く。歌の合間に視聴者と軽く言葉を交わしながら、ルミナはどんどん場を温めていった。
《この子歌うまいのに喋りも天然で面白いの強い》
《なにより可愛い》
《歌枠常設してほしい》
《知り合いに布教してくる》
画面の外で、私は同接の数字を眺めて、つい口元がゆるんでいた。
いつもの倍。いや、もう倍どころじゃない。布教してくる、と書いた誰かが本当に拡散してくれたのか、数字はじりじりと右肩を上がり続けている。歌枠は伸びる、という私の読みは、今のところ完璧に当たっていた。
……うん。今日のセトリ、いい仕事した。心の中で、どや顔腕くみをする。
順調だ。完璧に、計算どおり。満足だ。
そして、最後の1曲。
『……えっと、最後はね。あんまり有名じゃないんだけど、私がすっごく好きな曲を、歌わせてください』
ルミナが、画面の向こうに小さく頭を下げた。
『もし気に入ってもらえたら、嬉しいな』
目を閉じて、息を吸う。
画面の外で、私はモニターの前に座っていた。指は音量メーターに添えてあったけど、結局、最後まで動かさなかった。いや、動かせなかった。
歌い出しの一音で、コメントが、止まった。
さっきまで《うまい》《かわいい》で賑やかだったコメント欄が、しんと静まる。数秒。いや、もっと長く。
……ああ。
空気が、変わった。
メジャー曲のときの盛り上がりとは、種類が違う。あれは「歌が上手い」という感心だった。でも今、コメントが止まっているのは、感心とは別のもの――聴き入って、言葉を打つ手が止まっている。
――きっと、心に響いてる。
歌枠が伸びることは分かっていた。ルミナがうまいことも、最初から知っていた。だから今夜ここまでの盛り上がりは、私の計算のうちだった。
でも、この最後の曲が呼び込んでいるものだけは、計算じゃなかった。
部屋に満ちるルミナの声を聴きながら、私は柄にもなく、少しだけ泣きそうになっていた。プロデューサーとしてじゃない。この曲を、何年も、たったひとりで好きだった、ただのファンとして。
ずっと、誰かに聴いてほしかった。こんなにいい曲なのに、どうして誰も気づかないんだろうと、何度も思った。
その曲が今、何百人の前で、ちゃんと生きている。
聴いてくれ、と思った。これなんだ。私がずっと、いいって思い続けてた曲は、これなんだ。
私が好きな曲に、私の好きなルミナの歌声が乗っている。ずっと聞き続けていたい、そんな思いだった。
歌が、終わった。
ルミナが、ふう、と息を吐いた瞬間――堰を切ったように、コメントが流れ出した。
《えっ》
《えっ、うま》
《何この曲、知らないのにめっちゃ刺さる》
《鳥肌たった》
《この子、どこから出てきたの》
《なんで泣いてるんだろ私》
止まらない。気づいたら、さっきまでも過去最高だった同接の数字が、そこからさらに、見たことのない速度で跳ねていた。200を超え、300に届く。まだ伸びる。
「……は?」
思わず、声が漏れた。
いや、伸びるとは思っていた。今日が過去最高になることも、織り込んでいた。でも、今、目の前で起きているのは、それを通り越して、明らかに別の現象だった。
じわじわ積み上げる伸びじゃない。一気に、外から人が雪崩れ込んでくる伸び方。
いわゆるバズ、かも。
『え、ちょっ、コメント早い! 多い! 待って、なんで!?』
ルミナも、自分の身に何が起きているか分かっていない。半泣きで画面を見て、ぱくぱくしている。それすらコメント欄が《かわいい》《情緒めちゃくちゃになった》と拾って、また増える。
『わー。み、みんな、ありがとう……! あの、さっきの曲、ほんとにいい曲だから、よかったら、覚えて帰ってね……!』
最後まで、自分のことより曲のことを言う。
私は、画面の外で、口元を押さえていた。
覚えて帰ってね、なんて。あなたが言わなくても、もう、みんな覚えて帰るよ。
配信が終わったあとも、数字は伸び続けた。
切り抜きが、勝手に拡散していった。「無名の新人ステラ、歌うますぎ」「最後の曲で泣いた」――誰かが上げた30秒のショートが、夜のうちに万単位で回りはじめる。今までのじわじわした伸びとは、明らかに違う動き方だった。
そして、翌日には、こんな投稿もされた。
《あの子が最後に歌ってた曲、元の曲も聴いてみたんだけど、これもめちゃくちゃいい》
《元の曲、再生数バグってて笑った。みんな掘りに行ってる》
《いい曲が、やっと見つけてもらえた感じがして、なんか泣ける》
《ルミナの歌から、本当にこの曲が好きなんだろうなっていうのが伝わってくるのがエモい》
何年も止まっていた再生数が、ルミナの声をきっかけに、動き出していた。作った人は、もうどこかへ行ってしまったかもしれない。それでも、その曲は今、ようやく、たくさんの誰かに届いている。
届かなかったものに、宛先ができた。
それはとても喜ばしくて、……同時に少しだけ羨ましかった。
それから何日か経っても、伸びは止まらなかった。
うれしい。素直に、うれしい。
でも、登録者数のグラフを見ていると、それと同じくらい、落ち着かない気持ちもあった。
今まで、私はこのチャンネルの数字を、ぜんぶ把握できていた。常連の名前も、新しく来た人がどの配信から入ったかも、だいたい見えていた。一人ずつ、顔のある数字だった。
でも今、画面を流れていく数字には、もう顔がない。波みたいに来て、たぶん、波みたいに引く。この何千人のうち、明日も来てくれるのは、何人だろうか。
たぶんそれが、これからの本当の勝負だった。入口を広げる力と、入った人を引き止める力は、別のものだ。
……まあ、それも本当は心配していないんだけど。ルミナなら、きっと。
そう思って、パソコンを閉じようとした、そのとき。
メールの通知が、ひとつ届いた。
差出人は、ゲーム会社だった。誰もが知る最大手、というほどじゃない。けど、ゲーム好きなら名前は聞いたことがある、堅実な作品を出している中堅どころ。
件名は――『新作タイトル 配信案件のご相談』。
本文を開く。歌枠が話題になっているのを見て連絡した、という挨拶のあとに、こう続いていた。
――かねてより、おたくの「幼馴染さん」とのゲーム配信を拝見しておりまして。
……ああ、そっちか。
歌でバズったあとに来た話なのに、向こうが見ていたのは、歌じゃなかった。前から目をつけていたところに、今回の騒ぎが後押しになった、という感じだろう。
私は思わず、声に出して呟いていた。
「……案件、来ちゃったよ」
しかも、よりにもよって。
「……なんで、そっちなの」
隣で寝息を立てているルミナには、まだ内緒だ。




