6「幼馴染さん」
六等星になった通知がきてから、二週間。
ルミナのチャンネルは、順調に成長していた。
同接は、いい日で50。常連の数も増えて、コメント欄は開始と同時に挨拶で埋まる。星見当番さんは相変わらず皆勤で、ルミナの拾いやすいようなコメントを毎回打ってくれる。
伸びた理由は、たぶん2つ。
ひとつは、六等星になったこと。等級がついたことで、ルミナは「見る候補」に入れてもらえるようになった。プラネタリアのおすすめにも前より載るし、等級でステラを探す層の目にも触れる。入口が、増えた。
もうひとつは――そこから入ってきた人を、ちゃんと掴んだコンテンツがあったこと。つまり、ゲーム配信。
あの「幼馴染さんに10連敗」から始まったリベンジマッチは、いつの間にか定例コーナーになっていた。だいたい週に1回、ルミナが流行りのゲームで私に挑み、そして負ける。通算成績は現在、ルミナの0勝43敗。
……いや、本当に1回くらい勝たせてあげたほうがいいのかもしれない。毎回コメント欄が《幼馴染さん鬼》《介護はよ》で埋まる。
言い訳すると、ゲームは前世からの数少ない趣味だった。前世の仕事は、曲を作ったりする関係で、煮詰まると何時間でも机から動けなくなる。そんなとき、頭を空っぽにして指だけ動かせる対戦ゲームだけが、唯一の息抜きだった。締め切り前ほど腕が上がる、なんて笑えない特技も身についた。要するに、人生のかなりの時間をこれに溶かしてきた人間なのだ。生身の女子高生になった今も、その指の感覚は消えていない。
16歳の体に、何年ぶんかの実戦の感覚が乗っている。素人のルミナが敵うはずもなかった。
……私がルミナには負けたくないって思っているわけじゃないよ?
ともあれ、この負け続けるコーナーが、なぜか伸びる。
『今日こそ勝つから! 見ててよ、私の成長を! こそこそ練習したんだからぁー!』
30秒後。
『……あ、負けた』
《知ってた》
《こそ練の成果 is どこ》
《幼馴染さん今日も平常運転》
ルミナが本気で悔しがり、私が無言で淡々と倒し、コメント欄が笑う。その様式美が、すっかり定着していた。切り抜きも回り続けている。「幼馴染さん」は、もはやこのチャンネルの裏の主役だ。
……幼馴染さん、か。
しかし、まさかここまで受けるとは思わなかった。顔も出さない存在に、こんなに需要がつくとは。
……本格的に、出たほうがいいんだろうか。
いや、と一瞬考えて、すぐ打ち消す。出るって、何を。私が前に出たって、誰が得するわけでもない。ルミナの可愛さがあって、その隣にちらっといるから面白がられてるだけで、私単体に価値があるわけじゃない。出しゃばって、ルミナの見せ場を削る理由がない。
主役はルミナ。私は裏方。それでうまく回ってるんだから、わざわざ動かすことはない。
……まあ、せめて呼び名くらいは、そろそろ考えてもいいかもしれないけど。「幼馴染さん」って、いつまでもなあ。ルミナもよく噛むし。たまに「そら」って言っちゃってるし。
この前は、ゲーム配信のアーカイブに、見慣れないコメントがついていた。
《幼馴染さん、どこかのゲーム配信者の人だったりします?》
《わかる。あの立ち回り、エンジョイ勢のそれじゃない》
《幼馴染さん何者なんだ》
何者でもない。ただの裏方だ。でも、こういうコメントが付くということは、ゲーム配信そのものが、ちゃんと「観るに値するもの」として認知されはじめている証拠だった。
ルミナのトークと、私の――まあ、言ってしまえばそこそこの腕前。この2つが噛み合って、ゲーム配信はこのチャンネルの看板コンテンツになりつつある。数字がそう言っている。
まあ、なんにせよ悪い話じゃない。チャンネルが育つのはいいことだ。呼び名のことは、また気が向いたら考えればいい。
その日は、配信のない土曜だった。
新しいゲーム配信用に、ソフトを買いたい。ルミナを誘って、隣町の大きい電気屋さんまで足を伸ばすことにした。
「ねー、そら。今日買うゲーム、二人協力プレイもあるんだよね?」
駅前の人混みを歩きながら、ルミナが嬉しそうに言う。今日は配信じゃないので、当然ミラージュもなにもない、ただの生身のルミナだ。金色の髪が、初夏の日差しを跳ね返している。すれ違う人が、何人もルミナを振り返る。そして、その隣にいる私のことも、ついでみたいに見ていく。
……この感じが、いまだに私は慣れない。
男だった頃には、なかったことだ。前世の私は、街を歩いて振り返られるような人間じゃなかった。誰の目にも留まらない側で、それが当たり前だった。それが今は、ただ歩いているだけで、知らない誰かの視線がついてくる。
中身は、前世のまま。男として30年近く生きた記憶を抱えたまま、今は女子高生の体に入っている。生まれ直して16年、自分が女であることには、もうとっくに慣れた。鏡の中の顔も、普通に私の顔だと思える。そこに抵抗はない。
ないんだけど――こういう瞬間に、ときどき思う。
今この、視線を持て余している感じは、女の体になったから生まれたものなのか。それとも、中身が前世のままだから感じているものなのか。
感情っていうのは、体に依存するんだろうか。それとも、心に。
……16年経っても、その答えは、まだ出せていない。
「あるよ。今度はルミナと同じチームで戦うやつ。これなら一緒にできるね」
「やった! 私、足引っ張らないようにする!」
「引っ張っていいよ。私がなんとかするから」
「……そらは、ほんとにそういうとこ」
ルミナが何か言いかけて、もごもごと飲み込んだ。なんだ。
――と、そのときだった。
「ねえねえ、君たち、めっちゃ可愛いね。2人ともモデルさん?」
横から、知らない男が二人、私たちの進路を塞ぐように立った。
ああ、これか。
男にこういう声のかけられ方をするたび、いまだに反応が遅れる。でも、この顔になってから何回か同じようなことはあった。慣れた、とまでは言わないけれど、対処はできる。
問題は隣だ。
ルミナの顔が、さっと強張る。この子は、こういうのに弱い。容姿のせいで散々な目に遭ってきたから、知らない人間に容姿を褒められること自体が、もう恐怖とワンセットになっている。
「あの、私……」
「いいじゃん少しくらい。お茶しよ、ね?」
ルミナが、半歩、私のほうに寄った。
「すみません、急いでるので」
私はルミナの手を取って、男たちの脇をすり抜けるように歩き出した。ただ流れを切って、その場から連れ出す。相手が次の言葉を組み立てる前に、もう背中を向けている。営業からの意味のない電話を切るのと、やることは同じだ。間を、与えない。
角を2つ曲がってから、ようやく手を離した。
「……大丈夫だった?」
「うん……ありがと」
ルミナは頷いたけれど、その声は小さかった。さっきまで強張っていた指が、まだ少し震えている。
「私、ああいうの、ほんとにダメで。声かけられると、頭が真っ白になっちゃって、何も言えなくなっちゃう……」
「怖いけど、最初の5秒で流れを作っちゃえば、向こうも引くから」
「そっか……やっぱりそらは、すごいね。ありがと」
ルミナがそう言って、私の腕にぎゅっと体を押し付けてくる。まだ少し震えているけれど、その空気を変えようとしているのも分かった。
「……暑いよ、ルミナ」
「えー、幼馴染が怖がってるんだよ、ちょっとくらいいいじゃん! いじわる」
昔なら、こういうことがあると半日くらい引きずっていた。
嫌なことがあると落ち込んで、帰り道はずっと俯いている。そのまま解散になることも珍しくなかった。
でも今は違う。
怖かったのは、本当だろう。それでも、自分から空気を変えようとしている。
「……ゲーム買ったら、クレープ食べて帰ろ。新作のいちごのやつ」
「え! 行くに決まってるじゃん!」
ルミナの返事の早さに、私は苦笑しつつ、手を引いて目的地を目指した。
電気屋さんからの帰り道。
夕方の空が、薄いオレンジに変わりはじめていた。クレープを片手に、ルミナが鼻歌を歌っている。今日もいい声だ。歩くたびに、金色の髪がさらさらと風に揺れる。
ほんの数小節。歌とも言えないくらいの小さな鼻歌なのに、前を歩いていた小学生が振り返った。
当の本人は、そんなことに気づきもしないけれど。
「ねえそら」
「なに?」
「私さ、最近、思うんだ。配信、もっといろんなことやってみたいなって」
夕日に向かって歩きながら、ルミナが言った。
「雑談も、ゲームも、楽しいよ。楽しいんだけど……なんか、もっと、私にできることってないかなって」
それを聞いた瞬間、来た、と思った。
私は、ずっとこの言葉を待っていた。本人の口から出るのを。こっちから差し出すんじゃなくて、ルミナが自分で、その扉に手をかけるのを。
思い浮かぶのは先ほどの鼻歌。何百回と聞いた、人を惹きよせる歌声。
こちらから切り出そうかと思って、だけど少し躊躇っていた話。
今なら、言える。
「なら……ルミナ。歌、やってみない?」
ルミナが、きょとんとした顔で、こっちを見た。
「……歌?」
「歌枠。歌ってみた配信。ルミナ、歌うまいし」
「えー……私の歌なんて、誰か聴きたい人いるのかな」
「んー、私が聴きたい、かな」
言ってから、自分でも思った。またこの手か、と。手癖になっている。だけど、まぎれもない本音だった。
案の定、ルミナは耳まで赤くなって――けれど、今日は「やめてよ」とは言わなかった。
クレープの包み紙を、両手でくしゃくしゃと握って、それから、ちょっとだけ唇を尖らせて言った。
「……そら、ずるい。そうやって言えば、私が断れないって知ってるんだ」
「何のことか分からないな。それに……、聴きたいのは、たぶん私だけじゃないよ」
夕日が、ルミナの横顔をオレンジに縁取っていた。
この子は、まだ知らない。自分の声が、どんな力を持っているのかを。
「……うん。じゃあ、やってみる。そらが聴きたいなら、歌う。でも……失敗しても怒らないでよ?」
ルミナが、はにかんで頷いた。
決まった。次の配信は、歌枠。
選曲はもう決めてある。ルミナの声質に合わせてピックアップした、私のプレイリスト。
あとは、世界がこの声に気づくかどうか。
……まあ、たぶん、気づく。
私はそういうのを見抜くのには、少しだけ自信があるから。




