5「六等星」
配信の雰囲気が、変わった。
いや、配信そのものというより、ルミナが変わってきた。
最初の頃は、コメントのひとつひとつに恐縮するような感じだった。それも初々しくてよかったんだけど。
それが、最近は良い感じに力が抜けて、自然体になってきた。
配信15回目の今夜、星見当番さんが《今日のルミナ、声が弾んでますね》とコメントをしたのを見て、ルミナが嬉しそうに返す。
『えへへ、わかります? 今日ね、学校で、好きなパン買えたんですよ。売り切れがちな……グラタンパン! だからテンション高くて――あ、それでね、そのパンの話なんですけど、聞いてくれる?』
聞いてくれる、と来た。
最初の頃のルミナなら「聞いていただけますか……?」だったところだ。しかも恐る恐る。
《タメ口ルミナきた》
《パン好きすぎでは》
《最近タメ口まじってきたよね》
《いいぞもっとやれ》
『あ』
コメントを見て、ルミナがびくっとした。
『す、すみません! つい! えっと、聞いてくれますか、その、パンの話を……』
《戻った》
《パンだけでどんだけ残弾あるんだよw》
《急にかしこまるなw》
《素のほうがいいのに》
画面の外で、私はちょっと笑ってしまった。出かかった素を、慌てて自分の中にしまい直している。まだ、自分を出していいのか、確信が持てないのだ。
でも、コメント欄は《素のほうがいい》で埋まっている。ルミナも、それをちゃんと読んでいる。
数秒の沈黙のあと。
『……じゃあ、もう、いいかな? 私、もっとみんなといっぱい話したいし』
ぽつりと、そう言った。
『うん。あのね、聞いて。パンの話、すっごい、どうでもいい話なんだけど』
殻を、自分から脱いだ。
《きた》
《素ルミナ》
《どうでもいい話、大歓迎!》
『でしょ! どうでもいい話がいちばん楽しいんだよ! ――えっとね、そのパンっていうのが』
そこからのルミナは、止まらなかった。パンの話から、なぜか小学校の給食の話になり、揚げパンが何味だったかでコメント欄と論争になり――きなこ派と砂糖派が拮抗していた――、最終的に『今度、揚げパン作る配信しようかな!』というところまで転がっていった(揚げパンって作るものなのか?)。
敬語が抜けた配信は、笑っちゃうくらい、生き生きとしていて。
それをみて私は涙を堪えられなかった。
……もちろん、冗談だ。
それから何回かの配信で、ルミナの口調は、行ったり来たりを繰り返した。
調子が出てくると素が出て、タメ口で楽しそうに喋る。でも、ふとした拍子に『あっ、すみません』と殻に戻る。その繰り返し。コメント欄はもう、その揺れ自体を楽しみはじめていた。
《また敬語に戻ったw》
《素ルミナ来い》
《進化型配信者》。
その空気が良かったのもあってか、配信は少しずつ伸びていった。
数字を見る限り、入口になっているのは前のゲーム配信だ。「幼馴染さんに10連敗」の切り抜きショートが、ここ最近でじわじわ回り続けている。そこからルミナの雑談配信に流れてくる人が多いようだ。配信とショートの相乗効果が、うまくはまった形。
同接は、少し前まで10そこそこだったのが、気づけば30前後で安定するようになっていた。調子のいい日には40に届く。ルミナの大好きな「クラス何個分」かで言えば、もう毎晩、教室1つぶんの人が会いに来ている計算になる。
常連の名前も増えていく。それを見るたび、ルミナは嬉しそうに目尻を下げた。
画面の外で進行表を握りながら、私は気づいていた。もう、進行表はほとんど機能していない。【脱線:歓迎】どころか、配信の8割が脱線で、私が用意したカードは埃をかぶって端で眠っている。
でも、それでいい。
ルミナが自分の足で配信を転がせるようになったということは、私の出番が減ったということで、それは裏方として、たぶん、いちばん誇っていい成果だった。
配信終了後。
「ねえそら、私さっき、またタメ口になってたよね……? 大丈夫だったかな。馴れ馴れしいって思われなかったかな」
さっきまで生き生きと話していたのに、すぐこれだ。でも仕方ない。これもルミナだから。私にできるのは、何回でも、何十回でも、ルミナが納得するまで自信をつけてあげること。
「ほら、アーカイブのコメント、見てみなよ」
スマホを渡すと、ルミナが画面をスクロールして――だんだん、口角が上がっていった。
《今日の配信いちばん好き》
《ルミナちゃんが楽しそうでこっちまで楽しい》
《これからもタメ口でいこ》
「……みんな、いいって言ってくれてる」
「うん。そうだね」
「元気な私でも、いいんだ……」
ルミナが、ちょっとびっくりしたみたいに呟いた。
この子はずっと、自分を出せなかったのだ。出したら、もっと無視される。
もちろん私も何とかしようとした。けど、直接的ないじめは無くせても、人の心までは変えられなかった。
でも、ここでは逆だった。飾らないほうが、好かれる。
別に、取り繕っている人が駄目なわけじゃない。
ただ、ルミナはそのままのほうが、ずっと――魅力的なんだ。
たぶん、ルミナにとって生まれて初めての経験だ。「そのままの君でいい」を、私の口からじゃなくて、見ず知らずの何人もの人から言ってもらう、っていうのは。
「ルミナ」
「ん?」
「よかったね」
それからルミナの頭に手を伸ばして撫でる。指の間を、柔らかい金髪がさらりと流れていった。
ルミナは、少し考えて、「……うん」と、小さく頷いた。
その夜、いつものようにルミナが帰――らなくて、今夜は金曜なので、ルミナはうちに泊まる。歯磨きをして、私のパジャマを着て(いつも通り私のを着ている)、ベッドの内側にもぐり込んだルミナは、もう半分寝かけている。
私は一人、いつもの夜の作業をしていた。アーカイブの見直し、明日のショートの仕込み、それから――今後の計画。
一段落して、ルミナのチャンネルを開く。毎日増えていく数字が、ここ最近の楽しみだから。いつも寝る前にこっそり見ている。
画面を開いて、私は手を止めた。
目をつむり、15秒数えてから、もう1回、見た。
間違いじゃない。
「……ルミナ」
口を開けて寝ているルミナを揺する。
「ふぁ……なに……?」
「起きて。これ、見て」
「えー……もう眠い……明日でいいじゃん……」
「いいから、ほら」
眠い目をこすりながら起き上がったルミナに、私はスマホの画面を向けた。
プラネタリア運営からの、自動通知。
【おめでとうございます。あなたは「六等星」に昇格しました】
ルミナが、画面を見て、固まった。
「……ろくとうせい?」
「等級。プラネタリアの公式ランク。登録者数とか、同接とか、視聴の質とか、いろんな数字を合わせたスコアで、自動で決まるの。今までルミナは無等級――誰からも見えない星。それが今夜、初めて、ちゃんとした星になったんだよ」
プラネタリアでステラを名乗るだけなら、誰でもできる。スマホで簡易ミラージュを入れて配信すればいい。でも、等級が付くのはそれよりずっと難しい。細かい条件は公表されていないけれど、少なくとも、個人でちょっと配信したくらいではまるで届かない。
等級が付いて、ようやく「見る候補」に入れてもらえる。そういう人も多い。
「星に……なった?」
「うん。いちばん下の等級。夜空で、肉眼でぎりぎり見える、いちばん淡い星だけど」
ルミナは、しばらく画面を見つめていた。それから、ゆっくりと、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
「私……星に、なれたの?」
「なった。誰かの夜に、ちゃんと届いたんだよ」
ルミナは、通知と私の顔を、何度も見比べた。
それから――ルミナの目から、ぼろっと涙がこぼれた。
「えっ、ちょ、なんで泣くの」
「わかんない……っ、わかんないけど……っ」
ルミナは、パジャマの袖でぐしぐし目をこすりながら、泣きじゃくった。
「だって……っ、私、ずっと、教室で、誰の数にも入ってなかったから……っ。なのに……いちばん下でも、ちゃんと、数えてもらえたって、ことでしょ……っ?」
――ああ。
私は、何も言えなかった。
六等星なんて、星のうちにも入らない最底辺だという人も多い。私自身、ここはまだ通過点だと思っていた。
でも、この子にとっては違う。
ゼロから、初めての、イチ。
明るさなんて、関係ない。一等星だろうが六等星だろうが、認めてもらえたというこの事実は、きっとこの子にとって、かけがえのないものだ。
「うん」
私は、泣いているルミナの頭に、そっと手を置いた。
「数えてもらえたよ。ちゃんと。ルミナは」
「……っ、うん……っ」
「……おめでとう、ルミナ」
ルミナは、ぐしゃぐしゃの顔で、それでも笑った。
「星見当番さんや、視聴者のみんなに、ありがとう言わなきゃね。それに……ありがと、そら。ぜんぶ、そらのおかげだよ」
そんなことないよ、私の力なんて微々たるものだよ――とは言わなかった。
その代わり、私はもう一回、やわらかく頭を撫でた。
ルミナが泣き疲れて寝たあと。
私は暗い部屋で、もう一度だけ、その通知を眺めていた。
六等星。
複合スコアによる自動昇格。条件を満たせば、誰の星でも点く。積み上げれば、五等星、四等星、と上がっていく。数字を稼げば、いつか――遠い、遠い先には、今は眩い一等星にだって、届くかもしれない。
でも、今ふと頭をよぎったのは、あの称号。
――一番星。
等級がどれだけ上がっても、関係ない。登録者が何人いても、関係ない。ただ、誰かが「この子だ」と一票を投じたときにだけ、点く星。
年に一度、たった一人だけ。まだ暗くなりきらない夜空で、誰より早く見つけられた星だけが、その名を得る。
だからこそ、新人たちはみんな、それに手を伸ばす。
……まあ、今はまだ、それを考える時じゃないか。
今夜は、六等星。いちばん下の、いちばん淡い、でも、確かに点いた、最初の一個。それで、十分すぎるくらいだ。
焦っても仕方がない。下から、積み上げていくだけ。
私は寝息を立てているルミナを起こさないように、そっと布団を直して、スマホの画面を消した。
明日になったら、この子は朝いちばんに「昨日の、夢じゃないよね?」って聞いてくるんだろうな。
夢じゃないよ。ちゃんと、点いてる。
それにルミナの星は、きっとこれから、もっと明るくなるよ。
――その光が、もっとたくさんの夜を照らせるように。
今夜、世界でいちばん近くで、その星が点く瞬間を見られたことを、私はきっと、ずっと覚えているから。




