4「もちもちパン」
金曜の夜。ルミナはうちに泊まる。
本当は隣に住んでいるんだから、わざわざ泊まる必要はない。ないのだけれど、前からたまに、遊んだあとにそのまま泊まっていくことはあった。
最近は特に多い。配信のあとに反省会をして、編集しながら会話して、気づいたら遅くなっている。そこで私が「もう泊まってけば」と言うと、ルミナは「うん」と答えて、満面の笑みでお泊まりグッズを取り出す。
……いや、最初からそのつもりだったな?
そんな流れが、いつの間にか恒例になった。ルミナの親も、相手が私なら、と何も言わない。昔からそうだ。生まれたときから隣同士で、片方の家にもう片方の歯ブラシが置いてある。私たちは、そういう関係をずっと続けている。
「そらー、今日の配信、最高同接いくつだった?」
風呂上がりのルミナが、私のパジャマを着て髪を拭きながら戻ってきた。泊まるつもりなら自分のをもってくればいいのに、なぜか私のを着たがる。
「11。雑談回にしては悪くないね」
「11人! クラスの3分の1!」
「相変わらず単位がクラスなんだ」
今夜は通常運転の雑談配信だった。いつもの通り話題カードは半分も使わず、ルミナがコンビニで買ったパンの話を15分引っ張った。
『でねー、すごくもちもちしてたんです』
《何が?》
『パンです』
《どんなパン?》
『もちもちの』
《味は?》
『味は、なんか……もちもち寄り!』
《味がもちもちとは》
《情報が全部食感》
《もちもちパンであることしか分からない》
常連の星見当番さんが《現在判明している情報は、コンビニで買った・パン・もちもち、以上です》と冷静に整理し、コメント欄が《捜査難航》《もちもち裁判》《商品名を出せ》と盛り上がって終わった。
進行表の達成率は今夜も低空飛行。でも、いい配信だったから問題は無し。
同接の数字は、日によってわりとブレる。それでも最近は大体10から20人前後を維持している。順調な滑り出しと言える。
あとは登録者数。これが、ここ2週間で、はっきり右肩上がりになっている。配信のたびに、来た人の何人かが残っていく。雑談回の手応えが、ちゃんと数字に見え始めた。
たぶんショートのおかげもあると思う。初回の夜に投げた15秒の動画から始まって、こつこつ上げ続けているうちに、何本かがそれなりに伸びていた。再生回数の桁が、同接とは別の速度で動いていく。
……まあ、ルミナには言わない。もう見てるかもしれないけど、私の口から言うとまた意識させてしまう。緊張してしまったら、あの子は途端にぎこちなくなるから。今はまだ、目の前の11人を大事にしていればいい。
ドライヤーの音が止むと、ルミナがベッドに転がって、私のスマホを覗き込んでくる。
「ねえねえ、今からアルちゃんの配信あるよね? 見よ?」
「あー、今日21時からだっけ」
「そう! 待ってた!」
アルちゃん――というのは、ルミナが昔から推している人気ステラの愛称だ。プラネタリアでもトップクラスの古株で、登録者は文字通り桁が違う。私もチャンネルは把握しているけど、ルミナの熱の入れ様は別格だった。
それもそのはずで。
ルミナが今より子どもで、今よりずっと人の目を気にしていた頃。教室ではなるべく目立たないようにして、家に帰っても上手く笑えない。そんな夜に勇気づけてくれたのがアルちゃんの配信だった、と本人から聞いている。
画面の中の誰かが楽しそうにしているのを見て、自分も一緒に笑っていいんだと思える。
それが、当時のルミナにとっての小さな小さな窓だったらしい。
きっと今もそうなんだろう。
「あ、はじまった!」
ルミナがスマホを二人の間に立てかける。配信開始と同時に、コメント欄が滝みたいに流れはじめた。同接、開始0分で4,000超え。桁が違う。
『みんなー、こんばんはー! 今日もアルの時間だよー!』
「きゃー! アルちゃーん!」
ルミナが画面に向かって手を振っている。
私はといえば、ルミナのプロデューサーらしく分析をしていた。
「……照明、今日変えたね。いつもよりちょっと落として、肌の血色がよく見えるようにしてるんだ。背景のミラージュも更新されてるなあ。あ、星のエフェクト、派手だけどちゃんと顔に目がいくように散らしてある。トークの回し方も……コメント拾う間隔がきれいで、ちゃんと会話してくれてるって思わせる。……はー、ほんとすごい」
「……そら」
「ん?」
「アルちゃんの配信、いつもめちゃ早口で実況してるよね」
はっとした。ルミナが、半分呆れた顔でこっちを見ている。
「……ごめん。つい」
「ふふ、いいよ。でも、そらの解説聞いてると、アルちゃんがもっとすごい人に見えてくる。私が『楽しー!』しか言えてないこと、ぜんぶ言葉にしてくれるから」
それは、たぶん買いかぶりだ。私がやっているのは、ただの要素の分解。仕組みを見て、名前を当てはめてるだけ。ルミナの「楽しー!」のほうが、きっとよっぽど配信の本質に近いんだろう。
でも、それを言うと言い訳っぽくなるので、私は黙ってアルちゃんの配信を――今度はちゃんと、1人の視聴者として――見ることにした。
不思議なもので、そうやって意識を切り替えると、急に配信が「楽しい」に変わる。
アルちゃんは、視聴者が投げた無茶振りのお題で即興の早口言葉を作る遊びをしていて、案の定盛大に噛んで、自分でいちばん笑っていた。数千、いやいつの間にか数万人ぶんのコメントが《噛んでるw》《尊い》で埋まる。さっきまで計算づくで動いているように見えていたのに、今はただ、たくさんの人に名前を呼んでもらえて嬉しそうな一人のステラに見えた。
「ね、アルちゃん、噛むとこ可愛いよね」
「うん。可愛い」
素直に同意したら、ルミナが「お、そらが素直だ」と嬉しそうにした。失礼な。私だって普通の感想くらい言う。……普段あんまり言わないのは、認めるけど。
仕組みを見る視点は、たぶん一生消えない。前世から染みついた職業病だから仕方ない。でも、仕組みがわかった上で、それでも「楽しい」と思える瞬間があるなら、それはきっと、その配信が本物だってことなんだろう。それなら、アルちゃんのこれは本物だ。こんなに大勢の人を、こんなに無防備に笑わせられるのは、考えるだけじゃ届かない場所にある。
私と一緒に画面を見上げながら、ルミナが小さく呟いた。
「いつか、アルちゃんとお話ししたいなあ」
「ルミナならできるよ。ぜったい」
「えー、即答すぎて嘘っぽーい」
「だって本気で思ってるから」
ルミナは「またそういうこと言う」と笑って、それ以上は言わなかった。でも、画面を見つめる横顔が、ちょっとだけ緩んで見えたのは、たぶん気のせいじゃない。
アルちゃんの配信が終わって、ルミナがもう1回お風呂に――じゃなくて、歯を磨きに洗面所へ立った。
その間、私はベッドの上で、明日のショートの構成を考える。今日のトークを見直して、どこを15秒に切り出すか、コメントのツッコミを入れるか、抜くか。
うんうんとPCの前で頭をうならせていた、そのとき。
洗面所のほうから、歌が聞こえてきた。
ルミナが、歯を磨きながら――いや、もう磨き終わったのか、わりと本気で歌っている。最近流行っている曲だ。昔から、ひとりになると無意識に歌いだす癖がある。
……いい声だなあ、としみじみ思う。
これはもう、何百回と聞いた声だ。子供の頃に二人で帰った夕方の道でも、隣の家からも、こうしてうちの洗面所からも。聞き慣れているはずなのに、慣れないのはなぜか。芯があって、低いところがちゃんと鳴って、高いところが透き通る。音程がこわいくらい正確で、なにより、声に色があるから。本人はまるで意識していないと思うけど、無防備な、——むき出しの色。
前世で、私は嫌というほど「声」を聞いてきた。いい声、上手い声、売れる声、売れない声。その耳が、ルミナの歌を聞くたびに、ずっと同じことを言っている。
――これは、大事にしまっておくにはもったいない声だよ、って。
それも私がルミナを表舞台に引っ張り出したい理由の1つ。
雑談がこれだけ伸びてるんだから、次は歌だよなあ。前からそう思ってた。まずは配信に慣れて、それから歌ってみたに繋げる。そのタイミングをずっと計っていたけど……うん。もうそろそろ、いいのかもしれない。
歌が、止んだ。
「ふー、すっきり! ねえそら、明日の朝ごはん何ー?」
戻ってきたルミナが、私を見て首をかしげた。
「どうしたの? なんか変な顔してるよ?」
「気のせいだよ。……明日の朝は、卵焼きとウインナーでいい?」
「やったー! そらの卵焼き好き!」
うちは基本的に親がいないから、生活はほぼDIYだ。ルミナが来た日は私が作る。ルミナがいない日は……まあ、栄養さえ取れていれば死にはしないだろう。
消灯後。
ベッドはひとつしかないので、ルミナと並んで寝る。ルミナがベッドに飛び込んできて、私の枕を奪っていく。いつものことだ。私は奪い返さずに、腕を枕にした。でもそれを見たルミナが私を無理やり引っ張って、自分の枕に乗せる。シングルベッドで二人はさすがに狭すぎて、ぎゅうぎゅうだ。
「ねー、そら、起きてる?」
「起きてるよ」
「あのね。私、最近、毎日がたのしいんだ」
暗い天井に向かって、ルミナがぽつりと言った。
「配信、たった11人って言われるかもしれないけどさ。でも、その11人は、ちゃんと私に会いに来てくれてるから。学校はもっとたくさんの人がいるのに、私がいてもいなくても同じに感じちゃう。なんか不思議。少ないほうが、多いことってあるんだね」
……哲学的なこと言うなあ。
「……見に来てくれる人に、感謝しなきゃね」
「うん!」
ルミナがころんと寝返りを打つ。私が押し出されそうになって、慌てて押し返した。
「ねえそら、明日さ、お昼までに編集終わったら、ドーナツ食べに行かない? この前でた新作のやつ」
「いいよ。じゃあ午前中に終わらせようか」
「やった。あのね、私、いちごのやつにする。そらは?」
「いってから決めるよ」
「えー、もう決めとこうよ。決めといたら、楽しみが増えるよ!」
「えー……じゃあ、チョコで」
「適当だなあ」
「ドーナツにそんなに真剣に考える?」
「考えようよぉ……」
ふふ、と笑う声がして、それからすぐ、すー、すー、という寝息に変わった。早い。さっきまでドーナツの話してたのに。子供か。
私は暗闇の中で、ちょっとだけ笑った。
明日はドーナツを食べて、午後はショートを仕上げて、近いうちに歌の話を切り出してみよう。そうやって、小さな「やりたいこと」が、毎日ちょっとずつ増えていく。前は、こんなふうに先のことを楽しみにできた日が、どれだけあっただろう。
ルミナの寝息を聞きながら、私は思う。
アルちゃんは確かにすごい。
でもルミナにも、負けないくらいのポテンシャルがあると思う。
贔屓目かもしれないけど。
でも、いつかきっと――。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか私も瞼が落ちていた。




