25「プリマステラ」
会場の照明が休憩の色に変わり、ざわざわとした話し声が会場内に広がっていく。
最終投票の締め切りは、一時間後。
集計は会場のシステムでリアルタイムに行われていて、締め切り後、すぐに最終発表が行われる。
今夜このステージを見ている一人ひとりが、その瞬間を待ちわびていた。
私は、袖に戻ってきたルミナに水のボトルを手渡した。
「おつかれさま。よく、頑張ったね」
「……うん」
ルミナはボトルを受け取って、ひとくち飲んで、それから長く息を吐いた。
「あー……色々ありすぎて、頭パンクしそう」
そう言って、ルミナは机に突っ伏した。
「セレネのこと、よく庇ったね。偉い」
「……そらがなんとかしてくれるって思ったから」
……なんという重い信頼だ。
まったく、私はそんなにすごくないというのに。今回のことは、たまたまなんとかなっただけだ。
だけど、その信頼は裏切れないなとも思う。
「発表まで、もう少しだね」
ルミナが待ちきれないといった様子で言う。
「緊張、してないの?」
私が訊くと、ルミナはきょとんとこっちを見た。
「あはは。なんか、ステージに立ったら全部忘れちゃった。それに、もうやりきったもん。あとは待つだけかなって」
それから私の顔を覗き込んで、笑った。
「あれ? そらのほうが、緊張してる」
図星だった。ルミナに隠し事はできない。
手のひらが、さっきからじっとり湿っている。発表までの時間が、なぜか自分のことみたいに怖い。
「……ルミナより緊張してるの、おかしいよね」
「ううん」
ルミナは首を振った。
「そらが、私のこと本気で思ってくれてる証拠だもん。うれしい」
ルミナはそう言って、えへへ、とはにかんだ。
いつから、この子はそんなことをストレートに言うようになったんだろう。
私は顔が熱くなって、思わず背けた。
「まあ、結果がどうでも」
ルミナがボトルのキャップを閉めた。
「私、もう前に進めるから」
その声に迷いはなかった。
それからの一時間は、ひどく長くて、けれどあっという間だった。
『――まもなく、最終選考結果を発表いたします。ステラのみなさんは、ステージへ』
アナウンスが会場に流れる。
ルミナが私を見て、にっと笑った。
「――じゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
ルミナはステージへ歩き出した。
その背中を、私は袖から見送る。
なんて頼もしい背中だろう。
なんだか、雛が巣立つのを見送る親鳥になった気分だった。
照明が、ふたたびステージに集まる。
5つの名前が、ひとつずつ読み上げられていく。
『——天城ノエル。包み込むような母性とやさしい歌声で、聴く人の心に寄り添う歌姫』
おっとりした少女が、はにかんで手を振る。
『——蒼ヶ崎リオル。さわやかな笑顔の裏に、誰よりも強い闘志を秘めた王子さま』
リオルが爽やかに笑う。けれどその目の奥に、ぎらりと鋭い何かが光る。
『——宝生院ティアラ。気品と親しみやすさをあわせ持つ、みんなのお嬢さま』
上品に一礼した拍子に、マイクを取り落としかけて、客席があたたかく沸いた。
『——セレネ。月光をまとい、磨き上げた幻想で観客を魅せる、白銀のステラ』
足元で白ウサギが跳ねる。銀色の裾を揺らし、さきほどの震えなど最初からなかったみたいに、優雅に一礼した。
『そして――朱野ルミナ。飾らない光で、たくさんの夜を照らしてきた、ありのままの女の子』
淡い光暈だけをまとったルミナが、ぺこりと頭を下げる。
五人の星が、ステージに並んだ。
『みなさん、素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました。――しかし、一番星に選ばれるのは、この中でただ一人』
司会の声が、しずかに間を置いた。
『あなたの推しに、一人一票。今年、もっとも多くの人に見つけられた星が、その称号を手にします』
照明がすっと落ちた。
ドームの天井に、夕闇の空が広がる。星は、まだ出ていない。
『あなたが見つけた星を、この空へ』
しん、と会場が静まった。
その静けさの中で、小さな光がひとつ、ぽつんと灯った。
薄暮の空に、最初に浮かんだ星。
その下に立っていたのは、ルミナだった。
誰かの一票。
最初に彼女を見つけた、誰かの光。
それから、もうひとつ。ふたつ。
ぽつ、ぽつと、夜空に星が増えていく。
ノエルの上にも、ティアラの上にも、リオルの上にも、セレネの上にも、それぞれの光が灯っていく。
そうして、満天の星空が出来上がった。
けれど、最初に灯った星は、その中でも負けずに輝いている。
むしろ、そこへ次々と光が寄り添っていった。
一票。もう一票。また一票。
ルミナの上に灯った星が、少しずつ、少しずつ輝きを増していき――。
『――今年の一番星は』
司会の声が、震えるように響く。
その瞬間、ルミナの頭上の星が、夜空でいちばん強く輝いた。
『朱野ルミナさんです!』
会場が揺れた。
歓声と拍手がドームの天井を突き上げる。星空がいっせいに瞬いた。
ステージの上で、ルミナは動かなかった。
呼ばれた名前を、すぐには信じられないみたいに。ただその場に立って、見開いた目で自分の頭上の星空を見上げていた。
自分の上に、いちばん多くの光が集まっている。
それを、噛みしめているのだろう。
ここまで来た道のりを。自分を見つけてくれた人たちのことを。届かないと思っていた光が、いま自分の上に輝いていることを。
だけど、きっとすぐに喜びが追いついてくるはずだ。
私はその瞬間を、袖で待つ。
……待つんだ。
その時、スタッフの一人が私に声をかけた。
「あの、そらPさんも、よかったらステージに……。もう一人の主役、なんですから」
そらP。
もしかしたら、ルミナのチャンネルを見てくれていたのかもしれない。
その言葉に、思わず足が出かけた。
駆け寄って、肩を抱いて、よかったね、と言ってあげよう。そう咄嗟に考えた。
だけど私は、首を振った。
「いえ。あそこは、……あの子の、場所……なので」
出かけた足を、袖の暗がりに踏みとどまらせる。
これでいい。
これで、いい。
そう自分を納得させようとした、そのときだった。
解説席のマイクが拾った声が、ドームに響いた。
アルちゃんだった。
『――ねえ。そこの、袖にいるプロデューサーさん』
会場の視線が、いっせいに私のいる袖へ流れた。
心臓が跳ねた。
『あなたのことですよ。ルミナさんをここまで連れてきた人。隠れてないで、出てきてあげて』
その声は夜空のようにやわらかく、どこまでも澄んでいた。
……まるで、私の迷いまで透かしてしまうように。
『今夜の一番星は、一人で生まれたんじゃない。……みんな、そう思うでしょう?』
アルちゃんが会場に問いかける。
会場がわっと沸いた。拍手の音が、私の隠れている袖にまで押し寄せる。
ステージの光が広がり、袖の暗がりを少しずつ削っていく。
踏みとどまっていた理由も、光の中に溶けて消えた。
もう、なんでもいい。
一歩、前へ。
照明が目を刺した。何百もの視線が、いっせいに私に集まる。逃げ場のない、まぶしさ。
その中へ、私は駆けだした。
「ルミナ!」
思考よりも先に、叫んでいた。
私の姿を見つけたルミナが、ステージの真ん中でこちらを向く。
次の瞬間、助走をつけて、ぶつかるように私の胸へ飛び込んできた。両腕をめいっぱいぎゅーっと、私の背に回して。
『そら!』
耳元でルミナが言った。
『私、一番星になれたよ』
涙で、声がぐしゃぐしゃに濡れていた。
『そらが、見つけてくれたから。ここまで連れてきてくれたから』
ルミナが顔を上げる。
涙に濡れた目が、まっすぐ私を見ていた。
『そら……ありがとう!』
会場が沸いた。割れるような拍手と歓声。
腕の中には、ルミナの温かい体温。
私はずっと、見つける側だと思っていた。ルミナを見つけて、光らせて、ここまで連れてくる。それが私の役目だと。
だけど、違った。
私も見つけてもらったんだ。
ルミナに。
そう思ったら。
何かがぽたん、と床に落ちた。
ステージの上で抱き合う二人を、わたしは解説席から眺めていた。
空とルミナ。
誰もが自分の理想をまとって立つこの舞台で、いちばん素のまま抱き合う二人が、なぜだかいちばんまぶしく見えた。
手元のモニターでは、コメントが流れこぼれていく。
《そらP、初お披露目!?》
《えっ、めちゃくちゃ美人やん……》
《あれで裏方とかうせやろ》
《伝説のPは実在したんや!》
《そらルミ、尊すぎて無理。直視できない》
《お前ら、さっきまでルミセレとか言ってたのに……》
《みんなちがってみんないい!》
《ミラージュなしでこの破壊力は反則》
《もらい泣きした》
《星見当番です。一生推します》
わたしはキーボードから手を離して、小さく笑った。
いいものを見せてもらった。
あの二人が、これからどんな輝きを放つのか、今から楽しみだ。
だけど、ひとまず今は。
この夜に生まれた一番星へ、ありったけの拍手を贈ろう。
そう思って、わたしはもう一度、強く手を叩いた。
次がラストです。
もう少しだけお付き合いください。




