26「一番星の見つけ方」
「……おめでとう」
表彰が終わり、控室に戻ろうとした私たちの後ろから声がかかった。
セレネだった。
「ありがとう。セレちゃん」
差しだされた手を、ルミナが握り返す。
「あー、ほんま悔しいわ」
言葉とは裏腹に、セレネは清々しい表情をしていた。
「うちは、隙ひとつないように作り込んだ。ステージの上で一秒でも美しく見えるように、何度も練習して、何度も直してきた」
「……うん。すごかった。私、見てたよ。セレちゃんのステージ、ほんとにすごかった」
「当たり前やろ。うちがすごいんは、うちがいちばん知ってる」
セレネが、少しだけ得意げに笑った。ルミナも、つられて笑う。
「……でも、それでも、あんたには届かんかった」
ルミナが何か言おうとして、口ごもる。
セレネはそれを片手で制した。
「慰めはいらん。うちがいちばん、わかってる。……あの事故がなくても、一番はルミナだった。ルミナとそらPが、二人で積み上げてきたもんには、届かんかった」
「セレちゃん……」
「悔しいよ。ほんまに悔しい」
セレネが、ふっと息を吐いた。
「でも、負けたのがあんたで良かった」
それから、まっすぐルミナを見て続けた。
「——次は、勝つから。これから、何度でも、ルミナに」
それは、負け惜しみではない。
ただ、ここから先も隣で走り続けるから——。
そういう約束だった。
ルミナもそれが分かったのだろう。
セレネを見て真剣な表情で言った。
「……うん。負けないよ」
「言うようになったやん」
「セレちゃんが言わせたんだよ」
それから二人は笑った。
ルミナとセレネ。
さきほどまで票を取り合った二人が、同じ場所で笑っている。
セレネの言う通り、きっとこれからもこの光景を何度でも見ることになるのだろう。
なんとなく、そんなことを思った。
それから二週間が経った。
あの夜のトラブルについて、運営は外部からの不正アクセスだったと発表した。
だけど、誰が、何のためにやったのかは、結局わからないままだ。ルミナを狙ったのか、セレネを狙ったのか。それとも、ただ祭りを壊したかっただけなのか。
考えても、答えは出ない。
だから今は、あの夜を乗り越えられたことだけを、胸に留めておくことにした。
それよりも、今はやることがたくさんある。
最終選考に残った面々で、配信上の打ち上げをしたり。
案件やインタビューの依頼が山のように飛んできたり。
チャンネルの登録者数がとんでもない勢いで伸びているのを見て、ルミナが目を回したり。
「そらルミ」のタグについたコメントの数を、そっと見なかったことにしたり。
そんなことをしているうちに、怒涛のように日々が過ぎていった。
そして、今日。
一番星の副賞として贈られた、単独ライブの日がやってきた。
会場は、あの最終選考と同じ、プラネタリアのドーム。
星空を映すための、小さな宇宙。
前回と違うのは、そこに集まっている人たちが、全員ルミナだけを見に来ていることだった。
誰かと比べるための夜ではない。
ただ、朱野ルミナという一番星の誕生を祝うためだけの夜。
客席の空気も、最終選考のときとはまるで違う。
あの夜にあった張りつめた熱はない。代わりに、開演前のざわめきの中に、穏やかな期待が満ちていた。
私は、その客席の最前列にいた。
ステージを見上げられる、いちばん近い席。
今日は、裏方の仕事はない。
ミラージュの調整も、進行の管理も、全部プラネタリアのスタッフが担当してくれている。
「私のステージを、特等席で見てほしい」
ルミナに、そうお願いされたからだ。
だから私はただ、客として、あの子の歌を聴けばいい。
ここからなら、緊張もなく、穏やかな気持ちでルミナを見られるはず。
なのに。
膝の上で、落ち着かない指が何度も組み直される。
なぜか、私はいつも以上にそわそわしていた。
やっぱり私は、裏方として走り回っている方が性に合っているらしい。
まあ、これも経験か。
そう自分に言い聞かせて、開幕を待った。
開演のブザーが鳴った。
天井いっぱいに映し出されたのは、夕闇の空。
地平線では茜色と藍色が溶け合い、星が生まれる直前の景色が広がっている。
その空の下に、ルミナは立っていた。
薄いミラージュをまとった、いつもの姿で。
客席が息を呑んだ瞬間、その輪郭に淡い光が灯る。
——夕闇に、最初の星が生まれた。
最初の曲が始まる。
ルミナの声が、会場に響き渡った。
ルミナは歌が上手い。声は透き通っていて、音程も外さない。
だけど、それ以上に惹きつけられるのは、きっと。
声に乗った想いが伝わってくるから。
言葉を、誰かに届けようとしているから。
それが分かるから、聴いている人は目を逸らせなくなる。
一曲終わっただけで、会場はすっかりルミナのものになっていた。
それからルミナは、歌とトークを行き来しながら、少しずつ場を温めていく。
『えへへ。今日は、噛んでも許してください。あ、切り抜かないでくださいよ?』
そんなことを言えば、客席のあちこちで光が揺れる。
ルミナの言葉に笑い、ルミナの歌に息を呑み、ルミナが手を振れば、客席の光がそれに応える。
夜空の全てが、ただ一人の女の子を見ていた。
ステージが進むにつれて、ドームの空にも星が増えていく。最初はルミナだけだった光が、ひとつ、またひとつと広がっていく。まるで、最初に灯った星を見つけて、他の星たちも目を覚ましていくみたいに。
空は深い藍色に染まり、満天の星に埋め尽くされる。
ラストに近づいているのだと、誰に言われなくても分かった。
ルミナが、ふぅっと息を整えるように深呼吸して、言った。
『……最後に、もう一曲だけ歌わせてください』
会場が、しんと静かになった。
『私の配信や切り抜きを見てくれていた人は、ちょっとだけ知ってるかもしれません』
その言葉で、客席が小さくざわめく。
『二人で作った曲です。私と、そらで』
ルミナが、少し照れたように笑う。
『……と言っても、ほとんどはそらで、私は隣で騒いでいただけですけど』
そう言いながら、最前列の私をちらりと見た。
私は思わず目を逸らした。ルミナは、そんな私を見て、いたずらっぽく笑う。
『最終選考では、歌いませんでした。……一番星になれたら、そのとき初めて、フルで歌おうって。そう決めていたからです』
そこで、少し間を空けた。ルミナの視線が、客席をゆっくりと渡っていく。
『そして、私は一番星になれました。みなさんのおかげです』
深く、息を吸う。
『だから、歌います。聞いてください! ――スターレイン』
イントロが、流れはじめた。……私が、止まったままだったあの曲。
『——流れ星が降る夜に 一人で空を見上げてる』
ルミナの声が、夜空に溶けていく。
『——夜にこぼしたこの祈り 宛名のないまま溶けていく』
願っても、届かないと知っていて、それでも願うことをやめられない。
それは、そんな祈りの歌だった。
そして、二番に入る。
『——夜にこぼしたこの想い 宛名を書いて 届けにいく』
ルミナと一緒だから、書けた。一人ではどうしても進めなかった、その先を。
サビに合わせてドームの天井を、人工の流星雨が駆け抜けた。
無数の星が瞬き、そのあいだを、光の尾を引いた流れ星がいくつも降っていく。
客席から、小さな歓声が上がった。
やがて流星雨が止む。
残ったのはルミナだけ。
透き通るような声が、天高く響いた。
『——降り止んだ空の下 消え残った一粒は 目を開けて 一番星 見つけてくれたのは君』
そして、最後の歌詞。
ルミナが、まっすぐに前を見た。
『——ずっと光ってる みんな』
私は、それに合わせて、口の中だけで一緒に歌った。
「……ずっと光って、ルミナ」
ルミナが、私を見て、ほんの少しだけ笑った気がした。
届いた、かな。
ライブが大盛り上がりで終わり、会場を出ると、外はちょうど夕暮れ時だった。
ルミナと二人、人気の引いた通用口から外に出る。
春の風はまだ冷たい。だけど寒くないのは、隣に立つルミナのおかげかもしれない。
しばらく、どちらも何も言わずに歩いた。
まだお互い、ライブの余韻が胸の奥に残っているのが分かった。
不意に、ルミナが足を止める。
「あ」
ルミナが、西の空を指さす。
「そら、見て」
茜色から藍色へ移ろう空のグラデーションの中に、星がぽつんと光っていた。
「一番星だよ」
「ほんとだ」
私も、ルミナの隣で空を見上げた。
たったひとつ。だけど、迷いなく輝く宵の明星。
他の星より少しだけ早く、夜を迎えにくる光。
私とルミナはしばらく黙って、その星を見ていた。
それから、ルミナがぽつりと言う。
「ねえ、そら」
「うん?」
「知ってる? 一番星って、夕暮れがないと生まれないんだよ?」
何を当たり前のことを、と突っ込もうとした。
けれど、ルミナの表情を見て、やめた。
ルミナは西の空を見上げたまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「だから、私、なりたかったの。ずっと。そらの、……夕凪空の一番星に」
胸の奥が、ぎゅっと詰まった。
そんなの。
そんなことを、私が言っていいのだろうか。
だけど、胸にあふれた言葉は、もう止められなかった。
「……そんなの、とっくに、なってるよ」
そう答える声は、少しだけ掠れていたと思う。
「ルミナは、ずっと前から私の……一番星、だよ」
それを聞いたルミナの目元が、ふっとゆるんだ。
「……そっか。嬉しいな」
ルミナが、小さく笑う。
「あ、でもね、そら」
「うん?」
「……私の一番星はね、そらだよ。ずっと……ずーっと、前から」
その言葉に、私は、もう何も返せなかった。
代わりに、ルミナの手を握った。
見上げれば、夕暮れの空に一番星が光っている。
夜が深まれば、あの星もやがて無数の星に紛れて見えなくなるのだろう。
それでも。
私たちは、どれだけ星が増えても、きっと見失わない。
満天の星の中で、私たちだけの一番星を、もう見つけたから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
たくさんの作品の中から、この物語を見つけてくれて、本当にありがとうございました!
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