24「星」
ルミナは、大丈夫だ。
私が手を出したら、かえって邪魔になる。だから――信じる。ルミナのことは、ぜんぶ、信じている。
でもセレネは、いま、助けを必要としている。だったら、友人として、見過ごせない。
私は一度だけ息を整えてから、コンソールを必死に叩いているスタッフに声をかけた。
「……もしかしたら、力になれるかもしれません。今、何が起きていますか? 投影機材の故障ですか?」
スタッフは端末から顔を上げずに答えた。
「投影機材そのものは動いています。ただ……、ミラージュのデータを読み込めない、状態です」
「データを?」
「はい。各ステラさんのミラージュデータは、クラウド上のサーバーから呼び出しています。ですが、今はそこにアクセスできません」
投影機材は生きている。止まっているのは、ミラージュを呼び出すための経路だけ。
「なら、ローカルにデータがあれば、投影機へ直接流し込めますか」
スタッフも、それは考えたのだろう。力なく首を振った。
「もちろん可能です。ただ、肝心のミラージュデータが、運営側の端末にはありません。別のスタッフが各事務所に連絡を入れていますが、すぐに用意できるかどうか……」
映すためのデータがない。
運営が持っていないなら、普通はそこで終わりだ。
だけど――私の手元にはあった。
セレネとのオフコラボのとき。
コラボが終わったあと、私は預かっていたデータを消そうとした。ミラージュデータは、当たり前だけど機密情報だ。コラボ用に一時的に共有されたデータなら、終わり次第消すのが普通だった。
けれど、セレネは言った。
——消さんでええよ。次もあるやろ。……うち、負けっぱなしで終わる気ないんやけど?
だから、私はデータを暗号化して残した。
もちろん、この最終選考のためにセレネが持ち込んだミラージュとは比べ物にならない簡易版だ。けれど、今この場でセレネの輪郭を取り戻すには、それで足りる。
「セレネのデータなら、私が持っています。投影機まで案内してください」
そう言うと、スタッフは驚いたように目を見開いた。けれど、すぐに真剣な表情に変わりうなずく。
案内されたステージ脇の投影機に、タブレットをケーブルで接続する。暗号化して保存していたデータを開き、セレネのミラージュを呼び出した。
「……いける」
私は、使うつもりのなかったインカムのスイッチを入れた。
「ルミナ、聞こえる? もう少しだけ耐えて。そしたら、セレネのミラージュを復活させるから」
『そら! うん、待ってる』
返事を聞きながらも、手は止めない。
「……すごい手際ですね」
「慣れてますから」
スタッフの感心したような声に、短く返す。
輪郭の座標を、会場の投影位置に合わせて補正する。もちろん、あくまで暫定処置だ。それでも、遠目からセレネとして見える程度には整えられる。
ズレを潰す。光量を落とす。白銀の輪郭だけを、最優先で戻す。
「……よし!」
私は送信ボタンを――押した。
ステージの上の佐藤美月に、白銀の光がもう一度降りた。
月の光が髪を撫でる。黒かった髪の上に、眩しいくらいの白銀が重なっていく。伏せられていた瞳に、淡い輝きが戻る。衣装の輪郭が身体を包んだ。
細部までは戻らない。光の粒も先ほどよりは控えめだ。
それでも、白銀の姫の姿が、もう一度そこに立ち上がる。
最後に遅れて、兎の耳がぴょこんと揺れた。
それを見て会場が、わっと沸いた。
《戻った!》
《セレネ様復活!》
《良かったーー》
セレネは、月光をまとった自分の手を、じっと見つめて。それから、ゆっくりと顔を上げた。
ルミナが、そっと腕をほどく。
もう、隠す必要はなくなった。
幻影を取り戻したセレネと、素のルミナ。
二人が、並んで立っている。
その対比が、ドームの星空の下で、はっきりと浮かび上がっていた。
『……ルミナ』
セレネが、震える声で言った。もう、いつものセレネの姿に戻っていたけれど、その奥はまだ素のままだった。
『……あのまま、うちを放っておいたら、よかったやろ。そしたら、うちは終わってた。なのに……』
ルミナは、少しだけ不思議そうに瞬きをした。
『だって、そんなの、うれしくないもん』
『……』
『私は、セレちゃんと戦いたいんだよ。セレちゃんが、ちゃんとセレちゃんでいるまま、最後まで』
それを聞いたセレネが、くしゃっと顔を歪めた。
『……ほんま、あんたには、敵わんわ』
それからセレネは、何かを隠すように、ステージの奥へ顔を背けた。
会場が、温かい拍手に包まれていく。
配信のコメント欄にも、さっきまでの混乱はもうなかった。
《ルミセレ尊い》
《これは票が動く》
《ルミナに入れる》
《いや、両方推せる》
《さっき、そらって言ってなかったか? ……まさかな》
《今夜のMVPは朱野ルミナ》
《信じられるか……? ルミナこれまだミラージュ盛ってないんだぜ……?》
障害は、ほどなく復旧した。
けれど、ステージは一度止まった。
ミラージュ障害が起きた直後だ。安全確認を入れるのは当然だった。スタッフたちが慌ただしく走り回り、会場には待機を告げるアナウンスが流れる。
その間も、客席の熱は冷めなかった。
さきほどまでの混乱ではない。いま目の前で起きたことを、自分の中でどう受け止めればいいのか、みんなが探しているような。そんな空気だった。
数分後、運営スタッフが私たちのもとへ来た。
「朱野さんのステージですが、希望があれば後日に回せます。……今日のトラブルは運営側の責任です。無理に続けていただく必要はありません」
至極、当然の提案だった。
あの状況でセレネを庇い、会場を繋ぎ止めたあとだ。ルミナにこれ以上の負担をかけるべきではない。普通なら、そう思う。
「ルミナ。どうする?」
私はルミナに問いかける。……まあ、答えは分かっているんだけど。
ルミナは、短く息を吸った。
「やる!」
強く、はっきりとした答えだった。
「今日、やる。ここまで待ってくれた人たちに、ちゃんと見てもらいたいから」
私は一度だけ目を閉じて、それからうなずいた。
「うん。分かった。……では、予定通りお願いします」
私がスタッフに告げると、スタッフは一瞬驚いたような顔をして、それから深くうなずいた。
そして、ルミナのステージが始まった。
詳しいことは、正直、あまり覚えていない。
光が戻ったステージで、ルミナは歌った。踊った。笑った。
さっきまでセレネを守るために客席へ背中を向けていた女の子が、今度はまっすぐ前を向いて、キラキラと輝いていた。
客席のペンライトが揺れた。
みんながルミナの名前を呼んだ。
コメント欄は、目で追えなかった。
ルミナは、それに応えるように、さらに強く笑った。
完璧なステージだった、とは言わない。今日の出来事をすべて忘れさせるような、綺麗な舞台だったわけでもない。
でも、誰も目を逸らさなかった。
怖いもの。嫌だったこと。楽しいこと。かけがえのないもの。大事にしたいもの。
ルミナの全部が、ステージの上にあった。
やがて、最終候補全員のステージが終わり、投票締め切りまでの待機時間に入った。
会場の照明が少し落とされ、スクリーンには現在の投票案内が表示される。客席では、スマホを見下ろす人たちの光が、点々と夜空のように灯っていた。
配信のコメントも、止まらない。
《今日見てよかった》
《アーカイブ残らないって、ま?》
《ルミナに入れた》
《セレネ推しだけどルミナに泣いた》
《あの場で動けるのすごすぎる》
《これはもう決まっただろ》
《いや最後まで分からん》
票の数字は、まだ見えない。
それでも、会場にいる誰もが、気づいているようだった。
今夜、この場所で、最初に見つけられた星が誰だったのか。
発表まで、あと少し。
客席に浮かぶ小さな光のひとつひとつが、もうその答えを抱えているように見えた。




