23「幻」
大トリの二人は、同じタイミングでステージに立つ。
もちろん、パフォーマンスは一人ずつ。最初にセレネが歌い、そのあとにルミナが続く。最後に二人そろって、観客の前に並ぶ流れだ。
モニター越しに、二人が光の円へ歩いていくのが見えた。
白銀の姫と、金色の新星。
並んだだけで、会場の空気が変わった。
なんというか、圧倒される。
でもきっと、それは才能とか、スター性とか、そんなものじゃない。
ルミナがここまで来るために積み重ねてきたものを、私は知っている。
表には見えない努力や悔しさや、何度も続けてきた積み重ね。それが自信になって、今、このステージに立っている。
そして、それはおそらくセレネも同じ。
やり方は違う。
けれど二人とも、自分が歩いてきた道を背負ってここにいる。
だから、並んだだけで目を奪われるのだ。
まず、セレネが一歩前に出た。
白銀の月光が、彼女の輪郭をなぞる。まとっているのは、雪のように白い和装だった。袖の端には銀糸が走り、動くたびに月明かりをすくったように煌めいて揺れる。
頭の上では、ミラージュで作られた兎耳が、彼女の動きに合わせてかすかに揺れていた。普通ならあざといはずなのに、不思議と品がある。足元では、光の兎が一羽、二羽と跳ねている。
月の兎を連れた姫が舞台に降り立った。
曲が始まる。
セレネは、完璧に作り込まれた演出の中で歌い出した。
照明、間、立ち位置、視線を送るタイミングまで、すべてが計算されている。一音の乱れもない。可憐で、美しくて、どこまでも隙がない。まるで、芸術品みたいなパフォーマンスだった。
客席が、その完成度に息を呑む。
『……お見事』
アルちゃんが、感心したように呟いた。
『あそこまで隅々まで演出に気を配れる子は、中々いないでしょう。彼女は、自分がどう見られているかを完全に分かっていますね。作り物だと分かっていても、それでも目を奪われる。あれは、努力で磨き上げた本物の幻です』
歌い終えると、セレネは静かに前で袖を重ね、優雅に一礼した。
《ふつくしい》
《さすがにこれはセレネかなあ》
《まあ前評判とおりか》
今日一番の拍手の中、セレネは舞台袖には戻らず、ステージに残る。
続けて、ルミナの番だ。
心臓の音がうるさい。ここから先は、まばたきすら惜しい。一瞬だって見逃したくない。
私は、食い入るようにモニターを見つめた。
ルミナが、光の円に立つ。
淡い光暈と、髪にきらめく艶。豪奢なセレネの隣に立つと、その姿はいっそう飾り気がなく見えた。
けれどルミナが、にこっと笑って客席に手を振った瞬間。
会場の空気が、ふわっとやわらいだ。
『さあ、ラスト。朱野ルミナさん。パフォーマンスお願いします!』
ルミナが、息を吸う。
その瞬間だった。
最初に違和感に気づいたのは、コメント欄の視聴者だった。
《あれ?》
《画面ぶれてる?》
《なにこれ》
モニターの中で、ステージの光が一瞬だけ揺らいだ。
会場全体の照明が、ちかちかと明滅する。
何だろうと思う間もなく、次の瞬間。
――ステージ上の二人の幻影が、剥がれ落ちた。
セレネの白銀が消える。
月光も、兎も、衣装も。すべてが空気に溶けるように掻き消えていく。
それと同時にルミナの淡い光もふっと、消えていった。
あとに残ったのは、二人の女の子。
「は……?」
思わず声が漏れた。
会場がざわめく。配信のコメント欄も、一瞬でパニックになった。
《は?》
《どうした》
《ミラージュ消えた!?》
《これ素!?》
《大丈夫か!?》
ミラージュの投影機材が落ちた?
いや、違う。
この規模の会場なら、機材は冗長構成になっているはずだ。メイン系統が死んでも、予備系統に切り替わる。
それに、ネットは落ちていない。照明も音響も生きている。配信画面では、解説席のアルちゃんもミラージュをまとったままだ。
消えたのは、ステージ上のミラージュだけ。
何かがおかしい。
嫌な予感を覚えながら、私はモニターに映るステージへ視線を戻した。
……ステージの上で、セレネが凍りついていた。
白銀の姫が立っていた場所にいるのは、黒髪を束ねただけの少女だった。
なんとか顔を覆おうとする指先も、かすかに震えている。隙間から見える肌の色だけが、痛いほど白かった。
悲鳴も上げず、ただその場に立ち尽くしている。たぶん、動けないのだ。
当たり前だ。
こんな事態、誰も想定していない。
ステラはミラージュをまとい、自分だけの輝きを形にする。
けれど、その幻影を無理やり剥がされたら――。
解説席で、アルちゃんが息を呑んだ。
『これは……まずいですね』
会場の空気が、最悪の方向へ傾きかける。
その瞬間。
ルミナが動いた。
ルミナは、平気だった。
それも当然だ。輪郭を淡くぼかす程度のミラージュが剥がれたところで、いつものルミナとほとんど変わらない。
ルミナは、立ち尽くすセレネのもとへ迷いなく駆け寄った。
『セレちゃん!』
そのまま、震えるセレネをぎゅっと抱き寄せる。
自分の胸に、セレネの顔を押しつけるように。その素顔が客席から見えないように、両腕ですっぽりと覆い隠して。
ルミナは、自分の背を客席に向けた。
何百人の視線も、何十万人の視聴者も、ぜんぶ自分の背中で受け止める。自分が盾になる。その意思が、言葉にしなくても伝わってくる。
『……だいじょうぶ。だいじょうぶだから』
腕の中のセレネにだけ届くくらいの声で、ルミナが囁いた。
けれど、マイクはまだ生きていた。
その小さな声は、会場のスピーカーを通って、客席にも、配信の向こう側にも届いてしまう。
『顔、見られてないよ。私が隠してるから。だから、安心して』
ざわめいていた会場が、その姿に少しずつ静まっていく。
突然、世界中に素顔を晒されかけた女の子を、もう一人の女の子が、自分の体で覆い隠している。混乱する会場の中で、ルミナだけが何をすべきか分かっていた。
それからルミナは、顔だけをちらりと客席へ向けた。
『えっとー、トラブルです! でも、生配信ってこういうのありますよね! きっとスタッフさんたちが今なんとかしてくれるので、落ち着いて待ちましょうー! 私とお話しでもしましょうか!』
それは、いつものルミナの声色だった。
突然の事態に、動揺していないはずがない。それでも、それを見せないように必死に取り繕った声であることは、私だけが分かった。
呼応するように、会場の混乱が少しずつおさまっていく。
『……なんで』
セレネの掠れた声がした。
『なんで、うちを庇うん……?』
『そんなの』
ルミナは、抱きしめる腕に力を込めた。
『セレちゃんが、ピンチだったから。それだけだよ』
そのルミナの言葉に、セレネの肩がさらに震えたように見えた。
解説席で、アルちゃんがぽつりと零した。
『……こういうのは、言葉を足すだけ野暮ですね』
それきり、アルちゃんは何も言わなかった。
その声を背に、私は、もう動き出していた。




