18「裏表」
外に出ると、冷たい空気が頬を刺した。
吐く息は白く、ポケットに突っ込んだ手の先が少しかじかむ。
指定された店は、都心から少し外れた駅近くの、古い喫茶店だった。
奥にひとつだけある個室。
扉を閉めれば、表の通りの音も届かない。人目を避けたい、という意思が、店選びに出ていた。
先に着いたのは私たちのほうだった。
「……本当に、来るのかな」
隣で、ルミナが小さく言う。膝の上で指を組んだりほどいたりしている。
「来るよ。わざわざDMまで送ってきたんだし」
あのDMから三日。返事をして、日時を決めて、そして今日。
さすがに売れっ子のステラと会うのは、少し緊張する。私はルミナのわき腹をつついて、それを誤魔化した。ルミナは笑いながら椅子からころげ落ちた。
約束の時間ちょうどに、扉が開いた。入ってきたのは、1人の女の子。
黒髪を後ろで一つに束ねて、薄く化粧をしている。地味な色のコートの肩には、隠しきれない緊張がのっていた。悪い容姿ではない。むしろ、目鼻立ちは揃っていて綺麗に映る。けれど、その綺麗さは、画面越しのセレネが持っていた圧のようなものとはまるで違った。
白銀の光をまとい、視線ひとつで場を支配する姫。あのセレネを知っているからこそ、目の前の少女はあまりにも静かに見えた。
華がない、というより。華になることを、自分で許していない。そんな普通さだった。
一瞬、本当にセレネなのか迷う。もしかしたら代理なのかも、と。
だけど声でわかった。
「はじめまして。で良かったんかな? ……ほんまに配信の姿まんま、なんやね」
セレネだ。
ルミナも息を呑むのがわかった。
「座っても、ええかしら」
私が頷くと、向かいの席に浅く腰かける。
運ばれてきた水に、セレネは手をつけなかった。グラスの縁を指先で一度なぞって、それから口を開いた。
「なんかおかしな気分です。お互い、相手のことばっかり知ってて。ちゃんと話すんは初めてやのに」
「たしかに……。私、なんか勝手に知り合いみたいな気分でした」
そうルミナが言うと、セレネは少しだけ肩の力を抜いた。
「改めて。セレネです。……本名は、佐藤美月。よろしゅう」
私とルミナもそれに応じる。
「夕凪空です」
「朱野ルミナです! 私も本名です。あの、配信よく見てます! すごく、綺麗なミラージュで、視聴者さんもいっぱいいて、すごいと思って」
「ふふ、おおきに」
セレネが少しだけ笑った。でも、すぐその笑みを消して真剣な表情になる。
「……早速、なんやけど」
空気が変わった。たぶん、ここからが本題。
「炎上の件。少しは落ち着いたんかな」
いきなり、その件か。
私は思わず身構える。ルミナの肩も、わずかにこわばった。
「……はい。だいぶ」
「そう。よかった」
セレネは目を伏せた。それから迷うように間を置いて、続けた。
「あれな。火ぃ大きくしてたんの中に、うちのファンがおったんよ。あなたを蹴落とせば、うちが上にいける、て。そう思い込んで。だから、今日はそれを謝りにきたんよ」
驚いた。たしかに、炎上を煽っている人たちの中に、妙に手際のいい一団がいるのは気づいていた。
でも。
「そんな、セレネさんは何もしてないじゃないですか」
ルミナが首を振る。そう、セレネ自身は何もしていない。
「うん。そうやね」
セレネは苦く笑った。
「せやけど、知ってしもたから」
そこで言葉が途切れる。セレネは視線を落として、水の入ったグラスを見た。
「知らんふりも、できたんやろうけどな」
小さくそう言ってから、顔を上げる。
「それは、なんか違う気ぃしたんよ」
少し沈黙が落ちた。
「……なんで、そこまでしてくれるんですか」
ルミナがぽつりとこぼす。
「だって私なんて……」
ルミナは少しだけ視線を落とした。
「正直、セレネさんからしたら、私なんて気にする相手じゃないと思ってました」
即座にセレネが答えた。
「なに言うてんの」
そう言ってセレネが顔を上げる。先ほどまでの気まずそうな感じはない。はじめて、まっすぐにルミナを見た。
「うち、あなたのこと、ずっと脅威やと思てるよ」
ルミナが、ぽかんとした。
「……え」
「当たり前やん。薄ミラで、可愛くて、ぐんぐん伸びて。投票も、ごりごり追い上げてきとる。……気にならへんわけ、ないやろ」
私は内心意外に思っていた。実際、セレネは数字の上でルミナよりずっと格上だ。まだまだ、手が届く位置にはいない。なのに、ルミナを対等な存在だとみている。
セレネが、ふっと自嘲するみたいに笑った。
「うちな。こういう素の顔やと、ほんま、なんもないねん。地味で、華もなくて。せやからぜんぶ作ったんよ。あの白銀も、毒も、隙のなさも。盛って盛って、やっと見てもらえる」
グラスの水面を波立たせるように、指で小さく揺らす。
「そやのに、あなたは」
セレネが、ルミナを見た。
「初めて見たとき……正直、この子、伸びるやろなって思ったんよ」
「え?」
「可愛い。歌もうまい。トークもおもしろい。しかも薄ミラやろ。強い要素ばっかりや」
セレネはそこで、少しだけ笑った。
「そら、気にもなるやろ」
それから、声を少し落とす。
「……うちが何年かけても手に入らへんもんを、あなたは、たくさん持ってる」
「そう、言って貰えると嬉しいです」
ルミナは少し困ったように笑った。
「でも良いことばっかりじゃないです。この見た目で、勝手に決めつけられることが多かったから」
「……そやったんやろね」
セレネは静かに頷いた。一度言葉を切ってからまた、続けた。
「それでも、うちは羨ましかったんよ。嫌われるんが怖くて、全部作った人間からしたら。そのまま前に出られる人は、やっぱり——眩しいんよ」
ルミナは、すぐには何も返せなかった。ただ、驚いた顔でセレネを見ている。
だけど、しばらくして、ポツリと言った。
「……私は、作らないんじゃなくて、作れないだけです。だから、セレネさんみたいに、なりたい自分をちゃんと形にして、前に立てる人の方がずっとすごい」
それを聞いて、ふと思う。
ルミナとセレネは、少し似ているのかもしれない。
二人は、自分に足りないものをお互いの中に見つけている。
作らずに前へ出られる強さと、作り上げてでも前へ立つ覚悟。
正反対のようでいて、どこかで繋がっている。
そのあと、二人は少し照れくさそうに笑い合った。
それから、好きなもののことや、ステラになった理由や、推しのステラの話をした。
私はその会話を、たまに相槌を打ちながら聞いていた。
「それでね」
30分ほど話した後、セレネがそう言って背筋を伸ばした。さっきまでの緊張は、もう抜けていた。
「お詫び、といったらあれなんやけど。……うちと、コラボせえへん?」
突然の提案に驚く。こちらとしては人気ステラとのコラボは願ってもないが、正直セレネ側にメリットがあまりないだろう。……ああ、だからお詫び、なのか。
ルミナの目が丸くなった。
「うち、あんたとなら結構、おもろいことできるんじゃないかと思っとるんよ」
セレネはそう言って少し笑った。
「謝るために来たんは本当や。でも、それだけやない」
まっすぐルミナを見る。
「話してみて、改めて一緒に配信してみたいと思ったんよ。だから、よかったらどうやろ」
ルミナは、すぐには答えなかった。ちらりと私のほうを見る。
私は何も言わず、ただ小さく頷いた。あなたが決めていい、と。
ルミナは、もう一度セレネに向き直った。
「やります。コラボ」
セレネが、ふっと息を吐いた。
「……おおきに」
帰り際、扉のところでセレネが振り返る。
「あ、言うとくけど。コラボはコラボやで。賞は、うちがもらうから」
ルミナが即座に返した。
「私だって、負けません!」
ふたりが笑う。
その横で、私はもう、コラボの内容を考え始めていた。




