17「かわいいのは生まれつき」
ルミナに泣きつくという、大失態をやらかしたその日。
私は何日かぶりに、ぐっすり眠れた。
そして翌朝。
目が覚めた瞬間、私は布団の中で頭を抱えた。
……何をしているんだ、私は。
昨日のことを思い出す。ルミナの肩に額を押しつけて。あろうことか、泣いた。そりゃもう、みっともなく。
精神年齢で言えば、私はルミナよりずっと上。その私が。
それが女子高生の肩を借りて泣くとは。
客観的に見たら、だいぶあれな絵面ではないだろうか。
終わっている。穴があったら入りたい。
私は足をじたばたさせて悶えた。
……だけど、正直なところ。救われた。そんなことを感じる自分もいて。
気分はスッキリしていた。
その日の夜。ルミナが一枚の紙を持って、私の部屋に来た。
「これ。復帰配信の企画書。書いてみたんだけど……どうかな?」
恐る恐るといった感じで、差し出されたのはルーズリーフ。丸い字で、タイムテーブルが書いてあった。挨拶、近況報告、コメント返し、歌。それから所要時間。
下の方には、どんなコメントが来るかの想定と、その返しまで書いてある。ルミナが傷つくだろう言葉も並べられているのは、たぶん、覚悟なんだろう。
「どうかな。へんなところ、ある? そらが見たら直したいとこ、いっぱいあるよね」
あった。
正直、いくつもあった。
私なら復帰直後に歌は持ってこない。コメント返しも長すぎる。炎上については触れないようにする方がいい。
でも。
「……ううん。一個もないよ」
ペンを置いた。
「このままでいい。ルミナがいいと思った順番で、やろう」
ルミナが、きょとんとした。
「え、えー? ほんと? な、なんか調子狂う。いつものそらなら絶対、ここだめ、こっちも、って真っ赤になりそうなのに」
「そんなことしないよ。前も言ったでしょ。これはルミナのチャンネル、なんだから」
手を入れないこと。それが、いま私にできるいちばん難しいことだった。全部やってあげることが守ることだと、ずっと思っていた。
だけど違った。隣で口を出さずに見ている。そのほうが、ずっと力がいる。そう気づいた。
ルミナは企画書を抱えて、むー、と唸りながら何度も読み返していた。
その横顔を見ていて、ふと思い出した。
小さいころのルミナだ。
近所の子たちに無視された日。家に帰るなり私の部屋に飛び込んできて、何も言わずに泣いていた。
理由を聞いても首を振るだけで。私は困って、お菓子を出したり、テレビをつけたりして。
結局最後は、隣に座って頭を撫でていた。
あのころから、私はずっと、この子を見てきた。
そこで、ようやく気がついた。
前世で私は誰かに見つけて欲しかった。認めて欲しかった。だからその手段としてあの人に歌って欲しいと願った。
でも、ルミナは違う。
ルミナのことは、全部知っている。声も、字の癖も、泣き方も、抜けてるところも。全部。
この子は、前の続きじゃない。代わりでもない。
たぶん、気づいていなかっただけで。
ずっと前から——。
ルミナが帰った後、ひとりで譜面に向かった。
あの紙の歌詞に、メロディを乗せてみる。サビの手前、暗くてジメジメする、入り口の言葉に。
あれだけ、悩んで、詰まっていたのに。苦しみながら書いた歌詞と、そこから進めなかった音。
それが今は。
するりと、出た。目の前に旋律が浮かんで、それをなぞるみたいに、自然に。驚くほどあっさりと。
一晩で、かたちになった。
自分でも信じられず、最後の音を打ち込んでからもしばらく、私は画面を見つめていた。
翌日、それをルミナに聴かせたら、黙って何度も聞いて、それから「やっと、続きが聴けた。やっぱりそらの曲は最高だね!」と笑った。
配信当日。いつもの部屋、いつもの位置。ルミナがマイクの前に座って、私は、画面の外、カメラの映らない場所にいる。
ルミナが、こちらに視線を向けた。少しだけ不安そうに。
「……ねえ、そら。ちゃんと見ててね」
「もちろん」
画面には映らない。でもルミナの近く。手を伸ばせば届く、すぐ隣に。
「ぜんぶここから見てるから。行っておいで」
ルミナが息を吸って、私は配信開始のボタンに指を伸ばす。
その指は、もう震えていなかった。
画面のすぐ外で、そらが頷くのが見えた。ぜんぶ見てるから、と。
配信を始める前、いつも少しだけ頭にひやっとしたものがよぎる。
でも今日は、その奥に、ぎゅっと固いものが混じっていた。
画面の向こうには、何人いるんだろう。私を嫌いになった人。面白半分で残ってる人。心配してくれてた人。ぜんぶ、混ざってる。
もう一度だけ、そらに視線を向ける。
「3、2、1——」
いつものようにカウントダウンをしながら、そらが微笑んだ。
だから、飛び込めた。
配信開始。
『……お久しぶり、です。ルミナです。心配かけて、ごめんなさい』
コメントが流れ始める。速い。
《おかえり》も《炎上してるやつ、ほんとか?》も《いじめられっ子だったのか》も、ぜんぶ一緒くた。
いつもなら、優しいのだけ拾ってた。そらも消してくれてた。
だけど、今日はしない。全部、受け止める。
『いろいろ出てたよね。みんなの中にも見た人、いるかな。キャラは作ってるとか、学校じゃ一人とか、……そらに寄りかかってるだけだ、とか』
コメント欄が、一瞬しんとした。自分から触れると思ってなかったんだと思う。
『正直言うと半分は、ほんと、です』
息を、吸う。
『キャラは作ってません。髪も染めてません。生まれつきです。あと……かわいいのも、生まれつきです』
コメントがどっと流れた。
《草》
《そこは譲らないのか》
《強い》
ちょっとだけ笑いが起きる。
『あとね』
膝の上で握った手に力を込める。
『学校で一人なのも、本当です』
流れていたコメントが少しだけゆっくりになった。
『昔から、人と話すの得意じゃなくて。今もそんなに得意じゃないし。嫌なこと言われて、泣いて帰ったこともいっぱいありました』
『それで、そのたびに、そらに助けてもらってました』
泣きながら部屋に飛び込んだ日。
何も言えなくて、ただ隣に座ってもらった日。
ずっと、守られてきた。
『だから、みんなが言ってることも、少しは分かります』
『私は、そらにたくさん助けてもらいました』
そこで一度言葉を切る。
『でも』
たくさんの想いがあふれる。だけど、言葉は迷わなかった。
『それだけじゃダメだって思ったんです。そらから貰ってばかりじゃダメだって』
『私は、そらの隣に立ちたい。自分の足で』
『それを応援してくれる人にも、心配かけた人にも、ちゃんと見せたいです』
『配信で見せてきた私も、本当だから。みんなと話して楽しかったこと、笑ったこと、歌うのが好きだって思えたこと。みんなが面白いって言ってくれたことも、歌が好きだって言ってくれたことも、全部、本当です』
『だから……。私、頑張るから。みんなに、それを見ていて欲しい』
言い切った瞬間。
膝の上で握っていた手から、ふっと力が抜けた。
正直、怖い。みんなの反応が。
でもダメでもまたゼロから始めればいい。そう思えた。
……だけど、その最悪の想像は裏切られて。
コメントが一拍止まって、それから、どっと溢れた。
《言うようになったじゃねーか》
《好き》
《おかえりルミナ》
《リアルなんて関係ないよ》
《ずっと見てるよ》
《そらルミてぇてぇ》
流れる速さは同じなのに、先ほどまでとは色が変わっていた。温かくて優しい色。
だから、私は切り替えるように明るい声で言った。
『……なんて、ちょっとしんみりしちゃったけど。要は——心配かけてごめん。これからもよろしくね、ってこと!』
コメントで総ツッコミが入る。
画面の外で、そらが小さく吹き出すのが聞こえて。わたしも、つられて笑った。
そこからは、拍子抜けするくらい、いつもどおりだった。
コメントを拾って、笑って、たまに言い返して。離れていた人が、ひとり、またひとりと戻ってくる。
【星見当番】さんが《ずっと待ってた》ってコメントをくれたときは、さすがにちょっとだけ、声が詰まったけど。
しばらくみんなと会話した後、時計を見ると、自分で書いたスケジュールの予定時間を大幅に超過していた。
慌てて次のコーナーを宣言する。やっぱり自分で考えるのってむずかしいなぁ。でも、私の配信は 【脱線:歓迎】だから問題は無い、はず。
『さて、次はね。歌います! 準備してる新しい曲の――まだ最初のところだけ、だけど』
サビは、前に配信で歌ったし、ショートでも出した。でも、その手前は、まだ誰も知らない。そらが一晩でメロディをつけてくれた、この部分。
そらの続きを、今、わたしが歌う。今度は、一人で抱えさせないために。
寂しいけれど、それだけじゃない。いつか届くと信じて祈り続ける。そんな始まりの曲を。わたしの声で。
『流れ星が降る夜に、一人で空を見上げてる——』
コメントが、止まった。ほんとうに止まった。聴いてる人の手が、止まったのがわかった。
画面の外では、そらが口元を手で押さえているのが見えた。
……隠してるつもりかもしれないけど。ぜんぶ見えてるよ、そら。だって、目元がキラキラ光ってるもん。
翌日。いつものように教室の机で授業の準備をしていると、言葉の破片が耳に入った。
例の金髪、まだ来てるんだ。配信のあれ、見た? くすくす、と。
あ、また言われてる。
胸の奥が、少しだけちくりとした。
——でも、それだけだった。
昔なら、こうはいかなかった。誰が言ったんだろうって、一日中、教室を見回して。家に帰っても、布団の中でずっと考えて。明日、学校行きたくないなって。
なのに今は、なんにも残らなかった。すうっと、通り過ぎていく。
内容も相手も、もう、どうでもよかった。
だって、わたしの世界は、もう、この教室だけじゃないから。
わたしは前を向いた。
窓から見える空が、透き通るように晴れていた。
夜。配信が終わった後、ルミナを送り出して、ひとりアーカイブを整理していると、通知が一件。
送信元は——セレネ。
今、最も一番星に近い、白銀の姫からのダイレクトメッセージだった。
『はじめまして、セレネです。突然ごめんな。ちょっと、うちから謝らなあかんことがあって。もしよかったら、少しだけ現実で話せへん?』




