14「守りたい」
配信を止めて、4日が過ぎた。私はその間、体調不良ということにして学校を休んでいた。土日を挟んでいたから、今のところ大きな問題にはなっていない。
ルミナは約束を守って、ネットは見ていないようだった。
学校にはいつも通り通っている。放課後には毎日まっすぐ私の部屋に来た。
その日も、制服のまま部屋に上がってきたルミナを、私は机に張りついたまま迎えた。来た、と気づいてはいた。でも画面から目を離せなかった。今ここで離したら、何かを見落とす気がして。
心配をかけていることは分かっていた。
それでも、ルミナが傷つく方が、ずっと怖かった。
「そら、根詰めすぎだよ。ちょっと、休も?」
うん、と生返事をして、私はまた画面に戻った。ルミナが所在なげに部屋をうろついているのが、視界の隅に映っていた。
「……ねえ、そら。これ、なに?」
しばらくして声がかかる。振り返ると、ルミナが一枚の紙を手に持っていた。
部屋の隅。重ねた資料の、いちばん下。くしゃくしゃに丸めて押し込んで、忘れたふりをしていた、紙。
それが何か、一目でわかった。
ルミナが五等星に上がった日。
フルを歌いたいという言葉に返した、「ちゃんと、作るから」。
その約束を頼りに、気づいたら、私はペンを走らせていた。サビしか書けなかったはずの、あの曲の。ルミナのためならかけるはずだと、自分を奮い立たせて。
でも、書き上げて、読み返して――ぞっとした。
出てきたのは、待っているだけの歌だった。家の中から、夜空に祈りをこぼすだけの。受け身で、後ろ向きで。……昔の私、そのままの。
こんなもの、ルミナの想いへの答えになんて、なるわけがない。こんな暗くて湿った歌詞。
書けた訳じゃなかった。こぼれて、しまっただけだった。
だから丸めて、いちばん下に押し込んだ。なかったことにした。
「だめ、それ。返して」
手を伸ばしたけど、ルミナはもう、読み始めていた。
止める間もなかった。ルミナの目が、文字を上から下へ追っていく。
取り上げたかったが徹夜が思ったより堪えていたらしい。もう、どうにでもなれという気持ちになっていた。
ルミナはしばらく、黙ってそれを読んでいた。
それから、顔を上げて。
嫌な顔をするだろうか。それとも、ルミナは優しいから作り笑顔をしてくれるだろうか。
どっちでも、なかった。
ルミナは紙を、そっと胸に当てるみたいにして、言った。
「……これ。そらの作った曲の歌詞だよね」
「……」
ルミナは、小さく続けた。
「寂しい、曲だね」
その言葉に、私は少しだけ目を伏せた。
やっぱり、そう思う、よね。暗いし、後ろ向きだし。
こんなのを見せたかったわけじゃない。
そう思ったのに。
「でも」
ルミナは紙を抱えるようにして、続けた。
「私、この曲、すごく好き」
「……え?」
「みんなはサビを好きになると思う。あ、私もサビ好きだよ? きらきらしてて。……でもね」
そこで一度言葉を切って。ルミナは、まっすぐ私を見た。
「私は、この手前のところ。この寂しいところが――いちばん、好き」
そう噛みしめるように言うルミナに、私は何も返せなかった。
その夜。ルミナを送り出したあと、私はひとり、机に座っていた。
しわを伸ばしたあの紙は、いちばん下の引き出しにしまった。
それから、画面に向き直る。
この4日間、どれだけ手を動かしても、景色は変わらなかった。
私が削った分だけ、別の場所で増えていく。
だけど手を止めたら、何かに追いつかれる気がして。だから止まれなかった。更新して、通報して、また更新する。意味があるのかどうか、もうわからない動作を、ただ繰り返した。
炎上を広げているのは、たいていが面白がっているだけの人間だった。
ただ、その中に、妙に手慣れたアカウントがいくつか混じっていた。火の回りやすい言葉を選んで、薪をくべていく。
ただのゴシップ好きかもしれない。あるいは、ルミナが一番星の候補に入ったことを、面白く思わない誰かかもしれない。
どちらにせよ、今の私に止められるものではなかった。
もはや、一人の力じゃ限界に思えた。
それでも。
それでも――何か、やれることはないか。
夜中、画面を睨みながら、私はそればかり考えていた。何でもいい。この手でできることが、ひとつでも。
考えて、考えて。たどり着いたのは、ひとつだけ。
火を点けた、最初の一人を突き止める。
それで何がどうなるのか、何も考えていなかった。ただ、それなら私の手でできる。動いていられる。それで、よかった。
炎上元のポストを、ひたすら遡った。引用、まとめ、フォロワー。別のSNSのアカウントも探して、過去の書き込みを片端から拾っていく。言葉の断片から、人物像を浮かび上がらせる。
ほとんど眠らずに、探し続けた。
丸一日かかって、ようやく輪郭が見えた。
ルミナと同じクラス。
ルミナとは話したこともないはずだ。だけどそのアカウントは、ずっと前からルミナの配信を追っていた。
それも――ルミナを、ではなく。
画面の隅に、たまに映る、私を。
古い書き込みを遡るほど、熱の向きが見えてくる。書き込みのほとんどが、ルミナよりも私についてだった。
《なんであの子ばっかり》
《幼馴染ってだけで、ずるい》
……ああ。
断定なんてできない。他人の心の中なんて、本当のところはわからない。でも、並べてみれば、そう読むのがいちばん自然だった。
この火は、ルミナを憎んで点いたんじゃない。
私に向いていた何かが、こじれて、裏返って、ルミナを焼く火になった。
目に焼きついた言葉が、繋がる。
利用されてるだけ。隣にいれば人気になれる。あれはただの煽りじゃなかったのかもしれない。私をルミナから引き剝がしたかった、誰かの。
指先が、冷えた。
……私だ。
私が隣にいたから。私が、ルミナの隣にいることを選んだから。それを面白く思わない誰かがいて、その感情が、行き場をなくして、ルミナに向かった。
ルミナへの悪意になら、いくらでも身構えられた。でも、これは違う。私が、私であること自体が、火種だった。
守るも何も、なかった。
私がルミナを焼いていた。
特定はできた。やろうと思えば、できることもあった。
報復とばかりに、この人物の情報をネットの海にばらまく、とか。
でも――やったところで、どうなる。
仮にこの一人を黙らせたとして、火は消えるか。消えない。
炎を大きくしているのは、もうこの一人じゃない。面白がって群がった、顔のない大勢だ。最初の一人を叩けば、今度は私が「晒した側」になって、新しい燃料になるだけだ。
それに。もしこれを公にして、現実の教室で、この子が吊るし上げられたら。
……ルミナを守るために、ルミナがいちばん嫌う方法を使う。そんなの、守ったことにはならない。
結局、私は特定した情報を、フォルダごと削除した。
こんなものを握っていたところで、この火は、消せない。
切れない手札を握りしめていても仕方ない。
――私は結局、この数日間、意味のないことをしていた。
そんな考えが頭をよぎった瞬間に、ふっと全身の力が抜ける。
……だめだ。今ここで止まったら。
動き続けることだけで、自分を、ぎりぎり保ってきた。止まった瞬間に、私の中から出てくる黒い何かに飲み込まれる気がした。
だから、動け。手を、動かせ。
私が止まったら、誰が、ルミナを守る。
私しか、いないのに。
奥歯を噛んで、私は、マウスに指をかけた。
その指が、細かく、震えていた。
冷蔵庫は空のまま。何日も、ろくに寝ていない。だけど、やらなきゃ。
私は、震える手を、もう片方の手で、強く握りしめた。
ルミナを守れるのは、私だけ、なんだから。
だけど、結局動かなかった。
できることが、もう、何もないと心のどこかで思ってしまったから。




