13「もぐらたたき」
それは、ある朝、突然だった。
いや、突然だと感じるのは、私が気づいていなかっただけだ。本当はもっと前から、予兆はあった。
起き抜けにスマホを確認して――私は、画面を二度、見直した。
ルミナの名前が、伸びていた。悪い意味で。発端は、あの投稿だった。
《これ、うちのクラスの朱野じゃない?》
大きくは広がらず、このまま流れていくと思っていた投稿。それを投稿した本人が、新しく長文を投下していた。内容からして、高い確率でうちの学校の生徒だろう。
そこには、ルミナの配信画面のスクリーンショットと、学校での様子が並べられていた。
《配信では明るくて人気者みたいな顔してるけど、学校じゃずっと一人》
《クラスで誰とも話してない》
《あれ見てると、配信のキャラ作ってるだけにしか見えない》
《普段の姿知っているときつい》
そんな暴露投稿。
それに同じ学校の生徒らしいアカウントが面白がって集まって、知っていることを少しずつ書き足していく。
《ああ、あの金髪の子か。めちゃくちゃ染めてる》
《夕凪さんといつも一緒にいる子だよね》
《たしかに学校だと全然別人》
一つ一つなら、どこにでもある噂話だった。誰かが言って、誰も反応せず、そのまま流れていくような。でも、数が集まると話は変わる。
断片だったはずの情報が、勝手に繋がり始める。そして、それを面白がった誰かが拾った。
《人気ステラ、同級生に正体を暴露される》
《配信では陽キャ、学校ではぼっちだった?》
そんな煽り文句がついた瞬間、元の事情なんて知らない人間まで集まり始める。
《こういうやついるよな》
《キャラ作りで稼いでるだけでは?》
《学校で嫌われてるなら理由あるでしょ》
《本当の性格はどっちなんだ》
引用が引用を呼ぶ。まとめが作られる。気づけば、それはもう学校の中だけの話ではなくなっていた。
でも、それは今まで私が消してきたものの延長だった。数が増えただけ。
私が本当に手を止めたのは、その先だった。
《というか、あの子本人がすごいんじゃなくて、夕凪さんがすごいだけだと思う》
《企画考えてるのも、編集してるのも、曲作ってるのも全部そっち》
《ルミナは横で笑ってるだけじゃん》
《正直、夕凪さんいなかったら何も残らなくない?》
《人気の理由ってほぼ夕凪さんでしょ》
……っ。
指先が冷えた。震える指で返信欄を開く。
《夕凪さんって、そらPか》
《たしかにそらPが有能なんだな》
《夕凪さん利用されてるだけじゃん》
《かわいそう》
《隣にいれば人気になれるもんな》
《悲報 ルミナ寄生虫だった》
《これもう、ルミナじゃなくてそらPのチャンネルでは?》
胃の奥が、重くなる。これは、ただの悪口じゃない。
ルミナ自身を叩いているようで。
本当に叩かれているのは――ルミナが積み上げてきたもの全部だった。
半年かけて手に入れたものを。歌も、努力も、成長も、笑顔も。全部、「隣にいる私のおかげ」の一言で片付けている。
そして、いちばん最悪なのは。これはきっと、ルミナに刺さるということだった。
容姿のことなら、ルミナは耐える。今まで言われてきたことだから、と。
孤立のことも、きっと耐える。学校で一人なのは事実だから、と。
でも、これは違う。
ルミナがずっと抱えているもの。誰よりも気にしていること。それを、正面から抉っている。
――私は、そらの足を引っ張ってないだろうか。
――私なんかが隣にいていいんだろうか。
――私なんていない方が良いんじゃないだろうか。
ルミナは昔から、そういう不安を抱えている。だから、もしこれを読んだら。怒らないし、反論もしない。
「やっぱりみんなもそう思うよね」
たぶん、そう言うだろう。寂しそうな笑顔で。
それを想像して、ぞっとした。
……これだけは。
これだけは、絶対に見せられない。
私は、すぐにルミナに連絡を取った。幸い、本人は、まだ気づいていなかった。朝の支度をしていたらしい、のんきな声が、返ってきた。
『んー? どうしたの、そら。朝から珍しいね。もしかして、寝坊でもした?』
「ルミナ。今日、配信休みにしよう。あと……しばらく、エゴサも、SNSも、禁止。ネットも出来れば見ないで」
一瞬の、沈黙。
『……なんか、あった?』
ごまかせない、と思った。でも、内容までは、言えない。
「うん。ちょっと荒れてる。でもすぐ収めるから。だからルミナは、何も見ないで欲しい。約束して」
また、沈黙。さっきより、長い。
『……うん。わかった。私、見ない。そらに、任せる』
素直すぎる返事が、かえってつらかった。
「……ありがとう。すぐ、終わらせるから」
半日、私は、画面の前から動かなかった。
通報できるものは通報した。個人情報の拡散、誹謗中傷、無断転載。理由を変えて、出せる場所には全部出した。チャンネルに飛んでくる流れ弾は、片っ端から消した。火元の投稿にも削除依頼を送る。やれることを、片端から潰していく。
でも、ひとつ消すたびに、別のところで2つ、3つと、同じ画像が貼り直される。私のチャンネルの外は、私の領分じゃない。削除依頼に応じるかは、向こう次第。叩いても、叩いても、手応えがない。
今まで、私が「消せていた」のは、それがたまたま私の手の届く範囲に収まっていただけだった。
その範囲を超えてしまえば。
……私は、こんなにも何もできない。
画面の中で、ルミナの名前が、知らない誰かたちの間で転がされ続けている。守りたいものが、すぐそこで傷つけられているのに。手が、届かない。
それでも、止まれなかった。
画面を更新して、通報して、削除依頼を送る。何度も、何度も同じことを繰り返した。
その日の夜。
やれることを、やり尽くした。それでも火は、消えなかった。
私は、自分の部屋で、冷めきったコーヒーの前に座っていた。
立ち上がって、冷蔵庫を開ける。
……何も、入っていなかった。
空っぽの庫内が、ぶうん、と低く鳴っている。私はしばらく、その音を聞いていた。扉を閉めて、また椅子に戻る。
スマホが震えた。
ルミナだった。
『そら、大丈夫?』
……ああ。
守られるべき側の、この子に。守る側の私が、心配されている。
なんて返そう。
指が止まった。
いつもなら、間を置かずに「大丈夫」と打てるのに。今は、その三文字が、どうしても出てこなかった。
大丈夫だと、嘘をつくことすらできない。
画面の上で、指が止まる。
……ああ、そうか。
止まっているのは、指じゃない。
たぶん、私のほうだ。




