12「スパチャ」
夏の名残を残した風が、いつの間にか涼しさを帯びていた。夜の空が、少しずつ透明さを取り戻しはじめるころ。
プリマステラの投票期間が、始まった。
今日、プラネタリアの公式から、正式に告知が出た。これからおよそ半年、秋から冬を越えて、春まで。視聴者は、自分の推しに、一人一票を投じられる。いちばん多くの票を集めた新人ステラが、その年の一番星だ。
投票開始のページを開きながら、私は、ほんの少しだけ、感慨にひたっていた。
半年前、ルミナの初配信は、同時接続が3人だった。私と、たまたま通りかかった2人。
それが、どうだ。
気づけば、年に一度の新人賞の、その候補に名前が載っている。
半年で、ずいぶん遠くまで来たものだ。
「半年かあ……。長いね」
投票開始の画面を覗き込みながら、ルミナがそわそわしている。
「そうだね。だから焦らず、毎日の配信をしっかりとやっていこうか」
「それだけでいいの?」
「うん。……バズで集まった人は、どうしても入れ替わりが激しいから」
「ふんふん?」
「だから、そういう人たちに、ルミナのトークと歌で『また来たい』って思ってもらおう。半年後まで残ってくれたら、それが票になる」
「むずかしいこと言うなあ」
「つまり、いつもどおり配信しようって話」
「最初からそう言ってよー」
「言ってたでしょ」
「そうだっけ?」
そう言ってルミナがくたっと笑った。
これは、慰めとかじゃない。人の心に何かを残すことにかけては、この子は、私が知る誰よりも上手いと思っている。
「……うんなら、私、いつもどおりがんばるね」
ルミナは、ぎゅっと拳を握って、頷いた。
投票期間に合わせて、私は、ひとつ、設定を変えることにした。
スーパーチャット――いわゆる、投げ銭の機能を、オンにする。今までは、ずっと切ってあった。
「すぱちゃ? それって、視聴者さんがお金くれるやつ……だよね? え、いいよ、私、そんなの。お金とか、もらえないよ」
案の定、ルミナは、ぶんぶんと首を振った。
「うん。だと思って、今まで切ってた」
本当のところを言えば、私が切っていたのは、ルミナのためだった。この子は、自己評価が低い。お金なんて入ってきたら、「こんなの、もらえない」と気に病むに決まっている。数字や金額に振り回されて、配信を楽しめなくなったら、本末転倒だ。だから、余計なものは、見せないでおいた。
……でも。
「ルミナ。もらうかどうかは、置いといていい。使い道がないなら寄付とかでもいい。ただね」
私は、少し考えてから、言葉を選んだ。
「投票が始まると、応援したい、って思ってくれる人が増える。その気持ちに、ちゃんと形を持たせたい人もいるんだ。一票だけじゃ足りない、もっと何かで力になりたい、っていう人がね」
「……形?」
「うん。お金は、その人の『応援したい』を、いちばん分かりやすくした形のひとつ、ってだけ」
これは嘘ではない。ただ、綺麗な面だけを切り取った言い方でもある。
プリマステラは投票で決まる。だから、スパチャの額そのものが票になるわけではない。
ただ、手っ取り早く人気を広げるなら、等級を上げるのが一番早い。等級が上がれば、おすすめにも乗りやすくなるし、「見る候補」に入れてくれる人も増える。
そしてプラネタリアの評価システムには、おそらくスパチャも含まれている。重みは分からない。でも、そこに可能性があるなら、使わない理由はない。
綺麗事だけで勝てるなら、それが一番いい。でも、舐めプして負けました、ではお話にならない。
それを聞いたルミナは、しばらく、考えていた。それから、ちょっと不安そうに、頷いた。
「……わかった。そらが、そう言うなら。でも、私、もらっても、無駄にしないからね。ちゃんとみんなのためになるようにするから」
「うん。それでいい」
こういうところだよ。この子が伸びてるのは。
ルミナの合意を得て、私は、スーパーチャットをオンにした。
その解禁初日の配信で、ちょっとした事件が起きた。
いや、事件というか――めでたい話なんだけど。
雑談配信の途中、画面の端に見慣れない表示が、ぴょこんと現れた。色のついた、ふだんより目立つコメント。
オンにしたばかりの、スーパーチャット。その、記念すべき第一号だった。
送り主は、【星見当番】。
……その名前を見て、私は、やはりかと思った。
星見当番は、古い常連だ。それこそ、ルミナの同接が2桁にもなっていなかった、いちばん最初の頃からずっといる。毎回、配信が始まると、まっさきに『本日も着席しました』とコメントを置いていく、皆勤賞の視聴者。ルミナが歌っても、ゲームをしても、いつも静かに、そこにいた。
その人が、スーパーチャットを送ってきた。
金額は――1万円。
初スパチャで、いきなりこれか。短いメッセージが添えられていた。
《ずっと応援してます。投票も、もちろん入れました。これはほんの気持ちですが》
ルミナが、それを見て、固まった。
『……え。えっ? えええっ!? い、いちまんっ!? いちまんえん!? う、嘘でしょ!?』
盛大に、取り乱している。桁を見て、完全に、頭が真っ白になっている。
《出た、初スパチャ》
《記念すべき第一号》
《当番さん、やはり一番乗りはあなたか》
《ふさわしすぎる》
《ルミナの情緒が忙しい》
『ちょ、ちょっと待って、いいの!? 私、お金もらえるようなこと、してないよ!? ただ喋ってるだけだよ!?』
画面の外で、私は、小さく笑った。そういう反応ができるのがルミナの良いところだ。
『あ、あの、星見当番さん……ほんとに、いいんですか? こんな……私なんかに』
ルミナの声は、少し震えていた。
『当番さん、いっつも、いちばん最初に来てくれて。私が全然喋れなかった頃も、ずっといてくれて。……私、あなたがいてくれたから、続けられたんです。お金より、それが、ずっと――』
そこで、言葉に詰まった。
コメントが、流れた。
《当番さん、泣いてるだろこれ》
《「本日も着席しました」の人だ》
《ずっと見てたもんな》
《こっちが泣くわ》
星見当番からの返信は、たった一行だった。
《これからも、特等席で見てます(号泣)》
ルミナが、ぐっと、唇を噛んだ。それから、深く、頭を下げた。
『……ありがとう、ございます。大事に、します』
その、頭を下げたルミナの画面に。
ぴょこん、ぴょこんと、続けて、色のついた表示が、現れはじめた。
《当番さんに続けー!》——五百円。
《初スパチャ記念です》——千円。
《いつも元気もらってます》——三千円。
《私もずっと見てました!》——五百円。
星見当番が口火を切ったのを合図に、それまで黙って見ていた常連たちが、次々と、応援を、形にしはじめたのだ。
『えっ、ちょっ、ま、まって!? みんな!? なんで!? えっ、また来た!? わーっ、止まって、止まってぇ!』
ルミナが、画面の中で、わたわたと両手を振り回している。次から次へと現れる表示に、目が、ぐるぐるしている。
《ルミナのキャパ完全に超えた》
《あわあわしてるの可愛い》
《情緒、木っ端微塵》
《みんな優しい世界》
《一人ずつ読も? ね?》
『よ、読みます! 読みますから! ちょっとだけ、待ってください! あの、えっと、上から……ひっ、また増えた!』
画面の外で、私は、もう、笑いをこらえきれなかった。
半年前、同接3人の前で、ガチガチに固まっていた子が。今、こんなにも応援してくれる人たちに囲まれて、嬉しい悲鳴をあげている。
……よかった、ほんとに。
ひとしきり取り乱したあと、ルミナは、ひとつ、ひとつ、丁寧に、名前を読み上げて、お礼を言っていった。涙目で、鼻をすすりながら。それでも、一人も、飛ばさずに。
配信が終わったあと。
ルミナは、しばらく、ぼうっとしていた。
「……そら」
「ん?」
「私さ、昔は、自分なんて、いない方がいいって、思ってたんだ」
ぽつりと、こぼすように言った。
「教室で、誰も話しかけてくれなくて。私がいてもいなくても、世界は何も変わらないって。むしろ、いない方が、みんな気楽なんじゃないかって、ずっと」
知っている。この子が、どれだけ長く、そう思ってきたか。私は、何も言わずに、続きを待った。
「でも……星見当番さんは、わざわざ、お金を払って、私を応援してくれて。そのあとも、たくさん……いっぱいの人が、そう言ってくれて」
ルミナは、手の中のスマホを、そっと、両手で包んだ。
「だから、私がここにいることに、ちゃんと、意味があるって。そう言ってもらえた気が、して」
顔を上げたルミナは、泣きながら笑っている。でも、その目は、今までで、いちばん、——強かった。覚悟の目。
「私、もう、いない方がいいなんて、言わない。決めた」
「……うん」
頭をよぎる言葉は山ほどあったが、私はそれだけ言った。それから、もうひとつ。
「よかったね、ルミナ」
「……えへへ」
その夜、ルミナを家に帰したあとも、私のスマホには、ルミナからのメッセージが、何度か届いた。
《スクショ撮った!》《見て、これ、私の初スパチャ!》《何回見ても、にやけちゃう》。
同じ画像が、何度も、送られてくる。
……まったく。よっぽど、嬉しかったんだな。
誰かに必要とされた、その最初の証拠を、何度でも確かめたくなる気持ちは、まあ、分からなくもない。私は、スタンプだけ返して、そのスクショを、自分のフォルダにもこっそり保存した。
投票も始まって、配信も好調で。ぜんぶが、追い風だった。
秋の、終わりかけ。ルミナは、確かに、見つけてもらえていた。一人ずつ確かな手応えとともに。
その夜も、私は、いつものようにネットの書き込みを見回っていた。
数は増えているけど、まとまりはない。いつもと変わらない程度の悪意。半分、ルミナの初スパチャの余韻に浸りながら、私は流し見していた。
そのときだった。
ひとつの投稿が目に留まった。誰かが、ルミナの配信のスクリーンショットを貼っていた。笑顔のルミナが映った一枚。そこには、こう添えられていた。
《これ、うちのクラスの朱野じゃない?》
……お。
来たか、と思った。薄ミラで、しかも本名で活動しているんだから、身バレのリスクは一応想定していた。
それにこれは他人のSNSの投稿だ。チャンネルのコメントみたいに、ぱっと消せるものじゃない。
だけど――正直、そんなに、危険ではないと私は判断した。
大事なのは、現実でルミナに実害が及ぶかどうかだ。そして、それについては、そこまで大事になることはないだろうと踏んでいた。
もしこれを見た誰かが、現実のルミナにちょっかいをかけようとしたら。そのときは、私が止める。今までもそうしてきた。ナンパも、しつこい同級生も、私が間に入って対応した。
現実の脅威なら、私の手の届く範囲だ。
それに――そもそも、だ。
ルミナは、学校でずっと一人だ。あの子に話しかける人間は、ほとんどいない。
良くも悪くも、クラスの中で「触れないもの」として扱われている。
それを見て、思うところがないわけじゃない。けれど、昔、私が余計なことをして、かえってルミナを傷つけたこともあった。
だから今は、本人が望まない限り、無理に手を出さないことにしている。
そんなルミナに、今さら誰かが、わざわざ踏み込んでくるとも思えなかった。
せいぜい、ちょっとした噂話のネタになって、すぐに忘れられるだろう。
私は、そう結論づけた。
ただ――ひとつだけ、引っかかったこともあった。
その身バレ投稿に、ぶら下がっていた、返信のひとつ。
《あー、いつも夕凪さんにくっついてる子か。夕凪さんも大変だよね》
……夕凪さん?
なんでここで、私の名前が出てくるんだろう。これは、ルミナの話のはずなのに。まるで、ルミナじゃなくて、私のほうを、気にしているみたいな。
……いや。
考えすぎだ。たまたま、同じクラスの誰かが、ついでに名前を出しただけだろう。私は、その小さな違和感を、軽く、頭の隅に追いやった。
念のため、それから何日か、私は、その投稿のことを、気にして見ていた。
でも――幸い、というべきか。それは、大して拡散もされないまま、すぐに他の話題に流されていった。数件のざわつきは、伸びることも、燃え広がることもなく、ただ、静かに、過去の投稿になっていった。
ほら、やっぱり。何も起きなかった。
私はその投稿を閉じて、スマホを伏せた。
――その考えが甘かったことを。
このときの私は、まだ知らない。
いつも読んで頂きありがとうございます。
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