88.外伝 ゲオルグ・ヴァレンタインの手記
最初の鳩が到着したのは黄昏時だった。
足環の小さな筒から取り出された紙切れには”至急”を意味する赤の縁取りがあり、
すぐさまフルオロ伯爵に届けられた。
一読した伯爵の指示により私たち秘書官の平穏な日常は吹き飛ばされた。
伯爵の口述を手紙にする。それを数十人が写すと密かに各地に散っていった。
この日伯爵が『良く眠っておけ』とおっしゃった意味を
翌日以降思い知らされる事になった。
日が昇りきった頃から次々に鳩が帰ってきた。
そのたびに伯爵は自室の大きな黒板に時系列ごとの情報を書き込んでいかれる。
確定情報、疑わしい物、明らかな虚偽、と分け、整理されている。
こちらからも各地に連絡を出している。
早馬、伝令船、そして伝書鳩。
王都の人間は鳩を食用としか見ないが、マンチェスは違う。
100年以上前から鳩を使った通信網を国中、一部は国外にまで広げている。
地方貴族派と呼ばれている貴族の中でも一部だけが知っている秘密であり、
私は数年前に知る事ができた。
この大きな黒板のある秘密の部屋に入れていただける栄誉と共に。
「王族を摂政なんぞにして権力を持たせるからこういう事になる。」
伯爵は張り付いたような笑顔、不機嫌な時の表情で私たちに告げた。
「私は失敗した。何故そうなったか、防げなかったかは後でゆっくり考える。
今は事態の収拾のみを考える事にする。君たちもそうしてくれ。
いつものように身分の上下は関係ない。生き残るために必要な事だ。」
私たち秘書官は地方貴族の子弟で王都の貴族学校を卒業した後
フルオロ伯爵の元に修行に来ている。
身分が絶対で上の意見には逆らわない、格式と礼儀を重んじる王都から
自由と実用を重んじるマンチェスに来た当初は随分戸惑ったものだ。
「忠告、警告、あれ程各所に出されたのに残念な事です」
今発言したのは半年前に入室を許された奴だな。
「結果として起こってしまった。私の失敗だ。これは認める」
…過去の事は言うなって事だよ。
お前はわからないかもしれないけど伯爵相当お怒りだぞ。
お怒りのせいではないだろうがその日から眠る事も食べる事も
まともに出来なくなった。
立ったまま食べ、議論し、隙をみて机に突っ伏して眠る日が続いた。
王都からの早馬が来た頃には地方貴族の方針は決まっていた。
王権派、地方貴族の領地を取り上げ、年金を与えて王都に住まわせようとする派閥、
お前達に従う事はできないと。
根拠は明白、クーデターにより先王と先の摂政、マンチエス辺境伯爵を殺害した
こちらには亡くなられた第一王子 フェルジナント様の遺児
マティアス王子様がいらっしゃる。こちらの方が正統である。
お前達に従う理由はない。反逆者ではないか。
早馬が来る前日には船で王子はマンチェスに入っていた。
異常な速さは王都近郊に潜ませていた獣人の船員たちが夜通し航行したからで
馬を何頭も乗り換えて来たらしい王都の使者は呆然としていた。
その後は地方のとりまとめに入った。
早馬が王都に戻る頃には行って帰って来れるという計算だ。
シャーフラントは一部を除き掌握する事に成功した。
その一行の話を聞いたのは
最後の町クロームで地元の貴族、有力者の歓待を受けていた時だ。
シャーフラント中央の不可触地域黒い森。
そこに住むのは辺境伯爵家も王家も干渉する事はできないエルフ達。
森に入り込んで連絡を取るだけでも大変困難な種族、
それが町に来ているという。
幸運ととるべきだろう。だが、その名前を聞いて私は一気に不安になった。
モイモイのバッチャ。人もドワーフも災厄と呼ぶ人物だ。
隊商が襲われた時、街道で死体が見つかった時、人々は
「モイモイが出た」「バッチャがやったのでは」と噂しあうのだ。
不安が顔に出たのだろう、伯爵が私に話しかけてきた。
「心配はないぞ。モイモイが最後に人を殺したのは10年以上前だ。
最近の襲われた殺されたは罪を擦り付けられているだけだ。」
「でも人を殺した事はあるんですよね。」
「襲われたから仕方なく、だった。
証人も大勢いて有名になったので君も知っているだろう。
見ていた吟遊詩人があっという間に18人、の歌を作ったというあれだ。
禁じられているのに森に入り込んで行方不明になっているのもいるらしいが
エルフではなく魔物にやられているのだろう。
あそこは人間が生き残れる所ではない。」
緊張しながら入ったホテルのロビーにそのエルフ達は居た。
予想していたのと全く違い、二人とも美しい女性の姿をしていた。
伯爵はその二人に軽く会釈をしたが、エルフは通路を挟んだ別のテーブルを
指さした。
不思議な光景だった。
明るい魔石の光の中で年端の行かない子供が髭もじゃのドワーフと
将棋を指している。
小さな子供なのに相当な実力なのは私にもわかる。
大勢が見ているのに少しも臆さず的確に駒を動かしている。
伯爵が感心して見入っておられるのも当然か。
そうしている間に、見事な追い込みで相手のドワーフが投了した。
何やら不敬な言葉を聞いたような気がするが伯爵は相手にされないので
私も聞かない事にしている。
その後、伯爵が声をかけられてどちらがバッチャか判明した。
もう一人はまだ若いエルフらしい。
将棋を指していた子供は旅の同行者でバルツ男爵の子息との事。
年齢を考えれば合格点を与えられる作法で挨拶してみせたので間違いないだろう。
契約違反の年季奉公に行かされそうなので、マンチェスに訴えに行くらしい。
「ジョージ、明日の船3人分余裕はあるな。」
伯爵は若い女性二人と小さい子供にしか見えない3人を船に乗せるらしい。
乗せる事自体に問題はないのでそう返事をする。
どうでも良いが私の本当の名前はゲオルグだ。
伯爵に私を紹介する時緊張した母が自分の生まれた国の読みでジョージと言ったため
ジョージとしか呼ばれなくなった。どうでも良い事だが。
伯爵がモイモイのエルフとの繋がりをなるべく大勢の人間に見せようとしている、
その意図に気が付いたのがクロム男爵の館に着いた後だった事に比べれば
本当にどうでも良い事だ。




