118.外伝 王都近郊にて
ドゥンケルハイト王国の王都近郊の村。
ひと際大きな商家は王族や貴族に食料品を納めているらしく、
それら御用達先の紋章を店先に掲げている。
立派な店の裏手には作業場があり、燻製の独特の匂いに満ちていた。
「王城内の捜索結果は変化なしか。これ以上は多分見つからないな
捜索が打ち切られるのも時間の問題か」
「青銅の燭台が溶けて変形する程の火事よ。人の骨らしき物があっても
誰の物かまでは分からないらしいわ」
工房の一室に居るのはバルツ男爵家に仕えるエノラだった。
「王権派の内部情報も変化なしか。指揮官を誰にするかで大騒ぎしている
ようだが」
「男爵風情の所まで降りてくる情報だからね。王族同士の権力闘争なんて
雲の上、聞こえる訳ないじゃない。」
「おいおい、辺境伯領を息子に継がすと張り切る主人に酷い言い方じゃないか
その息子はマンチェス攻めの先鋒で看板なんだろう」
「辺境伯から最も近い、血の繋がった甥だからね。
名目上はそうしてもらえるわよ。そんな事してマンチェスの使用人達、
特にフルオロ伯爵がどう思うか知らないけど。」
「破綻しかけた男爵領にテコ入れして、紡糸職人を移住させた話か」
「それもあるけどね。イリスお嬢様はまともなのよ。
なるべく実家に頼らないで、男爵家の財政でやっていける範囲で
やろうとされる。問題は…」
「男爵と息子か。困ったものだ。事情が事情だから辺境伯家も
厳しく言えなかったのだろう。」
「私の立場で、それについては何も言えないわ。」
エノラはバルツ家の内情を思い浮かべた。
バルツ男爵の第一夫人イリスはマンチェス辺境伯家の出。
庶流ではない、マンチェス家は代々一夫一婦だ。
富裕な辺境伯家と貧しい男爵家。
貴族社会で普通はあり得ない婚姻が成立した理由、
それはイリスが王族に婚約破棄されたからである。
現在行方不明の国王と先代の辺境伯爵(イリスの父)は
中央貴族と地方貴族の融和、政権の安定も考えて
第4王子マクシミリアンとイリスの婚約を決めた。
イリスが5歳になったばかりの頃である。
家のつながり、格からいっても問題なく、王族と姻戚にして
侯爵、あるいは公爵に昇爵させるのだろうと周囲も納得し
祝福した婚約、後は二人の成長を待つだけだ。
イリスが20歳の誕生日を迎える日、マクシミリアン主催で
大きな舞踏会が開催された。
誰もが結婚と式の日取りの発表だと思っていたのに大事件が起きた。
マクシミリアン王子が婚約を破棄すると発表したのだ。
理由は、無い事無い事のでっちあげ。
雑な扱いをされても耐え、婚約者として慎ましく振舞っていた
イリスに対し、あまりに酷な裏切りだった。
辺境伯爵家に対し国王から直接詫びが入ったが、
第一王子の立太子直後に後継者から外されたマクシミリアンに対し
遠慮があったのか、事件は有耶無耶にされた。
イリスのその後は大変だった。
あまりに多くの人が婚約破棄の現場を見てしまっていた。
世間体とか名誉を気にする家が王族から婚約破棄された娘を
婚姻相手に選ぶ事はなかった。
エルフの呪い、男女の出生数の差が顕著になっていた事もあり
相手が限定される女性貴族の結婚は難しい、イリスの格は高すぎた。
数年が過ぎた後、そんなイリスに近づく男がいた。
今は頭髪が薄くなり多少太っているが、当時は王都でも知られた美青年、
イリスは夢中になり、辺境伯父子、つまりイリスの父と弟は、は贖罪の気持ちから
身分違いの二人の仲を認めた。
エノラの身の上も激変させる事態だった。
バルツ男爵家なんて、エノラの実家の男爵家より貧しい田舎の家だ。
バルツ村に初めて行った時エノラは卒倒しそうになったし、
イリスは陰で泣いていた。
それでも実家のコネで紡糸職人を呼び男爵家の経済を立て直し、
その間に5人の子供を産んだイリスは理想の貴族女性だろう。
無理と言われながら跡継ぎとなる男児を産むまで頑張った。
その相手があれでは。
エノラはバルツ男爵の顔を思い出す。顔だけだな良い所は。
金目当てで女に近づく程の悪人ではない。緩いだけだ。
結婚の時、とんでもない借金をしていた。
イリスの持参金でも足りず、辺境伯家が補填する羽目になった。
その後財布をイリスが握る事で多少の援助は受けても
借金は増えなかったから金に緩いと言ってもたかがしれている。
女に関しても緩かったが、隣のノールド男爵の娘と
マンチェスから派遣してもらった回復魔法使いの娘以外は
イリスが手切れ金を払って話をつけた。
二人は妊娠してしまったし、相手の家や傭兵ギルドが黙っておらず
責任をとらされてしまった。
悪人ではない?
目先の誘惑に弱く、楽な方へ流れ、努力もせず多くを望む。
確かに悪行のレベルは低い気はするが、あれではどうにもならない。
フルオロ伯爵。死刑執行に立ち会う時も顔色一つ変えない悪人。
王族との婚姻もバルツ男爵と付き合う事も反対していた男は
今は何を考えいるだろう。
この状況なら辺境伯家を指揮しているのは間違いない。
黙り込んでしまったエノラに対し、男が声をかけた。
「イリスお嬢様とは幼馴染なんだろ?何とか止められないのか。」
「私が10歳、イリスお嬢様が5歳の時からかな。
何度も止めたけどダメだったわ」
「やっぱり自分の子供は可愛いのかね。従兄と言っても
マリーお嬢様とじゃ器量が違うのがわからないかな」
「その辺も分からないわ。
ねぇ、鳩が沢山入荷してるじゃない。何羽か譲って」
「鳩?あれはダメだ。大変な苦労をしてマンチェスから運んで来たんだぞ。
鶏と卵ならあるからそっちにしてくれ」
「わざわざマンチェスから運んで来てる?
あっちの鳩が本場で美味しいと聞いた事ないし、
マンチェスでは王都から運んで来たという鳩がいたけど。」
「そっちの鳩が良いっていう客がいるんだよ。
味の伝わり方でも違うんじゃないか?知らんけど」
「食通の客もいるもんだね。
鳩のローストが良いんだけどな、鶏よりコクがあって美味しいと思わない?
今度鳩肉も譲ってよ」
「ああ、今度な。情報が無いなら早めに帰れ。
食料の買い出しに来たという言い訳が通じなくなるぞ」
「馬鹿を言う。おしゃべりの時間も少し位無ければ却って疑われるってもんさ」
「そんなもんかね。とにかく疑われないようにな」
エノラは待たせていた馬車に乗って帰っていった。
王都の結構な部分が焼けたせいで近隣の村に避難したり、
買い出しに来る者も多く、全く目立たず不審がられもしなかった。
運んでこられた鳩は農家の鳩小屋に運び込まれた。
その小屋にはマンチェスから飛んできた鳩が沢山いた。
エノラさんはエルフ語で話す時は砕けた話方をします。王都付近でエルフ語を話す人は珍しく、密談に適しています。




