表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/34

重坂泉二が残しておいたもの

 土曜日の午後。

 昼食を済ませた重坂は、両手を枕代わりにして、床の上に寝っ転がっている。

 ――今日はお客さんが来る日。

 来訪予定の人間を待っているのだ。

 ピンポーン!

 チャイムの音が聞こえた。

 重坂は立ち上がり、インターホンの親機に向かって歩く。

 親機の画面を見ると、そこには、五十歳前後の夫婦と思われる男女が、映っている。

 どこにでもいそうな、地味な印象の男女である。

 ――この二人だ。間違いない。

「はい、重坂です」

 重坂はインターホン越しに応答した。

『須分です。こないだ話した件で、ここに来ました』

 男性の声が聞こえてきた。

「わかりました。少々お待ちください」

 重坂は玄関に向かった。


 重坂が扉を開けると、男女が入ってきた。

「おじゃまします」

 女の方が言った。

 男女は靴を脱ぎ、重坂と共に部屋に向かっていく。


 男女は須分考太の両親である。

 考太の遺書に書いてあった重坂の連絡先を見て、電話やメールのやり取りをした後、ここに来た。

 部屋の中では重坂が須分夫妻と向かい合いながら、床の上に座っている。


「息子さんの件ですね」

「はい」

 母親の方が答えた。

「担当の弁護士から聞いた話なのですが、ディスクリミネーションソフトの誰かが、残業代不支払いの件について、労基署に告発したそうです。それで、勤務表を改ざんして勤怠を偽っていた事が、わかりました。ですから、息子さんの残業代は、いずれ支払われるでしょう」

「そうですか……ですが、私達はその事よりも、あの子が会社ではどうだったのかを、もっと知りたくて、ここに来ました」

「わかりました。俺が見た感じですと、息子さんは大人しく真面目な方という印象ですね」

「私達もそう思っています。ところで、遺書を見ると、相当つらい事があったようですが……」

「その事ですか。鞭岡さんという、息子さんの直属の上司にあたる方がいるんですけど、その方から、毎日のように怒られていました。理由は、コーディングがなっていないとか、仕事が遅いとか、そういうものです」

「はい……」

 考太の母親は伏し目になる。

「ですが、俺はあそこまで怒る必要は無いと思っています。新卒ですから、知らない事が多いのは、当然です。息子さんは、その割にはよくやっていたと思います。俺の隣に黒伏さんという方がいたんですけど、その方から教わった事は、きちんとこなしていました」

 重坂の話を聞いて、伏し目がちだった考太の母親の目は、少しだけ上に動いた。

「話は変わりますけど、重坂さん」

「はい」

「貴方は、ディスクリミネーションソフトの不正を訴えるつもりでいると伺いましたが、どうするつもりでいたのですか?」

「どうするつもりでって……まずは証拠集めですよ。手元に勤務表を残したり、交通系ICカードの履歴を保管したり……それと、ICレコーダーを使って録音もしました」

「ICレコーダー?」

 その言葉を聞いた夫妻は、目の色を変えた。

「はい。職場の様子を録音するために買いました。なんせ、偽装請負がまかり通っていましたし。俺まで鞭岡さんに直接指示されては、怒られたりしていました。ばれると、クビになりかねないから、録音には勇気がいりましたよ」


 重坂達は派遣先が変わる度に機密情報保持の誓約書を書かされる。

 機密情報保持のため、USBメモリー等にデータをコピーして持ち帰らないのはもちろんの事、カメラでの撮影も駄目、仕事の内容をネットで公開するのも駄目、外部にメールを送るには許可がいる、というものである。録音もNGだろう。

 当時の派遣先はN社。N社も同様に誓約書を書かせていた。

 N社はD社の不正に加担していた。

 録音されたら、N社にとっても都合が悪いので、発覚しようものなら、情報漏えいを口実にして解約。更に、N社と取引があるT社をクビになる可能性もある。

 重坂は、これを警戒していたが、今のところは無事である。


「録音したものを聞かせていただけませんか?」

「いいですよ」

 重坂はノートパソコンの電源を入れ、立ち上げる。

 重坂は、できるだけ頻繁に録音していた。

 そのため、ICレコーダーの中身がいっぱいになる度に、パソコンや外付けのドライブにデータを移し、レコーダーの中身を空にしていた。

 重坂がパソコンを操作すると、ディスプレイ内にウィンドウが開き、その中に沢山のアイコンとファイル名が表示された。

 どれも音声ファイルである。

 重坂は適当なファイルを再生した。


『須分! お前、これで何度目だ!』

『すみません』

 夫妻は顔をしかめた。鞭岡に叱られる息子の様子を聞いて、辛くなったのかもしれない。

『ここのところです。コードを追ってみてもわからなくて……』

『どれどれ……』

『ありがとうございました』

『どういたしまして』

 黒伏とのやりとりも録音されていた。

「重坂さん」

 考太の母親が言った。

「はい」

「そのデータを私達にいただけませんか?」

「……いいですけど、量が滅茶苦茶多いですよ。それに、これらのデータは、担当の弁護士に提出済みです。そうだ、弁護士の連絡先を教えましょうか? きっと、裁判の時に力になってくれますよ」

「あの……そのためではなくて、私達が聞くために、そのデータが欲しいのです」

「ああ、なるほど。ところで、データを保存できるものはありませんか? USBメモリーとか、スマホとか……」

「スマホなら、ここにあります」

 考太の父親が、鞄からスマホを取り出した。

「このスマホですね。ちょっと貸していただけませんか?」

 重坂は考太の父親からスマホを受け取った。

 部屋の中にある棚からケーブルを持ち出し、スマホとノートパソコンをケーブルで接続する。

 ディスプレイ内にウィンドウが開いた。

「ファイルの量があまりにも多いので、全てを入れる事はできません。ですから、いくつか選んでコピーする事になります」

「わかりました」

 考太の父親はうなずきながら言った。母親の方も同じタイミングで頷いた。

 重坂は須分夫妻と共にファイルをいくつか選び、場合によっては編集してから、それらをスマホの中にコピーした。

 その後、須分夫妻に弁護士の連絡先を教えた。

 用事を済ませた須分夫妻は、重坂に礼を言って帰っていった。



 真っ暗な空には沢山の星が煌めき、月もまぶしく輝いている。。

 空の下には正面を除き、田んぼや畑で囲まれた一軒家がある。

 一軒家の中にある茶の間では、考太の父親がスマホをいじっており、横から考太の母親がその様子を見ている。

 スマホからは考太達の声が聞こえてくる。


『教えていただきたいところがあります。お手数ですが、私の所に来ていただけないでしょうか』

『わかりました』

『ここのところです。コードを追ってみてもわからなくて……』

『どれどれ……』

『ありがとうございました』

『どういたしまして』


『私、近いうちに、残業代の不支払い等を訴えようと思っているんですけど、須分さんも一緒にやりませんか?』

『え……』

『須分さんも残業代、まともにもらっていませんよね』

『はい』

『それなら、一緒にやろうかと思っているんですけど、いかがですか?』

『……気持ちは嬉しいんですけど、僕がそんな事やったら、ただでさえ弱いここでの立場が、ますます危うくなりそうで……』

『そう考えるのも無理はないと思いますけど、あれだけ頑張っているのに残業代がもらえないのは辛いですよね』

『でも、ここの正社員である以上、こんな事する勇気は、情けないのですが、ありません』

『わかりました。ところで、須分さん』

『何でしょうか』

『これが、私の連絡先です。もし、気が変わったら、あるいは、何か困った事があったら、私に連絡をください。ささやかかもしれませんけど、力になれるかもしれませんよ』

『ありがとうございます』


 涙が須分夫妻の頬を同時に伝った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ