重坂泉二が残しておいたもの
土曜日の午後。
昼食を済ませた重坂は、両手を枕代わりにして、床の上に寝っ転がっている。
――今日はお客さんが来る日。
来訪予定の人間を待っているのだ。
ピンポーン!
チャイムの音が聞こえた。
重坂は立ち上がり、インターホンの親機に向かって歩く。
親機の画面を見ると、そこには、五十歳前後の夫婦と思われる男女が、映っている。
どこにでもいそうな、地味な印象の男女である。
――この二人だ。間違いない。
「はい、重坂です」
重坂はインターホン越しに応答した。
『須分です。こないだ話した件で、ここに来ました』
男性の声が聞こえてきた。
「わかりました。少々お待ちください」
重坂は玄関に向かった。
重坂が扉を開けると、男女が入ってきた。
「おじゃまします」
女の方が言った。
男女は靴を脱ぎ、重坂と共に部屋に向かっていく。
男女は須分考太の両親である。
考太の遺書に書いてあった重坂の連絡先を見て、電話やメールのやり取りをした後、ここに来た。
部屋の中では重坂が須分夫妻と向かい合いながら、床の上に座っている。
「息子さんの件ですね」
「はい」
母親の方が答えた。
「担当の弁護士から聞いた話なのですが、ディスクリミネーションソフトの誰かが、残業代不支払いの件について、労基署に告発したそうです。それで、勤務表を改ざんして勤怠を偽っていた事が、わかりました。ですから、息子さんの残業代は、いずれ支払われるでしょう」
「そうですか……ですが、私達はその事よりも、あの子が会社ではどうだったのかを、もっと知りたくて、ここに来ました」
「わかりました。俺が見た感じですと、息子さんは大人しく真面目な方という印象ですね」
「私達もそう思っています。ところで、遺書を見ると、相当つらい事があったようですが……」
「その事ですか。鞭岡さんという、息子さんの直属の上司にあたる方がいるんですけど、その方から、毎日のように怒られていました。理由は、コーディングがなっていないとか、仕事が遅いとか、そういうものです」
「はい……」
考太の母親は伏し目になる。
「ですが、俺はあそこまで怒る必要は無いと思っています。新卒ですから、知らない事が多いのは、当然です。息子さんは、その割にはよくやっていたと思います。俺の隣に黒伏さんという方がいたんですけど、その方から教わった事は、きちんとこなしていました」
重坂の話を聞いて、伏し目がちだった考太の母親の目は、少しだけ上に動いた。
「話は変わりますけど、重坂さん」
「はい」
「貴方は、ディスクリミネーションソフトの不正を訴えるつもりでいると伺いましたが、どうするつもりでいたのですか?」
「どうするつもりでって……まずは証拠集めですよ。手元に勤務表を残したり、交通系ICカードの履歴を保管したり……それと、ICレコーダーを使って録音もしました」
「ICレコーダー?」
その言葉を聞いた夫妻は、目の色を変えた。
「はい。職場の様子を録音するために買いました。なんせ、偽装請負がまかり通っていましたし。俺まで鞭岡さんに直接指示されては、怒られたりしていました。ばれると、クビになりかねないから、録音には勇気がいりましたよ」
重坂達は派遣先が変わる度に機密情報保持の誓約書を書かされる。
機密情報保持のため、USBメモリー等にデータをコピーして持ち帰らないのはもちろんの事、カメラでの撮影も駄目、仕事の内容をネットで公開するのも駄目、外部にメールを送るには許可がいる、というものである。録音もNGだろう。
当時の派遣先はN社。N社も同様に誓約書を書かせていた。
N社はD社の不正に加担していた。
録音されたら、N社にとっても都合が悪いので、発覚しようものなら、情報漏えいを口実にして解約。更に、N社と取引があるT社をクビになる可能性もある。
重坂は、これを警戒していたが、今のところは無事である。
「録音したものを聞かせていただけませんか?」
「いいですよ」
重坂はノートパソコンの電源を入れ、立ち上げる。
重坂は、できるだけ頻繁に録音していた。
そのため、ICレコーダーの中身がいっぱいになる度に、パソコンや外付けのドライブにデータを移し、レコーダーの中身を空にしていた。
重坂がパソコンを操作すると、ディスプレイ内にウィンドウが開き、その中に沢山のアイコンとファイル名が表示された。
どれも音声ファイルである。
重坂は適当なファイルを再生した。
『須分! お前、これで何度目だ!』
『すみません』
夫妻は顔をしかめた。鞭岡に叱られる息子の様子を聞いて、辛くなったのかもしれない。
『ここのところです。コードを追ってみてもわからなくて……』
『どれどれ……』
『ありがとうございました』
『どういたしまして』
黒伏とのやりとりも録音されていた。
「重坂さん」
考太の母親が言った。
「はい」
「そのデータを私達にいただけませんか?」
「……いいですけど、量が滅茶苦茶多いですよ。それに、これらのデータは、担当の弁護士に提出済みです。そうだ、弁護士の連絡先を教えましょうか? きっと、裁判の時に力になってくれますよ」
「あの……そのためではなくて、私達が聞くために、そのデータが欲しいのです」
「ああ、なるほど。ところで、データを保存できるものはありませんか? USBメモリーとか、スマホとか……」
「スマホなら、ここにあります」
考太の父親が、鞄からスマホを取り出した。
「このスマホですね。ちょっと貸していただけませんか?」
重坂は考太の父親からスマホを受け取った。
部屋の中にある棚からケーブルを持ち出し、スマホとノートパソコンをケーブルで接続する。
ディスプレイ内にウィンドウが開いた。
「ファイルの量があまりにも多いので、全てを入れる事はできません。ですから、いくつか選んでコピーする事になります」
「わかりました」
考太の父親は頷きながら言った。母親の方も同じタイミングで頷いた。
重坂は須分夫妻と共にファイルをいくつか選び、場合によっては編集してから、それらをスマホの中にコピーした。
その後、須分夫妻に弁護士の連絡先を教えた。
用事を済ませた須分夫妻は、重坂に礼を言って帰っていった。
真っ暗な空には沢山の星が煌めき、月も眩しく輝いている。。
空の下には正面を除き、田んぼや畑で囲まれた一軒家がある。
一軒家の中にある茶の間では、考太の父親がスマホをいじっており、横から考太の母親がその様子を見ている。
スマホからは考太達の声が聞こえてくる。
『教えていただきたいところがあります。お手数ですが、私の所に来ていただけないでしょうか』
『わかりました』
『ここのところです。コードを追ってみてもわからなくて……』
『どれどれ……』
『ありがとうございました』
『どういたしまして』
『私、近いうちに、残業代の不支払い等を訴えようと思っているんですけど、須分さんも一緒にやりませんか?』
『え……』
『須分さんも残業代、まともにもらっていませんよね』
『はい』
『それなら、一緒にやろうかと思っているんですけど、いかがですか?』
『……気持ちは嬉しいんですけど、僕がそんな事やったら、ただでさえ弱いここでの立場が、ますます危うくなりそうで……』
『そう考えるのも無理はないと思いますけど、あれだけ頑張っているのに残業代がもらえないのは辛いですよね』
『でも、ここの正社員である以上、こんな事する勇気は、情けないのですが、ありません』
『わかりました。ところで、須分さん』
『何でしょうか』
『これが、私の連絡先です。もし、気が変わったら、あるいは、何か困った事があったら、私に連絡をください。ささやかかもしれませんけど、力になれるかもしれませんよ』
『ありがとうございます』
涙が須分夫妻の頬を同時に伝った。




