須分考太が残しておいたもの
「須分ーっ!! あいつ、まだ来ねえのか!!」
鞭岡の声がオフィス内に響き渡った。
だが、今回はいつもと理由が違う。
須分が出社していない。
須分は体調不良等の理由が無い限り、定時前に出社していた。
時刻は午前九時四十五分。定時は午前九時から午後六時なので、大幅な遅刻である。
事故等、交通機関のトラブルで遅れるのなら、会社に連絡を入れるべきなのだが、連絡は来ていない。
仕方なく、鞭岡の方から何度も電話を入れたのだが、呼出音が受話器から何回も聞こえてくるだけで、電話に出てこない。
「あいつ、どういうつもりだ!」
鞭岡は怒鳴った。
しかし、怒鳴ったところで、須分が来るわけではない。
鞭岡は辺りを見回す。
――暇そうな奴はいないな……そうだ!
鞭岡はデスク上にあるビジネスホンの受話器を取り、指先で本体のボタンを素早く叩いていく。
「はい、総務部です」
デスク上のビジネスホンが鳴ったので、下総は受話器を取った。
『企画開発部の鞭岡ですけど、下総さん?』
「はい、下総です」
『須分がまだ出社してないんだけど、そっちに連絡は行ってないよな』
――須分くんが出社していない? 何があったのかしら。
「はい、連絡は来ていません」
『悪いけど、須分の家……というか、アパートに行って、こちらに連れて来てくれないか?』
――そこまでする? もし、病気で倒れていたりしたら、どうするのかしら。
「わかりました。象蓑部長と相談してみます」
『頼んだぞ』
鞭岡からの通話が切れた。
下総は象蓑のデスクに向かい、通話内容を話した。
「そういう事か。なら、今すぐ須分のいるアパートに行ってこい」
象蓑も企画開発部の現状を知っているのか、鞭岡からの頼み事を了承した。
下総は「はい、わかりました」と返事すると、鞄を手にして事務服のまま外に出て行った。
下総はアパートに辿り着いた。ここに来るまで一時間もかからなかった。
目の前にあるシンプルなデザインの二階建てアパート。
彼女はアパートの外側にある階段を上っていった。
下総は須分の部屋の前にいる。
しかし、インターホンを鳴らしても返事は無いし、扉も鍵がかかっているのか、開かない。
「どうしたのかしら……」
このままでは埒が明かないので、彼女は階段を下り、一階にある管理人室に向かう。
下総は管理人室前でインターホンのボタンを押した。
『どちらさまでしょうか』
スピーカーから声が聞こえてきた。声色からして女性と思われる。
「ディスクリミネーションソフト総務部の下総です。202号室の須分さんの事なんですけれども、今日、出社していないにもかかわらず、連絡がありません」
『心配だから、部屋を開けて欲しいという事ですか?』
「ええ、そうです」
『少々お待ちください』
扉から一人の女性が現れた。
初老の女性で、背は中くらいだが、丸々としている。穏やかそうな人だ。
「こんにちは」
管理人が挨拶したので、下総も「こんにちは」と挨拶した。
「行きましょうか」
管理人と下総は、202号室――須分の部屋――に向かった。
下総は管理人に鍵を開けてもらい、二人で室内に入った。
台所を歩きながら辺りを見回す。誰もいない。静かだ。
台所を通過し、奥にある部屋に入る。
灰色の絨毯が敷かれた部屋には、誰もいない。
エアコンが停止しているので、薄ら寒い。
テーブルの上には閉じたノートパソコンと紙。
「何かしら?」
下総はテーブルに向かって歩いて行く。
テーブルを見下ろす。紙に文章が書いてある。
どんな内容か気になったので、紙を手に取った。
「――!!」
文章を読んだ下総の顔色が、変わった。
下総は鞄からスマホを取り出し、タッチパネルを素早く操作する。
「どうしました?」
管理人が問い掛けるも、下総に答える余裕は無かった。
下総はスマホを顔の横に当て、口を開き始める。
「もしもし、警察ですか? 大至急、須分考太という人を捜してください!」
アパートの前にはパトカーが停まっている。
警察がアパートに到着するまでの時間は、僅かだった。
下総は、室内に入ってきた警察官にスマホの画像を見せた。
スマホの画像には四人の人物が写っている。
下総、紺倉、地園、そして須分である。
仲良くなったのか、新人研修が終わった後、講師にスマホで撮影してもらった時の画像である。
「この人が、須分考太です」
下総は画像内の地味な男性を指差した。
下総の背後では、別の警察官が、文章の書かれた紙を手にしている。
須分が見つかるまで、時間はかからなかった。
彼は遠くに行っていない上、電源が入ったスマホをジャンパーのポケットに入れたままだった。
だが、下総が彼を会社に連れて行く事は、できない。
なぜなら、彼は動く事ができないからだ。
下半身は糞尿で汚れ、口からは舌がだらんと伸びている。
白目を剥き、顔は紫色。
首には洗濯ロープが巻き付いている。
公園に隣接する林の中にある木の一本。
その枝から彼は吊り下がっており、足元には、折り畳み式の踏み台が、転がっている。
警察は状況から自殺だと判断した。
誰も彼に触れた形跡が無い上、遺書が見つかっているからだ。
ノートパソコンと一緒にテーブルの上に置いてあった紙――それが遺書である。
内容は次の通り。
僕はゲームが好きです。
ですので、ディスクリミネーションソフトから内定をもらった時は、嬉しかったです。
ディスクリミネーションソフトのゲームでは、『ギャザリングコンセプト』や『ニューメリックウォーズ』が、気に入っています。
派手さは無くても、奥が深く、いくらでも遊べるからです。
僕はディスクリミネーションソフトに、このようなゲームを期待していました。
ですが、僕が開発に携わった『49アドベンチャーズ』は、このようなゲームではありませんでした。
派手さと上辺だけのボリュームを追究したゲームのように思えます。
僕は、このゲームを好きになる事ができませんでした。
このゲームの開発の話を聞いた時、たまにはこういう事もあると思っていましたが、完成後の打ち上げで、プランナーとディレクターを兼ねる椎尾格樹さんの話を聞いた時、方針が変わったのだな、と思いました。
僕自身と話した時、僕は「この会社のゲームが好きだ」と言いましたが、「この会社のゲームが好きだった」の方が正しいかもしれません。
僕がイメージしていたディスクリミネーションソフトは、存在していませんでした。
このゲームの開発について、いい思い出がほとんどありません。
深夜残業が続き、土日祝日もほとんど出勤。
それにもかかわらず、残業代は少ししか支払われていません。
未熟な僕が悪いのですが、リーダーの鞭岡将磨さんから毎日、叱られていました。
学生時代、プログラミングの成績が良かったので、少しは自信があったのですが、見事に打ち砕かれました。
あまりにも慌ただしかったので、ソースコードは滅茶苦茶で、バグを多数抱えた状態で発売されてしまいました。
開発終了後、その事がわかり、冬休み返上で、デバッグしていましたが、ソースコードが極めてわかりにくい上、明らかに人手が足りないので、全然進んでいません。
挫折を感じた上、会社に迷惑をかけていると思いましたので、転職を考えたのですが、思うような所から求人が来ません。
ソフトウェア関係が駄目なら、ハードウェア関係に挑戦しようかと思っていたのですが、プログラマーやSEの求人ばかりで、電子回路関係の求人が、あまり来ないのです。
来ても、技術者を使い捨てにするような、ろくでもなさそうな会社ばかりです。
社長が「他社はもっと厳しい」とおっしゃっていましたが、そうかもしれません。
毎日叱られ続けるこの状況は、異常だと思います。
僕が、それだけ無能なのだと思います。
だから、僕はどこに行っても上手くいかないでしょう。
社長は「頑張り続ける方がいい」ともおっしゃっていましたが、申し訳ありません、これが限界です。
最後に、重坂泉二さんについて。
彼はテキヤシースからエヌデストウルに派遣されて、ディスクリミネーションソフトに常駐されていた方です。
先々月で解約されましたので、今はディスクリミネーションソフトにいません。
彼はディスクリミネーションソフトで行われている不正――例えば残業代不支払い――を訴える気でいます。
彼を訪ねれば、僕の残業代も支払われるかもしれません。
彼の連絡先はこちらです――
「須分……くん……」
下総の目から涙が流れ落ちる。その様子は、さながら小さい滝のようだ。
須分との交流は、あまり無かった。
須分の多忙極まりなさが、原因だったのかもしれない。
須分は新人研修の時、下総に優しく接しようとしていた。
新人研修後は、みんなで記念撮影を行った。
短い間ではあるが苦楽――苦ばかりの気がするが――を共にした仲間だった。
だが、仲間の一人は、もういない。
その場でくずおれる下総の背を、管理人と警察官がさすっている。




