表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/34

抜け出せない泥沼

 一月最初の営業日。

「部長、非常事態です!」

 捨間は慌てながら松地のデスクに駆け寄った。

「……わかっておる。『49アドベンチャーズ』の評判が散々で、全然売れていないという事だろ」

「はい。中でもバグが多いという批判が、特に目立っています」

「バグについては、先月から企画開発部が対処中。だが、件数が多い上、先々月末でスタッフの多くを解約してしまったから、進捗は芳しくない。開発のために多くの予算を使い果たした上、新作の売り上げが良くないから、人件費を確保できない。非常に困った話だ」

 松地は、ため息をついた。

「ところで、部長」

「何かね」

「ユーザーからのクレームで、気になったものがあります。『対象年齢が十二歳以上なのに、三十番目のシナリオに出てくる、グロテスクかつ下品極まりないシーンは、何なんですか? きちんと審査したんですか?』というものです」

「それ、うちの仕事じゃないだろ。レーティング機構に文句を言うべきだ」


 ゲームソフトは販売前の段階でレーティング機構によって審査され、対象年齢が決まる。

 ゲーム中の表現について審査し、性、暴力、反社会性等の表現次第で対象年齢を決定。

 だが、件のクレームを送ってきたユーザーからすると、納得のいく審査内容ではないらしい。


「まあ、このユーザーの気持ちもわからないわけではないな。十二歳以上対象の割にきつい表現だしな」

 なぜ、このような事が起こったのか。審査する時間が無かったとか、バグが多すぎてプレイする気が失せたとか、考えられるかもしれないが、真相は不明である。

「捨間君」

「はい」

「地園君と一緒に、ユーザーへのお詫びの文章を考えといてくれないか」

「わかりました」

 捨間はデスクに戻り、お詫びの文章について、地園と話し合いを始めた。



 企画開発部では、大量にあるバグの修正作業を行っている。

 だが、冬休み返上で作業していたにもかかわらず、遅々として進んでいなかった。

「須分! 何だこのコーディングは!」

 鞭岡の声がオフィス内に響き渡った。

「すみません」

 須分は鞭岡に頭を下げた。

 鞭岡に怒鳴られた須分が頭を下げる――このオフィスで何度も繰り返されてきた光景である。

「いい加減、聞き飽きたわ! お前の『すみません』は。それよりも、いい加減にコーディングルール覚えろよ! 以前よりも悪くなってるとは、どういう事だ!」


 コーディングルールとは、ソースコードを記述する上での決まり事である。

 複数の人が共同で作業する上で読みやすく、間違いを起こしにくく、修正しやすいコードを記述する事が目的であるが、ルールは会社によって異なる。


「納期が迫っていたものですから、急いで作業していました。ですので、そこまで気を付ける事ができませんでした。それに、動けばいいと言ったのは、鞭岡さんではありませんか? ですから、私はスピードの方を優先して作業しました」

「だからといって、こんな書き方していいと思ってるのか! 修正が大変だろ!」

「それでしたら、なぜレビューをやらなくなったんですか? わかりやすく丁寧な書き方を求めるのなら、レビューをやった方が良かったのではありませんか? バグの防止にもなります」

「アホか! そんな事していたら時間がなくなるだろ! 納期に間に合わなかったら、それこそ、部長や俺達の首が飛びかねない。わかるだろ!」

「それでは、納期を延ばすわけにはいかなかったのですか?」

「馬鹿野郎! 部長が社長に相談したけど、駄目だったんだよ!」

「そうですか……」

「須分……」

「さっさとソースコードを修正しろ。今度は迅速かつ丁寧にな」

「はい」

 須分はソースコードの修正作業に取り掛かる。

 須分に限らず、外部から来ていたスタッフ達も、コーディングルールを無視したような記述をしていた。

 ――これ、どうなっているんだ?

 コードを見ても訳がわからない。だから、修正作業が進まない。



 須分が帰路に就いたのは、午前零時を過ぎてからだった。

 一ヶ月以上前に開発が終わったはずなのに、これである。

 終電に間に合った彼は、ロングシートに座りながらスマホを見ている。

 終電だからか、車内はそんなに混雑していない。

 スマホには、様々な会社からの求人が、表示されている。

 だが、いずれもプログラマーやSE等、ソフトウェア会社からの求人ばかりである。

 中にはN社やT社、C社からの求人もあった。

 彼は肩を落とした。

 ――僕の経歴ではソフトウェア業界からの求人しか来ない。

 今の仕事に挫折を感じている彼は、先月から転職サイトに登録している。

 情報工学が駄目なら電子工学。

 情報工学だけではなく、電子工学も大学で学んだ。

 ソフトウェアの仕事が駄目なら、ハードウェアの仕事はどうかと考えてみたが、求人があまり来ない。

 来たとしても、ろくでもなさそうな会社しか来ない。

 ここで、彼は先々月の事を思い出した。

 納期間近で社長が企画開発部の様子を見に来た時の事である。


「須分君」

 ソースコードの修正をしている須分の背後から声がした。声の主は社長である。

「はい、何でしょうか? 社長」

「深夜残業は続き、徹夜すらある。おまけに鞭岡君から毎日叱責を受ける。厳しいと思うかもしれないけれども、だからといって、ここを辞めようと考えない方がいい。なぜなら、他社はもっと厳しいから。『三百六十五日二十四時間、死ぬまで働け』と考えているような企業がざらだぞ。だから、ここで頑張り続ける方がいい。真面目に頑張っていればクビにはしないから」

「……はい」

 須分は社長のアドバイスに肯定の返事をした。


 あの時は「はい」と返事したが、今はどうだろうか。

 須分は首を横に振った。

 ――そうとは限らないかもしれない。あるいは他の業種なら……



 電車から降りた須分は、コンビニでパン等を買ってから、自宅のアパートに帰宅した。

 彼の部屋は、灰色の絨毯が敷かれている事を除くと、重坂のものと大差ない。テーブルの上にはノートパソコン。

 テーブルの近くにはプリンターがあり、パソコンやスマホを使って印刷する事ができる上、コピー機としての機能も持っている。

 彼は床の上に座りながら、これまでの事を思い出す。


 大学時代の成績は悪くない。プログラミングは学科内でも得意な方だった。

 ゲームが好きだから、ゲームソフト会社を中心に就職活動を行った。

 結果、D社に就職した。

 内定通知が来た時は嬉しかった。

 だが……


『須分! 何だ! このコードは!』

『須分! お前、これで何度目だ!』

『もう、お前のすみませんは、あてになんねーぞ!』

『アホか! そんな事していたら時間がなくなるだろ!』

『馬鹿野郎!』

 全部、鞭岡からのお叱りの言葉である。叱られるたびに胸が締め付けられる。

 入社して月日が経たない内から、このような事が毎日繰り返されていた。


『僕は、この会社のゲームが好きだ』

 ――あの時、僕はあいつ(・・・)にそう言った。

「本当に、この会社のゲームが好きなんだろうか……」

 須分の口から疑問の声が漏れた。

 ――確かに『ギャザリングコンセプト』等のゲームは好きだ。だが、今回開発したゲームの事を好きと言えるだろうか……

『ギャザリングコンセプト』等、以前からあるD社製のゲームは、須分のお気に入りである。

 派手ではないが、奥が深く、スルメのように楽しめるゲーム。

 今回開発した『49アドベンチャーズ』は、路線が全然違うが、好きになれると信じていた。

 だが、好きになれなかった。

 ――バグや手抜き箇所を除いても、何か違う。

 仮に成功していたところで、上辺だけの質とボリュームを追究したゲームを、好きになれるだろうかと、須分は考えた。

 結果は否である。


 だが、完成後の打ち上げの時――

「これが売れたら続編、もしくはこれの発展形と言えるようなゲームを開発したいです」と格樹が言った。

 この時、須分は「僕が知っているディスクリミネーションソフトは、変わってしまった」と思った。


 D社は、変わってしまったのかもしれないし、変わっていないのかもしれない。

 去年の四月に入社したばかりの須分には、以前のD社がどうだったか、知る由もない。

 得意なはずのプログラミングでは叱られ続け、精神的に辛いし、長時間労働で体力的にも辛い。

 時間が足りないという事もあるが、作り上げたプログラムはスパゲッティ状態。

 この仕事に向いていないかもしれない、会社に迷惑をかけている、という思いもあり、転職を考えているが、上手くできるとは思えない状況だ。

 ここで再び社長の言葉を思い出す。

『他社はもっと厳しい、ここで頑張り続ける方がいい』

 ――電車に乗っている時は、首を横に振ったが、この言葉は意外と的を射ているのではないか。

 ――あそこまで叱られ続ける自分は、どこに行っても駄目なのではないか。

 ――電子回路の仕事に就けたとしても、同年代からは水をあけられている。

 須分は、そう考えた。

 D社は以前のようなソフトを作らない。

 連日深夜まで残業、土日祝日はほとんど出勤で、徹夜する時もある。

 鞭岡から叱られっぱなし。

 自分は無能ではないか。

 あれこれ考えていると、両目から涙が流れてきた。

 流れ続ける涙は、止まりそうにない。

 須分はノートパソコンの電源を入れる。

 パソコンが起動したら、文書作成ソフトを立ち上げ、キーボードを叩きながら、文章を入力していく。

 タイピング速度は結構速い。

 文章を入力している最中に、須分は重坂の事を、ふと思い出した。


 重坂がD社に来た最後の日。

 廊下で会った時、重坂が話し掛けてきた。

「私、近いうちに、残業代の不支払い等を訴えようと思っているんですけど、須分さんも一緒にやりませんか?」

「え……」

 須分は返答に困った。何かを迷っている。

「須分さんも残業代、まともにもらっていませんよね」

「はい」

「それなら、一緒にやろうかと思っているんですけど、いかがですか?」

「……気持ちは嬉しいんですけど、僕がそんな事したら、ただでさえ弱いここでの立場が、ますます危うくなりそうで……」

「そう考えるのも無理はないと思いますけど、あれだけ頑張っているのに残業代がもらえないのは、辛いですよね」

「でも、ここの正社員である以上、こんな事する勇気は、情けないのですが、ありません」

「わかりました。ところで、須分さん」

「何でしょうか」

「これが、私の連絡先です」

 重坂はスマホを須分に見せた。スマホには重坂の電話番号とメールアドレスが表示されている。

「もし、気が変わったら、あるいは、何か困った事があったら、私に連絡をください。ささやかかもしれませんけど、力になれるかもしれませんよ」

「ありがとうございます」

 須分と重坂は連絡先を交換した。


 ――重坂さん、すみません。貴方が直接、僕の力になれる事は無いと思います。

 須分はキーボードを叩いていく。だが……

 ――重坂さんの連絡先も書いておこう。もしかしたら、どこかで誰かの(・・・・・・・)役に立つかもしれない。

 そんな気がした。

 文章を一通り書き上げ、推敲すいこうを済ませた須分は、文章をA4用紙に印刷。

 ノートパソコンの電源を切って閉じた後、印刷した紙をテーブルの上に置き、鞄からボールペンを取り出して自分の名前を書く。

 名前を書いた後、何かの拍子で紙が飛ばないよう、余白の部分をノートパソコンの下敷きにした。



 須分は懐中電灯と紙袋を持って外に出かけた。

 空は暗く、星がいくつか見える。

 歩く事数分、公園に到着した。

 公園内は街灯に照らされて、白い光に包まれている。

 彼は公園内に入り、そのまま真っ直ぐ進んでいく。

 公園は林と隣接している。

 彼は公園を通り過ぎ、林の中に入っていく。

 懐中電灯で周囲を照らしながら、何かを探すように林の中を歩き回る。

 ――これならいける。

 彼は一本の木を見つけた。

 他にも似たような木がいくつもあるが、ちょうどいい(・・・・・・)のはこれだ。

 彼は紙袋の中に手を入れ、洗濯ロープを取り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ