抜け出せない泥沼
一月最初の営業日。
「部長、非常事態です!」
捨間は慌てながら松地のデスクに駆け寄った。
「……わかっておる。『49アドベンチャーズ』の評判が散々で、全然売れていないという事だろ」
「はい。中でもバグが多いという批判が、特に目立っています」
「バグについては、先月から企画開発部が対処中。だが、件数が多い上、先々月末でスタッフの多くを解約してしまったから、進捗は芳しくない。開発のために多くの予算を使い果たした上、新作の売り上げが良くないから、人件費を確保できない。非常に困った話だ」
松地は、ため息をついた。
「ところで、部長」
「何かね」
「ユーザーからのクレームで、気になったものがあります。『対象年齢が十二歳以上なのに、三十番目のシナリオに出てくる、グロテスクかつ下品極まりないシーンは、何なんですか? きちんと審査したんですか?』というものです」
「それ、うちの仕事じゃないだろ。レーティング機構に文句を言うべきだ」
ゲームソフトは販売前の段階でレーティング機構によって審査され、対象年齢が決まる。
ゲーム中の表現について審査し、性、暴力、反社会性等の表現次第で対象年齢を決定。
だが、件のクレームを送ってきたユーザーからすると、納得のいく審査内容ではないらしい。
「まあ、このユーザーの気持ちもわからないわけではないな。十二歳以上対象の割にきつい表現だしな」
なぜ、このような事が起こったのか。審査する時間が無かったとか、バグが多すぎてプレイする気が失せたとか、考えられるかもしれないが、真相は不明である。
「捨間君」
「はい」
「地園君と一緒に、ユーザーへのお詫びの文章を考えといてくれないか」
「わかりました」
捨間はデスクに戻り、お詫びの文章について、地園と話し合いを始めた。
企画開発部では、大量にあるバグの修正作業を行っている。
だが、冬休み返上で作業していたにもかかわらず、遅々として進んでいなかった。
「須分! 何だこのコーディングは!」
鞭岡の声がオフィス内に響き渡った。
「すみません」
須分は鞭岡に頭を下げた。
鞭岡に怒鳴られた須分が頭を下げる――このオフィスで何度も繰り返されてきた光景である。
「いい加減、聞き飽きたわ! お前の『すみません』は。それよりも、いい加減にコーディングルール覚えろよ! 以前よりも悪くなってるとは、どういう事だ!」
コーディングルールとは、ソースコードを記述する上での決まり事である。
複数の人が共同で作業する上で読みやすく、間違いを起こしにくく、修正しやすいコードを記述する事が目的であるが、ルールは会社によって異なる。
「納期が迫っていたものですから、急いで作業していました。ですので、そこまで気を付ける事ができませんでした。それに、動けばいいと言ったのは、鞭岡さんではありませんか? ですから、私はスピードの方を優先して作業しました」
「だからといって、こんな書き方していいと思ってるのか! 修正が大変だろ!」
「それでしたら、なぜレビューをやらなくなったんですか? わかりやすく丁寧な書き方を求めるのなら、レビューをやった方が良かったのではありませんか? バグの防止にもなります」
「アホか! そんな事していたら時間がなくなるだろ! 納期に間に合わなかったら、それこそ、部長や俺達の首が飛びかねない。わかるだろ!」
「それでは、納期を延ばすわけにはいかなかったのですか?」
「馬鹿野郎! 部長が社長に相談したけど、駄目だったんだよ!」
「そうですか……」
「須分……」
「さっさとソースコードを修正しろ。今度は迅速かつ丁寧にな」
「はい」
須分はソースコードの修正作業に取り掛かる。
須分に限らず、外部から来ていたスタッフ達も、コーディングルールを無視したような記述をしていた。
――これ、どうなっているんだ?
コードを見ても訳がわからない。だから、修正作業が進まない。
須分が帰路に就いたのは、午前零時を過ぎてからだった。
一ヶ月以上前に開発が終わったはずなのに、これである。
終電に間に合った彼は、ロングシートに座りながらスマホを見ている。
終電だからか、車内はそんなに混雑していない。
スマホには、様々な会社からの求人が、表示されている。
だが、いずれもプログラマーやSE等、ソフトウェア会社からの求人ばかりである。
中にはN社やT社、C社からの求人もあった。
彼は肩を落とした。
――僕の経歴ではソフトウェア業界からの求人しか来ない。
今の仕事に挫折を感じている彼は、先月から転職サイトに登録している。
情報工学が駄目なら電子工学。
情報工学だけではなく、電子工学も大学で学んだ。
ソフトウェアの仕事が駄目なら、ハードウェアの仕事はどうかと考えてみたが、求人があまり来ない。
来たとしても、ろくでもなさそうな会社しか来ない。
ここで、彼は先々月の事を思い出した。
納期間近で社長が企画開発部の様子を見に来た時の事である。
「須分君」
ソースコードの修正をしている須分の背後から声がした。声の主は社長である。
「はい、何でしょうか? 社長」
「深夜残業は続き、徹夜すらある。おまけに鞭岡君から毎日叱責を受ける。厳しいと思うかもしれないけれども、だからといって、ここを辞めようと考えない方がいい。なぜなら、他社はもっと厳しいから。『三百六十五日二十四時間、死ぬまで働け』と考えているような企業がざらだぞ。だから、ここで頑張り続ける方がいい。真面目に頑張っていればクビにはしないから」
「……はい」
須分は社長のアドバイスに肯定の返事をした。
あの時は「はい」と返事したが、今はどうだろうか。
須分は首を横に振った。
――そうとは限らないかもしれない。あるいは他の業種なら……
電車から降りた須分は、コンビニでパン等を買ってから、自宅のアパートに帰宅した。
彼の部屋は、灰色の絨毯が敷かれている事を除くと、重坂のものと大差ない。テーブルの上にはノートパソコン。
テーブルの近くにはプリンターがあり、パソコンやスマホを使って印刷する事ができる上、コピー機としての機能も持っている。
彼は床の上に座りながら、これまでの事を思い出す。
大学時代の成績は悪くない。プログラミングは学科内でも得意な方だった。
ゲームが好きだから、ゲームソフト会社を中心に就職活動を行った。
結果、D社に就職した。
内定通知が来た時は嬉しかった。
だが……
『須分! 何だ! このコードは!』
『須分! お前、これで何度目だ!』
『もう、お前のすみませんは、あてになんねーぞ!』
『アホか! そんな事していたら時間がなくなるだろ!』
『馬鹿野郎!』
全部、鞭岡からのお叱りの言葉である。叱られるたびに胸が締め付けられる。
入社して月日が経たない内から、このような事が毎日繰り返されていた。
『僕は、この会社のゲームが好きだ』
――あの時、僕はあいつにそう言った。
「本当に、この会社のゲームが好きなんだろうか……」
須分の口から疑問の声が漏れた。
――確かに『ギャザリングコンセプト』等のゲームは好きだ。だが、今回開発したゲームの事を好きと言えるだろうか……
『ギャザリングコンセプト』等、以前からあるD社製のゲームは、須分のお気に入りである。
派手ではないが、奥が深く、スルメのように楽しめるゲーム。
今回開発した『49アドベンチャーズ』は、路線が全然違うが、好きになれると信じていた。
だが、好きになれなかった。
――バグや手抜き箇所を除いても、何か違う。
仮に成功していたところで、上辺だけの質とボリュームを追究したゲームを、好きになれるだろうかと、須分は考えた。
結果は否である。
だが、完成後の打ち上げの時――
「これが売れたら続編、もしくはこれの発展形と言えるようなゲームを開発したいです」と格樹が言った。
この時、須分は「僕が知っているディスクリミネーションソフトは、変わってしまった」と思った。
D社は、変わってしまったのかもしれないし、変わっていないのかもしれない。
去年の四月に入社したばかりの須分には、以前のD社がどうだったか、知る由もない。
得意なはずのプログラミングでは叱られ続け、精神的に辛いし、長時間労働で体力的にも辛い。
時間が足りないという事もあるが、作り上げたプログラムはスパゲッティ状態。
この仕事に向いていないかもしれない、会社に迷惑をかけている、という思いもあり、転職を考えているが、上手くできるとは思えない状況だ。
ここで再び社長の言葉を思い出す。
『他社はもっと厳しい、ここで頑張り続ける方がいい』
――電車に乗っている時は、首を横に振ったが、この言葉は意外と的を射ているのではないか。
――あそこまで叱られ続ける自分は、どこに行っても駄目なのではないか。
――電子回路の仕事に就けたとしても、同年代からは水をあけられている。
須分は、そう考えた。
D社は以前のようなソフトを作らない。
連日深夜まで残業、土日祝日はほとんど出勤で、徹夜する時もある。
鞭岡から叱られっぱなし。
自分は無能ではないか。
あれこれ考えていると、両目から涙が流れてきた。
流れ続ける涙は、止まりそうにない。
須分はノートパソコンの電源を入れる。
パソコンが起動したら、文書作成ソフトを立ち上げ、キーボードを叩きながら、文章を入力していく。
タイピング速度は結構速い。
文章を入力している最中に、須分は重坂の事を、ふと思い出した。
重坂がD社に来た最後の日。
廊下で会った時、重坂が話し掛けてきた。
「私、近いうちに、残業代の不支払い等を訴えようと思っているんですけど、須分さんも一緒にやりませんか?」
「え……」
須分は返答に困った。何かを迷っている。
「須分さんも残業代、まともにもらっていませんよね」
「はい」
「それなら、一緒にやろうかと思っているんですけど、いかがですか?」
「……気持ちは嬉しいんですけど、僕がそんな事したら、ただでさえ弱いここでの立場が、ますます危うくなりそうで……」
「そう考えるのも無理はないと思いますけど、あれだけ頑張っているのに残業代がもらえないのは、辛いですよね」
「でも、ここの正社員である以上、こんな事する勇気は、情けないのですが、ありません」
「わかりました。ところで、須分さん」
「何でしょうか」
「これが、私の連絡先です」
重坂はスマホを須分に見せた。スマホには重坂の電話番号とメールアドレスが表示されている。
「もし、気が変わったら、あるいは、何か困った事があったら、私に連絡をください。ささやかかもしれませんけど、力になれるかもしれませんよ」
「ありがとうございます」
須分と重坂は連絡先を交換した。
――重坂さん、すみません。貴方が直接、僕の力になれる事は無いと思います。
須分はキーボードを叩いていく。だが……
――重坂さんの連絡先も書いておこう。もしかしたら、どこかで誰かの役に立つかもしれない。
そんな気がした。
文章を一通り書き上げ、推敲を済ませた須分は、文章をA4用紙に印刷。
ノートパソコンの電源を切って閉じた後、印刷した紙をテーブルの上に置き、鞄からボールペンを取り出して自分の名前を書く。
名前を書いた後、何かの拍子で紙が飛ばないよう、余白の部分をノートパソコンの下敷きにした。
須分は懐中電灯と紙袋を持って外に出かけた。
空は暗く、星がいくつか見える。
歩く事数分、公園に到着した。
公園内は街灯に照らされて、白い光に包まれている。
彼は公園内に入り、そのまま真っ直ぐ進んでいく。
公園は林と隣接している。
彼は公園を通り過ぎ、林の中に入っていく。
懐中電灯で周囲を照らしながら、何かを探すように林の中を歩き回る。
――これならいける。
彼は一本の木を見つけた。
他にも似たような木がいくつもあるが、ちょうどいいのはこれだ。
彼は紙袋の中に手を入れ、洗濯ロープを取り出した。




