第22話 ラッキースケベなんてない。そんなことより、俺のグローブはどこへ行った
女子と密室なのに、なにも起こさずどうする谷本瀬綱。それでも男かっ。
「いやー、暑かったねぇ、体育倉庫」
パタパタと体操服をしているその隙間から、吉田のお腹が見える。流石はモデル様。鍛えてらっしゃる。体育倉庫でラッキースケベがなかった分、ここで吉田のお腹を見て目の保養に勤しもう。うん。
「あ、たにもっちゃん」
「へぁ!?」
吉田と教室に戻るために廊下を歩いていたら、唐突に話しかけらて跳ねてしまった。だって、ね、ちょっといやらしい目してたし、俺……。
「ネコみたい」だなんて吉田の声を無視して、声をかけてきた奴を見る。
「上原……?」
廊下で俺に話しかけて来たのは上原だった。
小学校の時に仲が良かった内の一人。今は話しかけても敬語で返される。しかしなんだ。小学校の時のあだ名で呼ばれるなんて久しぶりだな。
「どうした?」
あれ、俺、いつも上原とどうやって話していたっけ。もっとフランクじゃなかった? もう、こいつとの話し方なんて忘れちまったな。
こっちの態度が冷たかったのか、「え、ええっと」なんて言いにくそうにしている。
「うえじ!!」
廊下に響く有河の声。その声に今度は上原が、ビクンとなる。なるほど、確かに吉田の言う通りネコみたいだな。
しかし、そうだ。上原のあだ名ってうえじだったっけ。俺も昔はそう呼んでいた。
「なにしてんだ。行くぞ」
「あ、う、うん」
俺と有河を見比べて、「ごめん、たにもっちゃん」と有河の方へと向かって行く。なにがごめんなんだか。有河側に付いたことを言っているのなら、随分と今更だ。
「授業サボって女とヤッてるとか、キモすぎだろ」
そう言い残して有河はどこかへ行った。それに慌てて付いて行く上原。よく目にする親分、子分みたいな感じだな。
そんな妄想してるお前がキモイんだよ。
「女の子だって野球やるでしょ」
吉田。お前はどんな勘違いをしてんだよ。それはピュアじゃなくてズレてるって言うんだぞ。
「……ん? ヤる……? ──っ!?」
あ、やっと言葉の意味に気が付いた。んで、なんで俺を睨んで来るんだよ。
「はっ!?」
さっきまで、パタパタしていた体操服を、ビシッと伸ばすもんだから、吉田の胸が強調されて、なんかどエロいことになってんだが。
「バニラクリームフラペチーノブレベミルクチェンジバニラシロップモカシロップチェンジチョコチップエスプレッソショットワンショットホイップクリームチョコチップチョコソースエクストラ」
なんか俺を始末しようとしている呪文が聞こえてくるんだけども。
♢
さっきから、吉田がぶつぶつ呟いているのは、星馬のカスタムみたいだな。だとしても、中学生にそのカスタムは金銭的に始末の呪文と相違ないがね。
「うっせぇなぁ。さっさとキャッチボール行こうぜ」
昼休みになり、恒例のキャッチボールに誘うと、「ん?」と自分の鞄の違和感に気が付く。
「あれ……?」
こちらの違和感に気が付いた吉田は、呪文をやめて首を傾げる。
「どうしたの?」
「……ない」
「ないって……グローブ? 忘れて来ちゃった?」
「いや……そんなはずは……」
あり得るのか。グローブは毎日出して手入れしているし。無意識に部屋の机にでも置いてしまったのだろうか。
「忘れて来たかも」
「心配ならお家に電話してみたら?」
吉田の言う通りだ。明日は大事な日本代表の最終選考だし、小さなことでも心配事は減らしておきたい。
っていっても、とうさんとかあさんは仕事で家にいない。美玖は小学校だし……ワンチャンの弥恵、か。
「そうするよ」
「じゃあ、北ティーのところ、行こっ」
先陣を切る吉田。どうやら一緒に行ってくれるらしい。ま、キャッチボールができなければ吉田もぼっちだもんな。
教室を出る際、有河がニタついている様に見えたが、どうせ俺と吉田がヤッたとかなんとか適当な下ネタぶっかましてんだろ。しょーもないやつ。
♢
北ティーに事情を話し、スマホを一旦返してもらったら廊下に出て弥恵に電話。
『グッモーニン、セツきゅん☆ 今日の目覚ましが我が愛しの弟からとか、前世の私はどんだけ徳積んだって話だな。あっはっはっ』
「やかまし、愚姉。ちなみにもう昼過ぎだぞ」
『あーはっはっ! 昨日まぁた飲み過ぎて、朝は死んでた! だが聞いてくれ、セツきゅん。酒めっちゃ飲んだあとの水、バリうまい』
「知らんっ。んなことより頼みがあるんだ」
『なに? 今日は私と一緒に寝たいって? しょーがない。久しぶりに弥恵スペシャルでセツきゅんを包み込もう』
「わりっ。まじな話。俺の部屋にグローブ置いてない?」
『おっと、ガチ系な。おっけーおっけー。今、丁度全裸だからセツきゅんの部屋行くわっ』
全裸の情報いらねーよ。
「ふふっ。弥恵姉やっぱりおもしろいね」
あと弥恵。会話の声がデカすぎて全部推しに聞こえてんぞ。
くすくすと後ろで笑う吉田を見て、恥ずかしい思いをしてしまう。見た目美人なのに残念過ぎるだろ、弥恵。
『ええっと──』なんて漏れる声のあと、弥恵のはっきりとした質問が来る。
『グローブは見当たらないな……セツきゅんが置くなら机の上だよな?』
「そうだな。無意識に置くとしてもそこだと思う」
『うーむ。ないな』
──ない。
弥恵の言葉が、俺を絶望の淵へと落とす。そんな感じがして、返事が遅れる。
「……そっ、か。ごめん弥恵。寝てたのに」
『セツきゅんが気に病むことはなにもない。美玖が持ってる可能性もある、な……よし、美玖の部屋も捜索するか』
「それはないだろ。弥恵じゃあるまいし」
『ま、家の中を探してみるよ。見つけたらすぐ連絡する』
「頼んだ」
電話が切れると一気に不安になる。
どこにいったんだ、俺のグローブ。
昨日は練習があって……そのまま鞄から出した覚えはない。だから、鞄の中に入っているはずだ。
もう一度鞄を探す? いや、グローブなんてでかいもん、一目見たら入っているかどうかわかる。
どうしよう。このままグローブがなくなったら。
明日は、日本代表の最終選考なのに。あの泥塗れの相棒なしで、最終選考をまともに戦えるのか?
頭が真っ白になり、呼吸が浅くなっていく。
その時、脳裏を過ったのは──教室を出る時に見た、有河のあの下劣なニタつき顔だった。
まさか、あいつが……!?
確証はない。だけど、最悪の予感が胸を支配して足が震えたその時。
ガシッ、と俺の両肩に、強く、温かい手が置かれた。
「大丈夫!!」
ハッとして顔を上げると、そこには息がかかるほどの距離で、真っ直ぐに俺を見つめる吉田の瞳があった。
「絶対、大丈夫!! 見つかる!! 私も探すから!!」
学校中を敵に回しても凛としていた、孤高のモデル。
その吉田が、今は俺のために、泣きそうなのを堪えるみたいに必死な顔をして怒鳴っていた。
「──あ、ああ。ありがとう。ありがとうな、吉田」
「絶対見つけるよ!!」
気合いの入った言葉と共に吉田と駆け出す。
しかし、探すったってどこを探せば良いのやら。
気合いの入った声と共に、吉田が俺の手を引っ張って廊下へと駆け出した。




