第12話 きみを守るためならば全てを捨てる覚悟がある
吉田に腕を引かれ、俺たちは誰もいない特別棟の階段の踊り場まで走った。
昼休みだからか、ここには誰の姿もない。
「はぁ、はぁ……っ」
ようやく足を止めた吉田は、肩を大きく揺らして息を切らせていた。
向けられた怒りの凄まじさに圧倒され、俺はただ突っ立っていることしかできない。
「あ……っ!」
声を漏らした吉田は、繋いだままだった俺の腕に視線を落とし、弾かれたように、バッと手を離した。
「あ、あ、あのっ! ごめん! 私、その、勝手に頭に血が上っちゃって……谷本の腕、こんなに強く引っ張って……痛くなかった!?」
「いや、全然……」
さっきまでの冷徹なトップモデルの面影はどこへやら。いつものオタオタとした吉田に戻っている。
顔を真っ赤にして、最新モデルのグローブをはめた手をパタパタと動かしている姿を見て、妙に安心してしまう。
「ぷっ」
だからかな、吹き出してしまった。
「な、なんで笑うのよぉ」
「いや、ごめん」
あはは! と大きく笑うと、ぷくぅと拗ねた様子で頬を膨らませる。
「──ははっ……ありがとな、吉田」
「え?」
「俺のためにさ、あんなに怒ってくれる奴、もう学校には一人もいないから。嬉しかった」
本心を言葉にすると、吉田は少し気恥ずかしそうに視線を泳がせ、それから、きゅっとグローブを握り締めた。
「私ね、ああいうのすっごく嫌い」
さっきの井駒たちの会話を思い出したのか、苦々しい表情を浮かべた。
「人を、自分のステータスを上げるための道具みたいに言う人。モデルの仕事現場でもたまにいるんだよ。そういう人を人として見ない人。だから、さゆ──井駒さんが、谷本のことをネックレスみたいって言ったとき、本当に許せなかった」
吉田は真っ直ぐに俺を見つめてきた。その瞳には、まだ怒りの余韻が残っている。
「谷本は谷本だよ。世界で戦って、誰よりも努力して、誰よりもカッコいい男の子だよ。あんな、何も知らない薄っぺらい人たちに、安っぽく値踏みされていい人じゃない!」
吉田の本音が心臓を貫く。
ドクンと大きな音を立てた
142km/hのストレートを投げた時よりも、ずっと激しく胸の奥が熱くなる。
学校の誰もが俺の実績だけを見て嫉妬し、遠ざける中、吉田は、吉田だけは、その実績の裏にある俺の努力ごと、肯定してくれたんだ。
「吉田、ありがと。じゃあ、俺のカッコいい野球、これからもちゃんと見ててくれ」
「うんっ! もちろん一生推すよ!」
「いや、そこは普通に応援してくれ」
いつものノリに戻り、俺たちは小さく笑い合った。
吉田のおかげで、井駒たちから言われた陰口の傷なんて、もう綺麗さっぱり消え去っていた。
♢
昼休みももうすぐ終わりそうだから、俺と吉田は昇降口に戻って来ていた。
「あ、おーい、瀬綱」
たまたま担任の北山先生が通りかかった時、こちらに手を振って来る。
「放課後にはわかることだけど、先生テンション上がっちまったから言うわ」
「なにをです?」
「一次選考通過おめでとう」
いきなり言われたもんだから、一瞬、なんのこっちゃと思ったが、日本代表の選考の話か。
ま、一次選考は通る自信があったから、そこまで喜びを露わにはできない。
しかし、隣の吉田が、「わぁ」と声を上げてめちゃくちゃ喜んでくれた。
「凄い、凄い。おめでとう谷本っ」
パチパチパチと手を叩いて祝いの言葉をくれる吉田。それを見た北山先生が空気を読んで、「じゃあ、またな」とそそくさと職員室に帰って行った。
「お祝いしなくちゃね」
「一次選考通過でお祝いって……まだ決まったわけじゃないのに」
「だーめ。こういうのは通過する度にお祝いすることが決まりなのです。今日、星馬のコーヒーで乾杯しよっ」
強引なお祝いの乾杯に、俺は心の底から嬉しさが溢れ出てしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えて、祝ってもらうか」
「ふふん。任せて、壮大なカスタムをしてあげよう」
いしし、と笑う吉田はなにを考えているのやら。
「だったら今度、吉田のお祝いもしてあげないとな」
外履きから上履きに履き替えながら彼女に言う。
「お祝いって言っても、モデルの仕事でお祝いってどうするの?」
「俺は詳しくないけど……大きい雑誌に出れたとか、表紙を飾れたとか?」
「あ、なるほ──」
途中で吉田の声が、ぶつりと途切れる。
「吉田?」
振り返り彼女を見ると、自分の下駄箱を見ながら、途方に暮れたかのように立ち尽くしてしまっていた。
何事かと彼女の側に行き、下駄箱を見る。
「──っ!?」
吉田の下駄箱には大量のゴミと、『死ね』と書かれた紙が入っていた。
自分の中の血液が一気に頭の天辺に上がっていくのが感覚でわかる。今にも下駄箱を蹴飛ばしたくなる衝動に駆られるが、立ち尽くし、悲しそうな顔をしている吉田を見てちょっとだけ、ほんのちょっぴりだけ冷静になった。
俺は履き替えた上履きから外履きに履き替え、吉田の腕を引っ張った。
「行こう」
「──え、え? 谷本? 上履きは!?」
吉田の質問に答える余裕のない俺は、彼女の言葉を無視して外履きのまま、三年一組の教室に乗り込んだ。
こっちの状況も何も知らずに駄べっているクラスメイト達の真ん中を突っ切る。
「んだよ!」と睨んできた男子をギロリと睨み返すと、「ひっ……」と小さな悲鳴が聞こえてきた。
有河……今はお前なんかを相手にしている暇はない。
教室の真ん中。俺の机の上に不遜に座ってやがる井駒の方へ、迷わず歩を進める。
「おい」
「なに──きゃっ!?」
振り向きざま、井駒の胸ぐらを掴んで、そのまま強引に上へと持ち上げてやった。
野球で培った筋肉をこんな使い方をしたくはなかったが、そのおかげで、こんな女は面白いように宙に浮く。
「きゃああああああ!!」
一丁前に騒ぎ立てる井駒グループの女子達。教室内が一瞬で静まり返り、全ての視線がこちらに突き刺さる。
「お前がやったんだろ? ──なぁ!?」
「な、なに、なにを……っ」
「とぼけんなよ、ゲスがっ」
俺は悲鳴を上げた井駒の取り巻きの女子どもに視線を走らせる。
「なに黙ってんだ。お前らだろ?」
「は? なんのこと──」
「答えろ。一人ずつ殺すぞ」
脅しじゃない。本気の殺気が伝わったのか、一人の女子が腰を抜かし、その場でガタガタとへたり込んだ。もう一人の女子は、そのまま視線を逸らし、必死に黙秘を続けている。
「ちっ……おい、お前。お前が主犯だろ、なぁ?」
「ち、違う! 吉田さんのところにゴミなんか入れてない……っ!」
「頭悪すぎだろ。自分で答え言ってんじゃねぇか」
バキバキと腕を鳴らして、真っ直ぐに井駒の顔を見る。今にも泣きそうなツラが無性に腹が立つ。
「なんだ? モテるから殴られないとでも思ったか? ぼっちの男が何もしてこないとでも思ったか? なめてんじゃねぇぞ、ゴミが。殺してやるよ」
本当に殺される。
それが骨の髄まで理解できたのか、井駒は目から大量の涙をボロボロと流し始めた。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
「はぁ? 謝るくらいなら最初からしょーもないことしてんじゃねぇよ。いいか? よく聞けタコ。俺の悪口ならいくらでも言っていい。けどな……吉田を傷つける奴は、絶対に許さねぇ」
「しない! しません! もう吉田さんに関わらないから……! だから、殴らないで……っ!」
「ゴミの言う事を信用なんてできるか。もう二度とこんな真似ができないように、身体で教えてやるよ」
人を殴ったことなんてない。ましてや女子を殴ろうとしている。いけないことだ。だけど、こいつは人じゃない。ただの害虫だ。容赦なく拳を振り下ろせる。
「ひぃぃ──っ!!」
泣き叫ぶ悲鳴も、今の俺の耳には何も届かない。
「だめっっ!!」
殴りつけようとした瞬間、俺の右腕に、身体全体でしがみついてくる女の子がいた。
吉田だった。
彼女はぐしゃぐしゃに顔を濡らしながら、俺の拳を必死に胸元へ抱きしめる。
「谷本の……谷本のっ、その右手は、こんなことに使うべきじゃない……!! 世界で戦うためのものでしょ……!? だから、だめだよ、こんなの……やめて……っ!!」
「吉田……」
ボロボロと大粒の涙を流す彼女の姿を見て、俺の脳内に、一気に冷水が注がれたように理性が戻ってきた。
ぎり、と歯を食いしばり、井駒を掴んでいた手を離す。
「けほっ、ごほっ……ぅぅ、あああああああ!!」
床に崩れ落ちたゴミが、大声を上げて泣き出した。ひたすらに不愉快だ。
「おいっ!! 何をしてるんだ!?」
騒ぎを聞きつけたのか、廊下から担任の北山先生が血相を変えて飛び込んできた。
こうして、俺たちはそのまま生徒指導室へと連行されることになった。




