第七話:再会と因果
夜の酒場。
ざわめきと笑い声、酒の匂い。
マリクは静かにカウンターの端に座っていた。
「……あれ」
マリクが小さく呟く。
視線の先。
そこにいたのは――。
「……あいつ」
かつてマリクを追放したパーティのリーダーだった。
顔は赤く、完全に出来上がっている。
「ははっ、俺たちは最強だ!」
「前線は任せろってんだ!」
大声で笑い、酒をあおる。
周囲の仲間も苦笑いだ。
「……変わってないな」
マリクがぽつりと言う。
あの日の言葉が、脳裏によみがえった。
『悪いな、マリク』
『お前のスキルじゃ前線は無理だ』
『街で頑張れよ』
あのとき、自分がどんな思いで背を向けたのか。
目の前の男は、きっと覚えてもいないだろう。
マリクは酒杯を置き、ゆっくりと立ち上がった。
背後から近づく。
気づかれない距離。
ほんの一瞬、手をかざす。
淡い光。
それだけだった。
マリクは、男の腹部に蓄えられていた脂肪の一部を、下半身へ移した。
移動先は、陰嚢の周囲にある皮下組織。
脂肪そのものを移しただけで、筋肉や内臓には手を加えていない。
外から見ただけでは、まだ大きな変化は分からない。
だが、脂肪の重さは消えない。
移動した分だけ、体の重心と動きやすさが変わる。
何も起きていないように見える。
マリクはそのまま、何事もなかったかのように酒場を出た。
その背中に、男の笑い声が響いていた。
翌日。
ギルド前がざわついていた。
「おい、あいつどうしたんだ?」
「動きがおかしくないか?」
問題のリーダーは、広場の中央で苛立っていた。
「……なんだこれ」
体が、妙に重い。
特に下半身。
陰嚢の周囲が異常に膨らみ、まるで重りをぶら下げているようだった。
歩くたびに太腿と擦れ、不快な痛みが走る。
「くそっ……!」
剣を振るう。
だが――。
遅い。
明らかに遅い。
踏み込もうとするたび、下半身の重みが動きを妨げる。
「昨日までこんなじゃなかっただろ!?」
仲間たちも戸惑う。
女性メンバーが心配そうに顔をしかめた。
「……何かの病気じゃない?」
「そんなわけあるか!」
だが、昨夜はひどく酔っていた。
記憶も曖昧だ。
何が起きたのか、自分でも分からない。
「もう一回だ!」
リーダーは歯を食いしばり、剣を構え直した。
一歩踏み込む。
その瞬間、下半身に重みがかかった。
「ぐっ……!」
思わず足を止める。
剣先が大きくぶれた。
「くそっ! なんでだ!」
何度試しても同じだった。
動こうとすれば痛みが走り、踏み込もうとすれば体勢が崩れる。
昨日まで当たり前にできていた動作が、今日はまともにできない。
「リーダー……それじゃ前線は……」
一人が言い淀む。
沈黙。
そして――。
「……悪いな」
誰かが言った。
リーダーの表情が固まる。
「お前のその体じゃ、前線は無理だ」
「……は?」
「今のお前を連れて魔物と戦えば、俺たちまで危険になる」
「待てよ! たった一日だぞ!?」
「でも、今は戦えないだろ?」
その言葉に、リーダーは息を詰まらせた。
「治るかもしれないだろ!」
「だったら治してから戻ってこいよ」
仲間の一人が、気まずそうに視線を逸らした。
そして、最後の言葉を口にした。
「……街で頑張れよ」
その瞬間。
リーダーの顔から血の気が引いた。
その言葉は。
かつて、自分が言ったものと――。
まったく同じだった。
『悪いな、マリク』
『お前のスキルじゃ前線は無理だ』
『街で頑張れよ』
あの日、自分は何も考えずに言った。
役に立たない人間を切り捨てる。
それが当然だと思っていた。
だが今、同じ言葉を向けられている。
「……ふざけるな」
声が震えた。
「俺は……俺は、お前らのリーダーだぞ!」
「だったら、戦えるようになってくれよ」
誰も目を合わせなかった。
広場では、元リーダーが歯を食いしばっていた。
屈辱。
怒り。
そして――。
初めて味わう、“切り捨てられる側”の現実。
握りしめた拳が震える。
「……こんな……こんなはずじゃ……」
だが、誰も手を差し伸べない。
それが、かつて自分がマリクに突きつけた現実だった。
少し離れた場所。
人混みの向こう側で。
マリクは一瞬だけ視線を向けた。
何も言わない。
ただ、確認するように。
かつて自分を追放した男が、今度は追放される側になっている。
あの日と同じ言葉。
あの日と同じ構図。
違うのは、立場だけだった。
「……満足した?」
隣にいたリオが、小さく尋ねた。
マリクはすぐには答えなかった。
「……どうだろうな」
あれほど悔しかった。
あれほど惨めだった。
同じ思いを味わわせれば、胸がすくと思っていた。
だが、実際に目にすると、不思議なほど心は静かだった。
「……あいつも、少しは分かっただろ」
「何を?」
「役に立たないってだけで切り捨てられるのが、どんな気分かってことをさ」
リオは黙って頷いた。
マリクはもう一度、元リーダーを見た。
男は広場の中央で、呆然と立ち尽くしている。
「……まあ、俺も褒められたことをしたわけじゃないけどな」
マリクは小さく息を吐いた。
相手の体を勝手に変えた。
それが正しい行いではないことくらい、分かっている。
それでも、あの日の悔しさを忘れることはできなかった。
「……行くぞ」
「うん」
リオは静かに頷いた。
二人は歩き出す。
もう、振り返ることはない。
かつて、マリクは役立たずとして追放された。
だが今は違う。
自分の力で仕事を生み出し、人から必要とされるようになった。
一方、かつてのリーダーは、自分が切り捨てた男の力によって、同じ立場へと転落した。
因果は巡る。
だが、それで過去が消えるわけではない。
マリクは前を向いた。
自分には、もう帰る場所がある。
待っている仕事がある。
そして、隣を歩いてくれる仲間がいる。
復讐よりも大切なものを、すでに手に入れていた。
「……なあ、リオ」
「なに?」
「今日の予約、何人だっけ?」
「六人。しかも、全員お金持ち!」
「……そりゃ急がないとな」
二人は顔を見合わせ、笑った。
背後では、元リーダーがまだ広場に立ち尽くしていた。
だがマリクは、もう振り返らなかった。
彼の人生は、すでに前へ進んでいるのだから。




