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脂肪転移の魔術師 完全なハズレスキルが最強の錬金術スキルでした  作者: レモンティー


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第五十七話 ハズレスキルを授かった少年が、俺の工房を訪ねてきました

秋の終わり、工房に一通の手紙が届いた。

差出人は王都から馬車で二日ほどの村に住む少年だった。

『ぼくのスキルは、誰も使い道を知りません』

『大人たちは、ハズレだと言います』

『マリクさんも昔、そうだったと聞きました』

『どうすればいいですか』

マリクは何度も読み返した。

文字はところどころ曲がっていた。

何度も消して書き直した跡もある。

「……会ってみたいな」

マリクが呟くと、リオが隣から手紙を覗いた。

「村まで行く?」

「いや、まず返事を書く」

「何て?」

マリクは少し考えた。

『今すぐ役に立つと証明する必要はありません』

そこまで書いて、手を止めた。

言葉だけでは足りない気がした。

かつての自分も、誰かにそう言われたら少しは救われただろうか。

でも、本当に欲しかったのは、使い道を一緒に探してくれる相手だった。

マリクは続きを書いた。

『もしよければ、工房に来てください。

一緒に考えましょう』

一週間後、少年は父親に付き添われて工房を訪れた。

名前はトビアス。

まだ十二歳で、緊張のせいか背筋を固くしている。

「……本当に、マリクさんですか?」

「ああ。よろしくな」

マリクが手を差し出すと、少年は両手で握った。

「ぼく、スキル鑑定で笑われたんです」

「何というスキルなんだ?」

少年は小さな声で答えた。

「……『微温調整』です」

リオが首を傾げた。

「びおん?」

「物の温度を、ほんの少しだけ変えられるんです」

「どのくらい?」

「温かくしても、ぬるくなるだけ。冷たくしても、少しひんやりするだけ」

父親が申し訳なさそうに言った。

「村では、火魔法にも氷魔法にも及ばないと言われまして」

マリクは頷いた。

「確かに、大きな火は起こせないな」

少年の顔が曇った。

「……やっぱり」

「でも、少しだけ変えられるんだろ?」

「はい」

「どんな物でも?」

「それは……試したことがありません」

マリクは笑った。

「じゃあ、まず調べよう」

研究室へ案内すると、オルフェンとダリオが測定器を用意していた。

「子供に危険な実験はさせんぞ」

オルフェンが釘を刺す。

「分かっています」

マリクは頷いた。

「温度を測るだけです」

水の入った小さな器を三つ並べた。

一つは常温。

一つは少し温かい。

もう一つは少し冷たい。

トビアスは最初の器へ手をかざした。

「……やってみます」

測定器の針がわずかに動いた。

「おお」

ダリオが声を上げる。

「変化していますね」

少年は驚いた。

「……本当?」

「本当だ」

マリクが頷く。

「じゃあ、次は同じ条件でもう一度」

二回目も、わずかに針が動いた。

三回目は動かなかった。

少年が肩を落とす。

「失敗した……」

「失敗も記録だよ」

ダリオが答えた。

「なぜ動かなかったのか、これから調べればいい」

オルフェンが腕を組んだ。

「小さな変化を安定させるのは、案外難しいものだ」

リオが笑った。

「私なんて、熱いお茶をちょうどいい温度にするの、毎回失敗するよ」

「それは待てばいいだろ」

マリクが言う。

「待てないから困るんだって!」

トビアスが初めて笑った。

実験の後、マリクは少年に尋ねた。

「この力で何をしたい?」

トビアスは考え込んだ。

「……分かりません」

「それでいい」

「いいんですか?」

「ああ。俺も最初は分からなかった」

マリクは自分の右手を見た。

「脂肪を移せると言っても、冒険では役に立たないと決めつけられた。自分でも、そう思っていた」

「でも、今はすごい人です」

「すごいかどうかは知らない」

マリクは笑った。

「ただ、役に立つ場面が見つかったんだ」

少年は目を伏せた。

「ぼくにも、見つかりますか?」

「必ず見つかるとは約束できない」

マリクは正直に答えた。

「でも、誰も知らないことと、価値がないことは違う」

トビアスはゆっくり顔を上げた。

「……はい」

トビアスは、帳面の余白に今日の日付を書き込んだ。

その下には、大きな丸も、小さな失敗の印も並んでいる。

「消さなくていいの?」とリオが聞く。

「次に同じことをしないために、残しておきます」

少年の返事に、マリクは嬉しくなった。

帰り際、父親が深く頭を下げた。

「今日は、ありがとうございました」

「こちらこそ」

マリクは答えた。

「村に戻ってからも、無理に能力を使わせないでください。本人が嫌がるなら、休んでいいんです」

父親は頷いた。

「分かりました」

トビアスが帰った後、ダリオが測定結果を整理した。

「この程度の温度差なら、計測誤差も疑う必要があります」

「さっきは変わったって言ったじゃないですか」

リオが尋ねる。

「針が動いたことは事実です。でも、スキルが原因だと断定するには、比較が足りません」

マリクは頷いた。

「じゃあ、次は術を使わない器も混ぜましょう」

「ええ。順番も本人には知らせずに測ると、思い込みを減らせます」

リオが首を傾げた。

「難しいなあ」

「難しいから、みんなでやるんだ」

マリクは答えた。

帰り際、マリクはトビアスの帳面をもう一度開いた。

成功した日より失敗した日の方が多かった。

それでも、少年は頁を破らなかった。

マリクはそのことが嬉しかった。

結果が出ない時間を、恥ずかしいものにしなくていい。

自分も、ようやくそう思えるようになった。

トビアスは扉の前で振り返った。

「マリクさん!」

「何だ?」

「ぼく、できたことと、できなかったこと、帳面に書きます!」

「それはいいな」

「また見せに来てもいいですか?」

「もちろん」

少年は嬉しそうに笑い、父親と帰っていった。

夕方、リオが受付帳を閉じながら言った。

「なんか、昔のマリクに会ったみたいだったね」

「そうかもしれない」

「でも、あの子は一人じゃないね」

マリクは頷いた。

「そうだな」

その夜、オルフェンから連絡があった。

王都冒険者ギルドが、スキル鑑定後の相談窓口を新設したいという。

能力の使い道が分からない若者を、すぐに役立たずと決めつけないための場所。

マリクは手紙を読み、静かに笑った。

「……少しずつ変わるんだな」

リオが尋ねた。

「引き受けるの?」

「全部はできない。でも、協力はしたい」

「工房は?」

「もちろん続ける」

「よかった」

リオは胸を撫で下ろした。

マリクは窓の外を見た。

昔の自分に会えたなら、何を言うだろう。

追放されるな、と忠告するだろうか。

それとも、誰かを見返せと励ますだろうか。

たぶん、どちらでもない。

まずは、話を聞くだろう。

そして、こう言う。

『分からないなら、一緒に調べよう』

それが、今の自分にできる一番のことだった。

その晩、トビアスの父親から、宿に着いたという短い伝言が届いた。

『帰りの馬車で、息子が初めて自分のスキルの話を楽しそうにしました』

マリクは何度もその一文を読んだ。

まだ仕事につながったわけではない。

誰かの役に立つ方法も見つかっていない。

それでも、少年は自分の能力を恥ずかしがらずに話せた。

今日の成果は、それで十分だった。

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