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脂肪転移の魔術師 完全なハズレスキルが最強の錬金術スキルでした  作者: レモンティー


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第五十三話 王国が俺の研究を買い取ると言ったので、条件を出しました

古代研究所の台帳が見つかった翌日、王宮から工房に使者が来た。

王国は研究への支援を申し出たが、条件を聞いたマリクの顔から笑みが消えた。

「研究成果を、王国へ譲渡していただきたい」

王宮の使者は、丁寧な口調で告げた。

マリクは湯飲みを置いた。

「……譲渡?」

「はい。選択転位に関する研究は、国にとって重要です」

使者は封筒を差し出した。

中には、研究資金の支給と、王立研究機関への編入を求める書類が入っていた。

「……ずいぶん急な話ですね」

「王国としては、研究を支援したいのです」

マリクは一頁ずつ読んだ。

研究費は十分すぎるほどだった。

専用の施設も用意される。

だが、最後の条項に目が留まった。

『成果の利用先および公開範囲は、王立研究局が決定する』

マリクは顔を上げた。

「これだと、俺たちが研究結果を医師に伝えるにも許可が必要になりますか?」

使者は少し迷った。

「……場合によっては」

「施術の安全に関する情報も?」

「機密指定された場合は、そうなります」

マリクは書類を閉じた。

「このままでは、受けられません」

使者は驚いた。

「研究費が不足していますか?」

「いいえ。金額の問題じゃありません」

「では、何が?」

「安全に関する情報を、必要な人へ伝えられなくなることです」

使者は眉を寄せた。

「ですが、技術が悪用される可能性もあります」

「それは分かります」

マリクは頷いた。

「だから、全部を無条件で公開しようとは思いません」

使者の表情が少し和らいだ。

「ならば……」

「ただし、事故を防ぐための注意事項まで隠すのは違います」

マリクは言った。

「そこは分けて考えたい」

使者は返事を保留し、王宮へ戻った。


その日の午後、工房で話し合いが開かれた。

エルナは契約書を机に広げた。

「研究費の支援は魅力的です。でも、今の条項では工房の独立性が失われます」

カインが頷く。

「材料の調達も、王宮の許可が必要になるかもしれませんね」

ミアは腕を組んだ。

「うちで働く人は、どうなるんです?」

「そこも曖昧です」

エルナは答えた。

リオが不安そうに尋ねた。

「また、誰かに工房を取られちゃうの?」

マリクは首を振った。

「そうならないように、今から考える」

「でも、王宮だよ?」

「王宮でも、話はできる」

マリクは契約書の余白に条件を書き始めた。

第一に、施術の可否は工房と医師が判断すること。

第二に、本人の同意を得ない人体実験を行わないこと。

第三に、安全上の注意は必要な医療機関へ共有できること。

第四に、軍事目的の研究は別途協議とすること。

第五に、工房の職員と利用者の情報を無断で引き渡さないこと。

エルナは条件書の控えに、特に重要な三か所へ赤い印をつけた。

『施術の強制を認めない』『安全上の中止権を残す』『工房の独立を守る』

リオはその印を指でなぞった。

「これが譲れない三つ?」

「ああ。研究より先に守るものだ」

「……多いね」

リオが目を丸くした。

「まだ足りないくらいだ」

エルナが頷いた。

「成果の所有権と、契約を終える条件も必要です」

「頼む。俺はそういう文章が苦手だ」

「任せてください」


翌日、領主が工房を訪れた。

「王宮の提案を断ったそうだな」

「条件が合わなかったので」

「相手は王国だぞ」

「分かっています」

領主はしばらくマリクを見た。

「……恐ろしくないのか?」

「恐ろしいですよ」

マリクは正直に答えた。

「でも、怖いから何でも署名するなら、以前の商会と変わりません」

領主は苦笑した。

「まったく、お前は……」

「失礼でしたか?」

「いや。筋は通っている」

領主は書類を手に取った。

「王宮にも、安全な研究を望む者はいる。条件を整理して、交渉の場を設けよう」

「ありがとうございます」

「ただし、私の後援があるからといって、必ず望みが通るとは思うな」

「はい」


数日後、王宮の会議室。

マリクはエルナとオルフェンを伴って席に着いた。

向かいには研究局の役人と、医療行政を担当する官吏がいる。

役人が口を開いた。

「技術の軍事転用を防ぐには、国の管理が必要です」

「管理の必要性は理解しています」

マリクは答えた。

「ですが、俺が一人で全てを決めるのも危険です」

官吏が眉を上げた。

「では、何を提案する?」

「研究の監督に、医師と錬金術師、それから工房以外の人も入れてください」

「……外部の者を?」

「はい。間違っているとき、止めてもらえるように」

会議室が静かになった。

オルフェンが低く笑った。

「研究者にとって、最もありがたく、最も耳の痛い仕組みだな」

マリクは続けた。

「危険な術式の詳細は、慎重に扱うべきです。でも、施術を受ける人の安全を守る情報は、医療機関と共有したい」

官吏は書類を見つめた。

「……一理ある」

役人は渋い顔だった。

「国が金を出す以上、成果は国のものでは?」

エルナが静かに答えた。

「資金提供と、無制限の所有権は同じではありません。利用範囲を契約で定めるべきです」

役人は言葉を詰まらせた。

会議が終わる直前、医療行政の官吏がもう一つ尋ねた。

「仮に、国が資金を出さなければ研究は止まりますか?」

マリクは首を振った。

「遅くはなります。でも、止めるつもりはありません」

「王国の支援を軽んじているのですか?」

「いいえ。

支援があれば、測定器を整えられます。

専門家も呼べます」

マリクは机に手を置いた。

「ただ、金が出るから危険な実験を急ぐ、という順番にはしたくありません」

官吏はしばらく考えた。

「……予算を付ける側には、成果を急がせる事情もあります」

「分かります」

「その圧力を避けるには、進捗の報告が必要でしょう」

エルナが頷いた。

「成果だけでなく、中止した試験や問題点も報告します」

「失敗も?」

「はい。失敗を隠せば、同じことを繰り返しますから」

官吏は初めて笑った。

「では、その報告方法も次の案に入れましょう」

マリクは胸の内で息を吐いた。

対立していると思っていた相手にも、譲れない理由がある。

それを聞いたうえで、守るべき線を決める。

商会との交渉ではできなかった話が、今日は少しだけ進んだ気がした。

会議は長引いた。

結局、その日に契約はまとまらなかった。

だが、研究局は新しい案を作ることに同意した。

帰り道、リオが王宮の門で待っていた。

「どうだった!?」

「まだ決まってない」

「ええっ!」

「でも、話は続けられる」

マリクは笑った。

「それで十分だ」

リオはほっと息を吐いた。

「工房、なくならない?」

「なくさないために交渉してるんだ」

その夜、オルフェンから封書が届いた。

旧王立第七研究所の調査許可に関する返答だった。

『現地の外周調査を条件付きで認める』

ただし、最後に一文が添えられている。

『研究所の旧施設内で発見された資料は、王国の保管対象とする』

マリクは眉を寄せた。

「……また所有権の話か」

エルナが覗き込んだ。

「今度は、先に条件を確認できますね」

「ああ」

マリクは頷いた。

強い力を持つことと、その力を自由に使えることは違う。

かつて仲間に不要と言われた自分を、今では王国が必要としている。

だが、必要とされるために、全てを差し出すつもりはなかった。

「……俺たちの仕事は、俺たちで守る」

リオが隣で笑った。

「もちろん。私たちの工房だもん」

窓の外には、王都の灯りが広がっていた。

その先、北の山には、封鎖された古い鉱山がある。

そこに眠るものが、マリクの能力の秘密を解く鍵なのか。

答えを確かめる日は、少しずつ近づいていた。

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