第五十二話 古代研究所の台帳に、俺のスキルと似た術式がありました
地方の診療所との協力が始まって間もなく、オルフェンから研究院へ来てほしいという連絡が届いた。
古代の記録に、新しい手掛かりが見つかったらしい。
「これを見ろ」
オルフェンは、古びた台帳を机に置いた。
革の表紙はひび割れ、角には焼け焦げた跡がある。
「旧王立第七研究所の保管台帳だ」
マリクは身を乗り出した。
「見つかったんですか」
「ああ。ただし、全部ではない」
台帳の半分ほどは、途中で頁が切り取られていた。
「……また破れてる」
リオが顔をしかめた。
「古代の人って、紙を大事にしなかったの?」
「誰かが後から持ち去った可能性もある」
オルフェンは答えた。
「問題は、残っている部分だ」
老人は一行を指さした。
『選択転位・生体脂質試験』
マリクは息を止めた。
「……脂質?」
「脂肪を含む物質の総称だ」
「じゃあ、俺の能力と……」
「似ている。だが、同じとはまだ言えん」
オルフェンは慎重だった。
台帳には、試験番号と担当者の名が並んでいた。
『第七研究所・第三実験室』
『対象:生体脂質』
『転位先:同一個体内』
『結果:一部成功』
その下に、赤い文字で追記がある。
『対象指定の誤認に注意』
マリクは眉を寄せた。
「誤認?」
「狙った物質と違うものを選んでしまうことだろう」
「……それ、危険じゃないですか」
「極めてな」
リオが机から一歩離れた。
「だから研究所がなくなったの?」
「それも分からん」
オルフェンは台帳を閉じかけ、手を止めた。
「もう一つある」
頁の端に、小さな記号が描かれていた。
輪が三つ重なった形。
マリクは見覚えがあった。
「……これ、試作容器の図面に似ています」
マリクはすぐに図面を重ねようとして、手を止めた。
似ているというだけで同じ仕組みだと決めつければ、古い研究者の失敗を繰り返す。
「何?」
「フェルン金工房に頼んだ容器です。古い図面を参考に、固定具を作ってもらいました」
オルフェンの目が鋭くなった。
「図面を持ってこい」
台帳の端には、研究者の筆跡で小さく注意が残っていた。
『似た術式を、同じ術式と決めつけるな』。
オルフェンはその行を二度読んだ。
「古い時代にも、早合点する者がいたようじゃな」
マリクは笑えなかった。
自分の能力の正体を知りたい気持ちが強いほど、その一行を忘れてはいけないと思った。
翌日。
マリクたちは工房の研究室に集まった。
フェルン金工房から届いた試作品は、まだ空のままだ。
中へ脂肪を入れる試験はしていない。
材質の確認と、密閉試験が終わっていないからだ。
オルフェンは図面と台帳を並べた。
「……確かに、似ている」
「同じものですか?」
「いや。外側の固定方法が共通しているだけだ」
老人は指先で輪をなぞった。
「この印は、容器そのものではなく、術式の位置を示しているのかもしれん」
「術式の位置?」
「転位元、転位先、そして指定条件。三つを別々に定める考え方だ」
マリクは首を傾げた。
「俺は、そんなこと考えずに使っています」
「だから調べるのだ」
オルフェンは答えた。
「感覚でできていることを、言葉にできれば、危険を減らせる」
午後、ダリオが測定器を持ってやってきた。
「研究会で話した器具です。魔力の変化を記録できます」
「人体で試すんですか?」
マリクが尋ねる。
「いいえ。まずは術を発動しない状態で、装置の誤差を調べます」
「……安心しました」
ダリオは笑った。
「あなたの工房に来ると、無理な実験をしないのが当たり前になりますね」
測定器を設置し、何度か試験を繰り返す。
最初の値は安定しなかった。
「……故障?」
リオが覗き込む。
「私の置き方が悪かったようです」
ダリオは苦笑した。
「床の振動を拾っています」
カインが厚い台を持ってきた。
「これならどうです?」
「助かります」
器具を置き直すと、値は落ち着いた。
マリクは感心した。
「術の前に、道具の確認か」
「そうです。道具が間違っていたら、術が間違っているように見えます」
夕方、オルフェンは台帳の最後の頁を開いた。
そこには、研究所の移転記録が残っていた。
『第七研究所、王都北方の旧鉱山施設へ資料移送』
「……旧鉱山?」
マリクが尋ねた。
「今は封鎖されている場所だ」
「なぜ?」
「崩落があったと記録されている。詳細は不明だ」
リオが腕を組んだ。
「危ない場所なら、行かない方がいいよ」
「そのとおりだ」
マリクは即答した。
リオが驚いた。
「えっ、行かないの?」
「調査はしたい。でも、いきなり潜り込む理由はない」
マリクは地図を広げた。
「まず、管理者に連絡して、現地の状況を確かめる」
オルフェンは満足そうに頷いた。
「冒険者時代のお前なら、すぐ向かったか?」
「昔の俺は、そもそも調査に連れていってもらえませんでしたよ」
「そうだったな」
老人は苦笑した。
夜、マリクは台帳の写しを研究帳に挟んだ。
生体脂質。
対象指定の誤認。
三つの輪。
どれも答えではない。
オルフェンは最後に釘を刺した。
「古い記録は、正しいことばかり書いてあるとは限らん。昔の研究者も間違える」。
マリクは頷いた。
伝説の錬金術を盲信するつもりはない。
残された失敗の記録こそ、今の自分たちに必要な道しるべかもしれなかった。
その晩、マリクは研究帳を開き、古い台帳の注意書きを何度も読み返した。
『対象指定の誤認に注意』
単なる古代の失敗談ではない。
もし自分が脂肪だと思って別の組織を動かしていたら。
想像しただけで背筋が冷えた。
「マリク、顔色悪いよ」
リオが湯飲みを差し出した。
「少し考えすぎた」
「危ないこと、するつもり?」
「しない。少なくとも、確かめ方が分かるまでは」
リオは安心したように息を吐いた。
「じゃあ、約束」
「何を?」
「新しいことを試すときは、私たちに先に話して」
マリクは頷いた。
「分かった」
「オルフェン先生にも、ハロルド先生にもね」
「分かった、分かった」
リオは真剣な顔のままだった。
「二回言ったから、二回守ってよ」
「それはどういう計算だ」
二人は笑った。
だが、マリクはその約束を研究帳にも書き込んだ。
一人で発見することより、誰かと安全を確かめること。
今の自分には、その方がずっと大切だった。
オルフェンは台帳の写しに注記を添えた。
『名称の一致は確認。
ただし、現代の脂肪転移との同一性は未確定』
「期待しておった答えと違うか?」
「いいえ」
マリクは首を振った。
確かめるべきことが分かっただけでも、十分な発見だった。
だが、自分の能力が偶然の産物ではないかもしれないという手がかりだった。
そのとき、エルナが新しい報告を持ってきた。
「旧鉱山について、領主様の事務所から返答がありました」
「早いな」
「現在の立ち入りは許可制です。安全確認を行うなら、専門の調査隊が必要だそうです」
マリクは頷いた。
「それなら、準備から始めよう」
リオが笑った。
「宝探しみたい!」
「宝があるとは限らないぞ」
「分かってる。でも、何があるか分からないのって、ちょっとわくわくする」
マリクも笑った。
「……それは同感だ」
「でも、何かを見つけるより、全員で帰ってくることを優先しよう」
「うん。宝探しの約束、だね」
研究帳の新しい頁に、マリクは書いた。
『目的は、強い術を手に入れることではない』
『今ある術を、もっと正しく理解すること』
その文字の下に、三つの輪を描いた。
失われた研究所が何を残したのか。
答えは、まだ封鎖された鉱山の奥に眠っていた。




