第三十七話 脂肪を移してほしいという騎士が百人集まりました
その日の午後には、北門から出発する輸送隊の護衛選抜が控えていた。
騎士たちは出発前に「疲れない体」を手に入れたいという。
輸送隊が運ぶのは、北の村へ届ける冬越しの食料だった。
護衛の失敗は、騎士だけでなく村の暮らしにも響く。
だからこそ、効かない施術を効くと言って送り出すわけにはいかなかった。
だが、百人全員が同じ期待を抱えているなら、断る説明にも責任があった。
朝、工房の扉を開けたカインが、そのまま動かなくなった。
「……マリクさん。ちょっと来てください」
「どうした。昨日の看板でも倒れたか?」
「看板は無事です。問題は、その向こうです」
マリクが外へ出ると、通りの端まで鎧姿の男たちが並んでいた。
先頭の騎士が、姿勢を正して敬礼する。
「王都守備騎士団、第二中隊所属のレオンと申します!」
「……何か事件ですか?」
「いえ! 施術の予約に参りました!」
「何人で?」
「百名です!」
マリクは一度、工房の扉を閉めた。
三秒後、もう一度開けた。
騎士たちは、まだいた。
「……夢じゃないな」
「失礼ながら、現実であります!」
後ろからリオが顔を出す。
「わあ、鎧の行列! 王宮のお祭り?」
「うちの予約客らしい」
「百人!?」
騎士たちが一斉に頷いたため、金属の擦れる音が通りに響いた。
エルナは騒ぎを聞きつけると、人数を確認するより先に帳簿を開いた。
「本日の予約はすでに埋まっています。飛び込みの施術はできません」
「承知しております!」
レオンは大きな声で答えた。
「団長より、こちらの工房で身体調整の相談を受けるよう命じられました!」
「身体調整、ですか」
マリクは嫌な予感がした。
「具体的には、何を希望しているんです?」
「長時間の行軍でも疲れない体です!」
「それは無理です」
即答だった。
レオンの敬礼が止まる。
「……まだ何も試していませんが」
「脂肪を移しても、訓練した筋肉が増えるわけじゃありません。疲れない体も作れません」
騎士団の隊長は、提出された改善案を読み返した。
「魔術を受けずに帰る者が百人とは、部下にどう説明すればいい」
マリクは鎧師への紹介状を示した。
「全員が同じ施術を受けるより、困っている理由を分けた方が早いと思います」
隊長は渋い顔で頷いた。
「次の訓練では、鎧の調整で何が変わったか報告させよう」
百人分の施術予約は、一枚の点検表に変わった。
後方の騎士が小声で呟いた。
「おい、聞いていた話と違うぞ」
「俺は腹を引っ込めれば鎧が軽くなると……」
「鎧そのものの重さは変わらないでしょう」
マリクが言うと、騎士たちは静かになった。
リオは口元を押さえた。
「……みんな、期待しすぎだよ」
マリクはレオンに向き直った。
「団長には、誰が何を言ったんです?」
「冒険者ギルドの研究報告を見たと伺っています」
「ああ……」
先日の装備に関する調査だ。
脂肪の配置を変えたからといって、装備が軽くなるわけではない。
そう結論づけたはずだった。
「報告書の最後まで読んでもらえなかったんだな」
エルナはすでに別の紙を用意していた。
「まず、団長様へ説明書を送ります。百名の方には、一度お引き取りいただくのがよろしいかと」
「せっかく来たのに?」
レオンが困った顔をする。
「朝の訓練を調整して来ましたので……」
「なら、今日は説明だけにしましょう」
マリクは工房前の小さな広場を指した。
「通行の邪魔にならない人数だけ残ってください。ほかの方は詰め所で待機を」
レオンが号令をかけると、騎士たちは驚くほど整然と散っていった。
カインが感心する。
「さすが騎士団。客の列もこれくらい整ってくれたらなあ」
「騎士団の訓練を受付に取り入れるのはやめてくださいね」
エルナが釘を刺した。
午前の予約を終えた後、マリクは代表の騎士十名と面談した。
一人は腹部が鎧に当たることを気にしていた。
一人は長年の負傷で、左右の体の見た目が違うことに悩んでいた。
別の騎士は、上官に体型をからかわれたのが嫌で来たという。
「……待ってください」
マリクは最後の騎士を見た。
「あなた自身は、体型を変えたいんですか?」
「え?」
「上官が言ったから、ではなく」
騎士はしばらく黙った。
「……正直、今のままで困っていません」
「なら、施術はしません」
「命令に逆らうことになりますが……」
「施術は任務じゃありません。本人の希望がなければ引き受けません」
レオンが隣から頭を下げた。
「申し訳ありません。団内でも説明が不足していました」
「団長にも伝えてください」
マリクは答えた。
「騎士の体は、騎士自身のものです」
午後、ハロルドが工房へやってきた。
「騎士団が百人来たそうですな」
「噂になるのが早すぎませんか?」
「鎧を着た百人が並べば、そりゃあなります」
ハロルドは苦笑し、面談記録に目を通した。
「疲労を減らすという宣伝は、特に危険です。効果を確認していないのに期待させてはいけません」
「分かっています」
「一方、鎧が当たって痛むという相談は、装備の調整が先でしょう」
マリクは頷いた。
「鍛冶師にも相談するよう伝えます」
夕方、騎士団長本人が訪れた。
大柄な壮年の男だったが、マリクの説明を聞くと素直に頭を下げた。
「私の早合点だった。百名も押しかけさせて、申し訳ない」
レオンは最後まで納得できない顔だった。
「では、我々は百人で押しかけて、何も得られなかったのでしょうか」マリクは護衛計画書を開いた。
「出発前の体調確認、鎧の点検、休憩の間隔。百人分を一度に見直せるなら、来た意味はあります」エルナが手配表を差し出す。
「医師と装備担当に、順番に回ってください」騎士たちは顔を見合わせた。
やがてレオンが深々と敬礼する。
「魔術でなくても、隊を守る方法があるのですね」
「いえ。分かっていただければ」
「ただ、身体の悩みを抱える部下がいるのも事実だ。個別に相談させてもらえないだろうか」
「本人が望むなら、通常の予約枠で受けます」
「特別扱いはしないと?」
「はい。騎士だから先に、ということはありません」
団長は一瞬驚き、やがて笑った。
「領主様が君を後援する理由が分かったよ」
帰り際、団長は受付に小さな封筒を預けた。
中には、騎士団の正式な謝罪文と、行列で通行を妨げた近隣商店への補償の申し出が入っていた。
「……意外ときちんとした人だね」
リオが言う。
「最初から相談してくれれば、もっとよかったけどな」
エルナは新しい案内板を立てた。
『脂肪転移は筋力・持久力・戦闘能力を高めるものではありません』
『本人の意思によらない施術は行いません』
翌朝、その看板を読んだ騎士が一人、静かに予約を申し込んだ。
「上官には言われていません。自分で相談したいんです」
マリクは笑った。
「それなら、話を聞かせてください」
百人の行列より、その一言の方がずっと嬉しかった。
そして同じ日の午後。
オルフェンから研究院への呼び出しが届いた。
『破られた写本について、妙なことが分かった。
今夜来られるか』
マリクは手紙を読み返した。
騎士団の騒ぎが収まったと思ったら、今度は古代錬金術の謎だ。
「……休む暇がないな」
リオが笑った。
「でも、楽しそうな顔してるよ」
マリクは否定できなかった。
翌日、騎士団からは別の相談も届いた。
「鎧が合わない者には、まず鍛冶師を紹介してもらえないだろうか」
マリクは手紙を読んで笑った。
「ようやく話が早くなったな」
カインは知り合いの職人を紹介し、エルナは相談先の一覧を作った。
脂肪転移を使わない解決方法が一つ増えた。
リオは一覧を見て首を傾げた。
「魔法を使わないのに、うちの仕事なの?」
「悩みを聞いたなら、できる範囲で道を示す。それも仕事だよ」
リオは騎士団の予約票を束ね、通常の客のものと同じ棚に収めた。
「百人でも一人でも、まず話を聞くんだね」
「ああ。鎧の紋章で、体の悩みが変わるわけじゃないからな」
「……なるほど。じゃあ私も案内を覚える!」
「頼む。ただし、医療の判断は先生たちに任せるんだぞ」
「分かってる!」
その返事を聞いて、マリクは少し安心した。




