第三十四話 脂肪転移で鎧を軽くしてほしいと頼まれました
「鎧を軽くしてくれ!」
朝一番の依頼人は、金属鎧を着込んだ大男だった。
「……脱げば軽くなりますよ」
マリクが答えると、男は真顔で頷いた。
「それは知っている!」
男の鎧は立派だったが、右肩の留め具だけが不自然に食い込んでいた。
マリクは金属に手を触れず、傷んだ革紐を指さした。
「軽くする前に、ここを直した方がいいんじゃありませんか」
「なら、話が早いですね」
「そうじゃない!」
リオが受付で肩を震わせていた。
男の名はドラン。
冒険者ギルドから紹介された護衛専門の冒険者で、長距離の護衛任務を控えているという。
「鎧が重くてな。十日も歩けば肩が悲鳴を上げる」
「脂肪転移で鎧の重さは変えられません」
「脂肪を減らせば、自分の体が軽くなるだろう?」
「脂肪は同じ体の中で移すだけです。体重は減りませんし、鎧も軽くなりません」
ドランは不満そうに腕を組んだ。
「騎士団も施術を受けていると聞いたぞ」
「受けています。だからといって、誰でも歩きやすくなるわけじゃない」
マリクはドランに椅子を勧めた。
「まず、いつ痛むのか教えてください」
「昼過ぎだ。肩と腰がつらい」
「鎧を着ていないときは?」
「そこまでではない」
「それなら、鎧の調整が先かもしれません」
ドランは目を丸くした。
「……魔術師が鎧の話をするのか?」
「できないことは、できる人に頼みます」
マリクはカインを呼んだ。
カインは鎧の留め具を確かめ、肩当ての位置を見た。
「これ、片側だけ革紐が短いですね」
「そうなのか?」
「荷重が右肩に寄っています。鎧師に直してもらった方がいいです」
ドランはしばらく黙り込んだ。
「……脂肪転移はいらないのか?」
「少なくとも、今すぐは必要なさそうです」
ドランは腹を抱えて笑った。
「ははは! 施術を売らない魔術師なんて初めて見た!」
「よく言われます」
「本当か?」
「最近は、たまに」
その日の午後。
ハロルドとダリオが研究院から訪れた。
「冒険者の体の負担について、調べたいそうだな」
ハロルドが言った。
「ええ。脂肪の位置を変えれば、動きやすさが変わるという依頼が増えているんです」
「可能性はある。だが、思い込みと実際の変化を分ける必要がある」
ダリオは紙を広げた。
「簡単な比較をしましょう。施術を受けない場合も含めて、歩行時間や疲労感を記録します」
「ただし、危険な負荷はかけない」
ハロルドが付け加えた。
実験に協力したのは、健康状態を確認した成人の冒険者三名だった。
ドランも参加を希望したが、まず鎧の修理を済ませることになった。
最初の協力者は、施術を受けずに決められた距離を歩いた。
次の協力者は、本人の希望に沿って少量の脂肪を体内で移動させたあと、同じ距離を歩いた。
三人目は比較のため、施術せず休憩時間だけを変えた。
結果は、はっきりしなかった。
「歩きやすくなった気はします」
施術を受けた冒険者はそう言った。
だが、歩行時間はほとんど変わらない。
疲労感も、その日の体調によって違った。
「……成功とは言えないですね」
マリクが呟く。
「失敗とも言い切れん」
ハロルドが答えた。
「人数が少なすぎるし、条件も揃っていない。
今日は『分からなかった』が正しい」
ダリオは頷いた。
「それに、脂肪の移動だけで体重が減るわけではありません。同じ体の中で移すなら総量は変わりませんから」
「確かに」
マリクは自分の能力を思い返した。
脂肪を腹から別の場所へ移す。
見た目は変わる。
だが、それだけで筋力が増えたり、鎧が軽くなったりするわけではない。
「……見た目と、働きは違うんですね」
「そういうことだ」
ハロルドは記録を閉じた。
「だからこそ、研究する価値がある」
数日後。
ドランが再び工房を訪れた。
今度は、鎧を着たまま軽々と歩いている。
「見ろ! 肩が楽になった!」
「鎧師に直してもらったんですか?」
「ああ。革紐と内側の詰め物を調整した」
ドランは金貨を一枚取り出した。
「礼だ。受け取ってくれ」
「鎧を直したのは鎧師でしょう」
「だが、教えてくれたのはお前だ」
マリクは少し考え、首を振った。
「その金で、遠征用の予備の革紐を買ってください」
ドランは目を丸くし、また笑った。
「お前、商売が下手だな!」
「よく言われます」
「それは本当だろうな!」
男が帰ったあと、リオが腕を組んだ。
「せっかくの金貨が……」
「また金の話か」
「工房の帳簿を見てると、気になるんだよ!」
エルナが笑った。
「でも、紹介を受けた鎧師から、お礼の手紙が届いています」
「え?」
「今後、工房で体型が変わって衣服や防具が合わなくなったお客様を、適切に採寸してくれるそうです」
マリクは頷いた。
「それは助かる」
脂肪転移だけで何でも解決する必要はない。
必要なら、医師に頼む。
鎧師に頼む。
食事のことなら、栄養に詳しい者へ相談する。
自分の力の限界を知るほど、頼れる人間が増えていく。
数日後、鎧師の工房から使い込まれた革紐の見本が届いた。
「どこに負担がかかっていたか、分かりやすいように送ります」と短い手紙が添えられている。
カインは見本を机に並べた。
「右側だけ伸び方が違いますね。歩くたびに、ここへ力が集中していたんでしょう」
「脂肪の問題じゃなかったわけか」
「少なくとも、今回はそうですね」
マリクは革紐を指でなぞった。
鎧師は、留め具の穴を一つずらし、肩当ての内側に薄い革を足した。
ドランが数歩歩くと、金属の鳴る音が変わった。
「あれ。右肩だけ引っ張られない」ドランはその場で何度も腕を回した。
「これだけで?」鎧師は笑った。
「これだけを見つけるのが仕事です」マリクも頷いた。
「俺の魔術にも、できることとできないことがあります。鎧には鎧の専門家がいる」ドランは代金を支払い、魔術師ではなく鎧師にも深く礼をした。
冒険者だった頃、鎧の不具合など気にしたことがなかった。
装備が重いのは当然で、痛むのは鍛錬が足りないからだと思っていた。
「……俺も知らないことだらけだな」
「知ってる人に聞けばいいんですよ」
カインがあっさり答えた。
リオは笑った。
「マリクがいつも言ってることじゃん」
「自分で言われると、妙な気分だ」
エルナは新しい紹介先一覧を作った。
医師、鎧師、仕立屋、栄養に詳しい料理人。
施術だけでは解決しない相談の行き先が、少しずつ増えていった。
リオは紹介先の一覧を見ながら、ぽつりと呟いた。
「なんだか、工房が相談所みたいになってきたね」
「最初から、客の悩みを聞く仕事だっただろ」
「そうだけど、前はマリクの魔法で全部解決すると思ってた」
「俺も、そう思いたかった時期はあるよ」
マリクは笑った。
「でも、全部一人で解決できる人間なんていない」
「……じゃあ、もっと仲間が必要になるね」
「ああ。工房の中にも、外にもな」
リオは嬉しそうに頷き、一覧の一番下に空白の欄を作った。
まだ会っていない協力者の名前を書くための場所だった。
その夜。
オルフェンから研究院への招待状が届いた。
『面白い仮説を思いついた。
お前の術は、脂肪そのものより、脂肪とそれ以外の境目を見分けているのではないか』
マリクは手紙を読み返した。
「……境目?」
その言葉が、なぜか胸に引っかかった。
数日後、ドランが再び工房を訪れた。
今度は鎧を着たまま、軽々と腕を回している。
「見てくれ! 鎧師に直してもらったんだ」
「歩きやすくなりましたか?」
「まだ長旅は試していない。だが、肩の片側だけが痛むのは減った」
カインが嬉しそうに頷いた。
「留め具の位置が変わってますね」
ドランは照れくさそうに笑った。
「俺は魔術なら何でも解決できると思っていた。けど、職人の腕もたいしたものだな」
「俺の魔術じゃできないことですから」
マリクが答えると、ドランは懐から小さな紙を出した。
護衛隊の装備点検の依頼書だった。
「今度の旅では、仲間全員の装備を見直す。紹介してくれた鎧師にも頼むつもりだ」
ドランは調整後の鎧を脱いで、留め具の位置をカインに見せた。
「一つずらすだけで、こんなに違うんだな」
「体に合わない装備は、頑張っても合いませんから」
その言葉にマリクは、昔の自分を思い出した。
合わない場所で無理を続けることだけが、努力ではない。
「それなら安心です」
「いや、まだ安心はするな。旅が終わったら結果を報告する」
ドランは笑った。
「魔術を受けなかった客が、こんなに礼を言うのも妙だろ?」
マリクも笑った。
「いいえ。目的が果たせるなら、それで十分です」




