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脂肪転移の魔術師 完全なハズレスキルが最強の錬金術スキルでした  作者: レモンティー


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第二十九話 王国一の錬金術師が工房に現れました

「脂肪を移す魔術師は、ここか!」

老人の声が工房に響いた。

受付にいたエルナが、すぐに立ち上がる。

「お客様。まず、お名前を……」

「名乗る時間も惜しい!」

老人は大きな鞄を机に置いた。

「わしはオルフェン! 王立錬金術研究院の主任研究員じゃ!」

エルナは動じなかった。

「オルフェン様ですね。ご予約はございますか?」

「……予約?」

「はい」

老人は初めて困った顔をした。

「……ない」

リオが笑いをこらえている。

マリクは奥から顔を出した。

「俺がマリクです。話なら聞きますよ」

オルフェンの目が輝いた。

「おお! お前が!」

老人はマリクの手を握ろうとして、途中で止めた。

「……いや、待て。勝手に触ると術が発動するのか?」

「しませんよ」

「本当か?」

「俺が意識して使わなければ」

オルフェンは感心したように頷いた。

「なるほど。意志による発動制御か。面白い!」

応接室に移ると、老人は鞄から大量の紙を取り出した。

「早速だが、質問じゃ!」

「どうぞ」

「脂肪は、どこからどこへ移る?」

「同じ人の体の中だけです。別人へ移すことはできません」

「途中で消えるか?」

「少なくとも、消えたようには見えません」

「重さは?」

「正確には測っていません」

オルフェンは机を叩いた。

「それじゃ!」

「……何がです?」

「そこが重要なんじゃ!」

老人は一枚の図を広げた。

「普通の魔術は、熱を生み、風を起こし、水を動かす。錬金術は物質の性質や構造に働きかける」

マリクは頷いた。

「そう聞いています」

「だが、お前の術は妙じゃ。脂肪という特定の組織を見分け、別の場所へ移すという」

オルフェンは身を乗り出した。

「それも、皮膚を切らずに!」

リオが小声で呟いた。

「この人、息してる?」

オルフェンは黒板に二つの欄を作った。

『確認したこと』『まだ分からないこと』。

「おぬしの術が珍しいからといって、知らぬことまで知った顔をしてはならん」

マリクは後者の欄に『移動前後の脂肪量を正確に測れるか』と書いた。

「……こっちの欄の方が長くなりそうですね」

「研究とは、たいていそういうものじゃ」

老人の笑い声で、張り詰めた空気が少し緩んだ。

エルナが静かに答えた。

「たぶん、されています」

マリクは老人に尋ねた。

「つまり、何が言いたいんです?」

オルフェンは真剣な顔になった。

「お前の術は、ただ脂肪を動かしているだけではないかもしれん」

「……どういう意味です?」

「脂肪を脂肪として識別し、組織を壊さずに移す。その仕組みを理解できれば、物質操作の研究が進む可能性がある」

マリクは少し考えた。

「でも、俺は脂肪しか移せませんよ」

「今は、そうじゃな」

老人の目が光った。

「それが、術の本来の限界なのか、使い手の認識によるものなのか。そこが知りたい!」

マリクは首を振った。

「危険な実験はしません」

「もちろんじゃ!」

オルフェンは即答した。

「……本当に?」

「わしは研究者じゃぞ!」

リオが小さく呟いた。

「逆に不安になる言い方だね」

マリクも同じことを思った。

「条件があります」

マリクは言った。

「人体への新しい実験はしない。まず、今まで安全にできている範囲を調べる。それから、医師にも確認してもらう」

オルフェンは少し黙った。

「……慎重じゃな」

「人の体ですから」

老人は頷いた。

「よかろう。わしも、その方が正しいと思う」

リオが驚いた。

「意外と話が通じる!」

「意外とは何じゃ!」


その日の午後。

ハロルドとエレナが立ち会い、過去の施術記録を整理することになった。

もちろん、本人の許可がある記録だけを使う。

「体重の変化は?」

オルフェンが尋ねる。

「同じ体の中で移す場合、通常は大きく変わりません」

ハロルドが答えた。

「別人へ移せないという制限は、どのように確かめた?」

「発動条件を調べましたが、術が対象として認識するのは、触れている一人の体内だけです」

オルフェンは頷いた。

「ならば、その条件を記録に残そう。制限を無視した実験はせん」

「人体では新しい実験をしないと言いましたよね」

マリクが念を押すと、老人は顔をしかめた。

「分かっておる。既存の記録からじゃ」

研究は地味だった。

魔力の消費量。

施術時間。

脂肪を移す距離。

本人の体調。

華々しい発見は、すぐには現れなかった。

それでも、オルフェンは楽しそうだった。

「面白いのう」

「何がです?」

「分からんことが多い!」

マリクは呆れた。

「普通、困りませんか?」

「分からんから研究するんじゃ!」

老人はそう言って、楽しそうに新しい紙を取り出した。

リオが笑った。

「この人、ちょっとマリクに似てるね」

「どこが?」

「変なところで頑固」

二人の男が同時に言った。

「違う!」

エルナが思わず吹き出した。

夕方。

オルフェンは一冊の古い帳面を取り出した。

「実はな。お前の話を聞いてから、昔の研究記録を調べておった」

「昔の?」

「古代錬金術の文献じゃ」

老人は慎重にページを開いた。

「今では失われた術式の中に、物質を壊さずに別の場所へ移すという記述がある」

マリクの表情が変わった。

「……それって、俺の能力と同じですか?」

「まだ分からん。記述が曖昧でな」

オルフェンは一つの文章を指した。

『形を変えず、質を損なわず、ある場所のものを別の場所へ移す』

リオが首を傾げた。

「脂肪って書いてないね」

「そうじゃ」

オルフェンは頷いた。

「だからこそ、気になる」

マリクは文章を見つめた。

エルナは古い文章を写し取り、原本と一字ずつ照合した。

「名称が似ているだけで結論を出すのは危険ですね」

「そうじゃ。だから明日は、資料の年代も確認してもらう」

オルフェンは頷いた。

「……本当に、同じ術なんでしょうか」

「断定はできん。だが、調べる価値はある」

オルフェンは鞄からもう一枚の紙を取り出した。

「明日、研究院へ来てくれ。原本を見せたい」

「研究院ですか」

「ああ。ここでは扱えない古い資料がある」

マリクはエルナを見た。

「明日の予約は?」

「午後なら調整できます」

「じゃあ、午後に」

オルフェンは嬉しそうに立ち上がった。

「よし! ようやく百年前の謎に近づけるかもしれん!」

老人が帰ったあと、リオが尋ねた。

「……マリク、もし脂肪以外も移せるようになったらどうする?」

マリクは少し考えた。

「まず、今の術ではできないと確かめた事実を忘れないことだな。新しい可能性が見つかっても、安全に検証できるまでは人には使わない」

「そのあと?」

「危なくない使い道を考える」

リオは笑った。

「金貨を作るとかじゃないんだ」

「移動するだけなら、金貨は増えないだろ」

「……それもそうか」

マリクは古い文章を思い出した。

形を変えず、質を損なわず。

自分の能力は、本当に脂肪を移すだけの術なのか。

それとも、もっと大きな仕組みの、ごく一部なのか。


翌日の研究院で、マリクは自分のスキルについて初めて別の名前を目にすることになる。

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