第二十六話 領主様が工房に護衛をつけました
「倉庫に侵入者?」
領主の執務室で、マリクは聞き返した。
「そうだ」
領主は机の上に一枚の報告書を置いた。
「昨夜、工房の裏手に二人の男が現れた。巡回中の衛兵が不審に思って声をかけたところ、一人が逃げ、一人が捕まった」
「盗みに入ろうとしたんですか?」
「まだ断定できん」
領主は眉をひそめた。
「捕まった男は、商会の使い走りをしていると話している。ただし、どの商会かは言わん」
マリクは黙った。
思い当たる相手はいる。
だが、証拠もなく決めつけるわけにはいかない。
「……王都美容商会でしょうか」
「可能性はある。しかし、それを事実として扱うのは早い」
領主は頷いた。
「お前も、同じことを考えていたようだな」
「ええ」
領主は椅子から立ち上がった。
「それで、工房に護衛をつけたい」
「護衛ですか?」
「昼は巡回を増やす。夜は裏手の見回りを強化する。工房の出入りを妨げない範囲でな」
マリクは少し考えた。
「費用は?」
「領内の治安維持の範囲だ。特別な私兵を雇うわけではない」
「なら、お願いします」
領主は意外そうに眉を上げた。
「今日は素直だな」
「危険に巻き込まれるのは、俺だけじゃありませんから」
マリクは答えた。
「リオも、エルナも、カインも、ミアもいます。客だって来る」
領主は満足そうに頷いた。
「その考え方なら安心だ」
ただし、マリクには条件があった。
「工房の客を、必要以上に調べないでください」
「なぜだ?」
「人に知られたくない悩みで来る人もいます。護衛がいるせいで、相談できなくなったら困ります」
領主はしばらく考えた。
「分かった。巡回の目的は安全確保だ。顧客の事情を聞き出すことではない」
マリクは頭を下げた。
工房へ戻ると、エルナがすでに対応を始めていた。
「倉庫の鍵を交換します」
「頼む」
「帳簿と施術記録も保管場所を分けます。お客様の情報は、受付の棚に置きっぱなしにできません」
カインが工具箱を持ち上げた。
「裏口の蝶番も緩んでました。直しておきます」
「助かる」
ミアは窓の留め金を確認していた。
「夜の掃除が終わったら、必ず二人で戸締まりを確認します」
「そこまでしなくても……」
リオが言いかけると、ミアは首を振った。
「怖いからこそ、決めておきたいんです」
マリクは頷いた。
「そうだな。誰か一人の注意力に頼るのはやめよう」
翌日、工房の前に衛兵が立つようになった。
ただし、常に扉を塞ぐわけではない。
通りを巡回し、必要があれば声をかける。
客たちの反応は意外だった。
「ここ、何かあったの?」
「物騒なことがあったらしいよ」
「でも、衛兵が見てくれるなら安心だね」
一方で、不安そうに帰ろうとする客もいた。
エルナはその人を呼び止めた。
「施術内容を衛兵に伝えることはありません。ご心配でしたら、個室でご説明します」
客はほっとしたように頷いた。
マリクはその様子を見ていた。
安全を守るだけでは足りない。
安心して相談できる場所でなければ、工房の意味がなくなる。
昼過ぎ。
ベルドが姿を現した。
「ずいぶん物々しくなりましたな」
相変わらず、よく磨かれた靴を履いている。
「何か御用ですか?」
マリクが尋ねると、ベルドは微笑んだ。
「商売仲間として心配しているのですよ。侵入者があったと聞きまして」
「そうですか」
「恨みを買うような商売は、長続きしませんからね」
リオが一歩前に出かけた。
マリクは手で制した。
「心配していただいて、ありがとうございます」
ベルドは少し拍子抜けした顔をした。
「……それだけですか?」
「はい。調査は衛兵に任せています」
ベルドは目を細めた。
「賢明な判断ですな」
男が帰ったあと、リオが頬を膨らませた。
「絶対、何か知ってるよ!」
「そうかもしれない」
「だったら、問い詰めればよかったのに!」
「証拠がない」
マリクは答えた。
「疑っていることと、犯人だと決めつけることは違う」
「でも、悔しいよ」
「俺もだ」
マリクは初めて、はっきりそう言った。
「仲間が怖い思いをした。客も帰りかけた。それでも、怒りに任せて間違えたら、工房を守れない」
リオは意外そうに彼を見て、それから静かに頷いた。
「俺が勝手に決めつけたら、向こうに口実を与えるだけだ」
エルナも頷いた。
「今は、こちらがやるべきことを進めましょう」
その夕方、ハロルドとエレナが工房を訪れた。
「例の患者の経過ですが」
ハロルドは、他商会で施術を受けて倒れた男性について報告した。
「安静と治療で回復しています。ただ、体調が元に戻るまでには時間がかかるでしょう」
「よかった」
マリクは息を吐いた。
「それと、ニナちゃんのことも」
エレナが微笑んだ。
「少しずつ食べられるものが増えています。原因についても調べていますが、まずは体力を戻すことが大切です」
リオの顔が明るくなった。
「また会えるかな?」
「もちろん。本人も、工房の皆さんに会いたいと言っています」
マリクは笑った。
「元気になったら、いつでも来てくれ」
医師たちが帰ったあと、領主から正式な後援契約が届いた。
エルナは条文を一つずつ確認した。
「施術方針への不介入、顧客情報の保護、支援内容の明確化……。こちらの希望が反映されています」
「なら、署名しよう」
マリクは羽根ペンを取った。
名前を書こうとして、ふと手を止めた。
かつて、冒険者ギルドの受付で何度も断られた。
脂肪転移など役に立たないと笑われた。
その自分が今、領主と対等に条件を交わしている。
「……不思議なもんだな」
「何が?」
リオが尋ねる。
「昔は、俺に仕事をくれる人を探してた」
「うん」
「今は、俺たちの仕事を守る契約を結んでる」
リオは笑った。
「マリクが頑張ったからだよ」
「みんなが頑張ったからだ」
署名を終えると、エルナが書類を丁寧にしまった。
「これで、工房として一歩進めますね」
「ああ」
その夜、裏口の鍵を確かめていたカインが、壁に新しい傷を見つけた。
「……マリクさん」
「どうした?」
「ここ、何かを差し込んだ跡があります」
マリクは傷を見た。
金具をこじ開けようとしたような跡だった。
カインは蝶番に触れ、指先についた新しい金属粉を見せた。
「昼に直したときには、ありませんでした」
リオが息を呑む。
「また来たってこと?」
「まだ分からない。でも、触らずに衛兵を呼ぼう」
マリクは全員を裏口から離し、出入口の見張りを頼んだ。
今度は、ただの噂ではなかった。
仲間が働く場所に、実際の傷が残っていた。
翌朝には、現場の確認が行われた。
侵入者と商会の関係はまだ分からない。
それでも、工房を狙う者がいることは確かだった。
マリクは受付の内側に飾られたニナの絵を見た。
ここには守るべきものがある。
金貨でも、名声でもない。
働く仲間と、助けを求めて扉を叩く人々だ。
「……俺一人の工房じゃないんだな」
リオが隣で笑った。
「今さら気づいたの?」
マリクも笑った。
その日の午後、領主家の使者が再び現れた。
今度の手紙には、王家の紋章が押されていた。
『脂肪転移術師マリク殿。
王宮への来訪を求める』
エルナが息を呑んだ。
「……王宮ですか?」
マリクは封蝋を見つめた。
「どうやら、次はもっと面倒な相手らしい」
リオが目を輝かせた。
「王様に会えるの!?」
「まだ分からん」
ただ一つ確かなのは、工房の評判が領主の館を越え、王宮にまで届いたということだった。




