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脂肪転移の魔術師 完全なハズレスキルが最強の錬金術スキルでした  作者: レモンティー


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第二十三話 脂肪を減らしすぎた男が倒れました

その知らせが届いたのは、朝の施術が始まる直前だった。

「マリクさん!」

エルナが慌てて施術室に入ってきた。

「大変です!」

「どうした?」

「王都美容商会の施術を受けた男性が、倒れたそうです!」

マリクは手を止めた。

「……何?」

「昨日、施術を受けた方です。今朝、自宅で意識を失って……」

リオが青ざめた。

「そんな……」

マリクはすぐに尋ねた。

「医師は?」

「すでに診察しているそうです」

「なら、俺たちが勝手に施術するわけにはいかないな」

マリクは考え込んだ。

王都美容商会。

数日前から、脂肪転移に似た施術を始めたという。

料金は半額。

宣伝文句は『短時間で理想の体型へ』。

だが、詳しい仕組みは公表されていなかった。

「……何をしたんだ?」

マリクが呟く。

その日の昼。

工房に一人の医師が訪れた。

白髪混じりの男性。

年齢は五十代ほど。

落ち着いた目をしている。

「あなたがマリク殿ですかな」

「はい」

「私は王都で医師をしているハロルドと申します」

マリクは椅子を勧めた。

「どうぞ」

ハロルドは腰を下ろすと、すぐに本題へ入った。

「本日、ある男性を診察しました」

「美容商会の施術を受けた方ですか?」

「ご存じでしたか」

「噂は聞いています」

ハロルドは頷いた。

「その男性は、腹部の脂肪を減らす施術を受けたそうです」

「……どの程度?」

「本人の話では、ほとんどすべてを取り除くと説明されたとか」

マリクの表情が変わった。

「……全部?」

「ええ」

「それは危険です」

ハロルドは静かに頷いた。

「私もそう考えています。ただし、倒れた原因が施術だけにあるかは、まだ断定できません」

マリクは頷いた。

「そうですね」

「ですが、施術後から強い倦怠感が続き、今朝になって意識を失ったそうです」

リオが不安そうに尋ねた。

「その人は、大丈夫なんですか?」

「現在は意識を取り戻しています。しばらく安静が必要でしょう」

帰り際、男は戸口で振り返った。

「何もしてもらえなかったのに、また来ていいんですか」

「医師の診察が先です。結果を聞かせてくれるなら、ここでも一緒に考えます」

男はようやく頷いた。

リオはその背中を見送ってから、相談帳の『施術』欄を空白にした。

そこへ『医師への連絡を確認』と書き加えたのは、彼女自身だった。

リオは胸を撫で下ろした。

「……よかった」

ハロルドはマリクを見た。

「そこで、お聞きしたいことがあります」

「何でしょう」

「あなたの脂肪転移は、脂肪をどこへ移しているのですか?」

マリクは少し考えた。

「同じ人の体の中で、別の場所へ移します」

「消しているわけではない?」

「はい」

ハロルドの目が鋭くなった。

「……なるほど」

「何か?」

「美容商会の施術は、脂肪を消失させると宣伝しています」

マリクは眉をひそめた。

「消失?」

「ええ。魔術によって脂肪を分解し、体から取り除くという説明です」

「……それは俺の能力とは違いますね」

「そうでしょうな」

ハロルドは頷いた。

「問題は、どの程度の脂肪を取り除けば危険なのか、施術師自身が理解しているかどうかです」

マリクは黙った。

脂肪は、ただの邪魔な肉ではない。

体を動かすためのエネルギーを蓄える。

内臓を保護する。

体温の維持にも関わる。

必要なものまで取り除けば、体に負担がかかる。

「……俺も、全部なくしてくれと言われることがあります」

マリクは答えた。

「ですが、断っています」

ハロルドは頷いた。

「賢明です」

「ただ、俺は医師ではありません」

「ええ」

「だから、どこまでなら安全なのか、正確には分からない」

ハロルドは少し驚いたようにマリクを見た。

「……正直ですな」

「分からないことを、分かると言う方が危険でしょう」

医師は静かに笑った。

「そのとおりです」

しばらく沈黙が流れた。

やがて、ハロルドが口を開いた。

「マリク殿」

「はい」

「私と協力していただけませんか」

「……協力?」

「あなたの施術を、医学的な観点から調べたいのです」

マリクは考え込んだ。

「……具体的には?」

「施術前後の体調、体重、食事、活動量。可能な範囲で記録します」

「なるほど」

「もちろん、本人の同意を得たうえで」

マリクは頷いた。

「それなら、ぜひお願いします」

リオが目を輝かせた。

「お医者さんと一緒に仕事するの!?」

「ああ」

マリクは答えた。

「俺だけじゃ分からないことも、調べられるかもしれない」

ハロルドは微笑んだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

その日の夕方。

美容商会の施術を受けた男性が、家族に付き添われて工房を訪れた。

まだ顔色は悪かった。

「……あなたが、脂肪転移の魔術師ですか」

「そうです」

マリクは答えた。

「今日はどうされました?」

男はうつむいた。

「……元に戻してほしいんです」

リオが息を呑んだ。

「元に?」

「はい」

男は震える声で続けた。

「腹の脂肪を全部なくせば、健康になれると思ったんです」

マリクは黙って聞いた。

「でも、体がだるくて……。仕事にも行けなくなって……」

男は顔を上げた。

「お願いします。元に戻してください」

マリクはすぐには答えなかった。

「医師の診察は受けましたか?」

「はい」

「では、まず担当の医師と相談させてください」

男は驚いた。

「今すぐでは駄目ですか?」

「今はできません」

男の顔が歪んだ。

「……あの店では、金さえ払えば何でもできると言われたんです」

「俺には、失われた脂肪を作り直せません。今の体調で無理に施術すれば、さらに悪くなるかもしれない」

「じゃあ、私は……」

男の声が途切れた。

マリクは急いで否定しなかった。

安易に大丈夫だと言うこともできなかった。

「治療を続ける道はあります。医師に伝える症状を、一緒に整理しましょう。必要なら俺からも説明します」

男はしばらく俯いていた。

やがて、膝の上で震えていた手を開いた。

「……元には戻らなくても、相談には乗ってくれるんですね」

「もちろんです。できないことは、できないと言います。でも、そこで話を終わらせるつもりはありません」

男はゆっくり頭を下げた。

「……ありがとうございます」

その夜。

マリクは施術室で、一人考えていた。

脂肪転移。

役立たずと言われた能力。

だが、今は多くの人間が、その力を求めている。

その一方で、似た施術によって倒れる者も出た。

「……力があるだけじゃ、駄目なんだな」

小さく呟く。

扉が開いた。

リオだった。

「まだ起きてたの?」

「ああ」

「何考えてたの?」

「……責任のこと」

リオは隣に座った。

「難しいね」

「ああ」

「でも、マリクはちゃんと考えてるよ」

マリクは苦笑した。

「考えてるだけじゃ足りない」

「じゃあ、どうするの?」

「調べる」

マリクは答えた。

「自分の能力が、何をできて、何をできないのか」

リオは頷いた。

「私も手伝う」

「ありがとう」


翌朝。

ハロルドから、一通の手紙が届いた。

『脂肪転移の医学的調査について、正式に協力をお願いしたい』

『また、王都の医療関係者にも、この能力に関心を持つ者が現れている』

マリクは手紙を読み、静かに息を吐いた。

美容のための魔術。

そう思っていた力が、別の分野へ広がり始めている。

だが、次に訪れる依頼は、マリクにもっと難しい問題を突きつけることになる。

それは、体型を整えることでも、商売を成功させることでもなかった。

一人の少女の命に関わる相談だった。

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