第二十話 王都一番の美容商会から警告が届きました
王都最大手の美容商会から届いた書状には、丁寧な言葉が並んでいた。
だが、その内容は少しも丁寧ではなかった。
『貴工房の施術は、既存の美容事業に重大な影響を与えております』
『安全性および営業上の適正性について、確認が必要と考えております』
『つきましては、当商会との協議が完了するまで、新規顧客の受付を停止されるよう要請いたします』
マリクは最後まで読み、書状を机に置いた。
「……つまり、商売をやめろってことか」
リオが横から覗き込む。
「すごく遠回しに書いてあるね」
「貴族や商人は、遠回しに脅すのが好きらしい」
「これ、どうするの?」
「とりあえず、エルナに見せる」
マリクは受付にいたエルナを呼んだ。
書状を読んだエルナは、眉をひそめた。
「王都美容商会ですね」
「知ってるのか?」
「もちろんです。王都で美容薬、香油、化粧品を扱う商会の中では最大手です」
「そんなに大きいのか」
「王都の美容関連商品の半分近くを扱っているとも言われています。正確な割合は分かりませんが、影響力は相当なものです」
リオが首を傾げた。
「でも、うちは化粧品なんて売ってないよ?」
「そこが問題なんです」
エルナは書状を机に置いた。
「お客様が、従来の美容商品を買わなくなっているのでしょう」
マリクは少し考えた。
「……確かに、脂肪の位置を変えれば、体型を整えるための商品は必要なくなる場合もある」
「はい。商会からすれば、売上を奪われていることになります」
「でも、だからって営業をやめろなんて……」
リオが不満そうに言う。
エルナは静かに答えた。
「商売の世界では、珍しくありません」
マリクは椅子に背を預けた。
冒険者時代、敵は分かりやすかった。
魔物は牙を剥く。
盗賊は剣を抜く。
だが、商人は違う。
丁寧な文章を書き、笑顔で握手を求めながら、相手の仕事を奪おうとする。
「……面倒だな」
「どうしますか?」
エルナが尋ねる。
「営業は続ける」
マリクは即答した。
「ただし、向こうが安全性を問題にしているなら、こっちも記録を整理しよう」
「記録、ですか?」
「施術前の状態、希望内容、移した脂肪の量、施術後の体調。分かる範囲で全部残す」
エルナの表情が変わった。
「それは必要ですね」
「今までも帳簿はつけていただろ?」
「売上と予約が中心でした」
「これからは施術内容も管理する」
リオが手を挙げた。
「私も手伝う!」
「助かる」
マリクは頷いた。
「あと、客の体のことだから、記録は勝手に外へ見せない」
エルナが微笑んだ。
「承知しました」
その日の午後。
工房に一人の男が訪れた。
高価な上着。
磨き上げられた靴。
指には大きな宝石のついた指輪。
いかにも裕福な商人という姿だった。
「こちらが脂肪転移の工房ですかな?」
男は笑顔で尋ねた。
「はい。ご予約でしょうか」
エルナが応対する。
「予約はしておりませんが、責任者にお会いしたい」
「お名前を伺っても?」
「王都美容商会の副会頭、ベルドと申します」
エルナの表情がわずかに変わった。
「少々お待ちください」
数分後。
ベルドは応接室に通された。
向かいに座るマリクを見て、男は驚いたように目を細めた。
「……お若い」
「よく言われます」
「この工房の責任者が、あなたですか?」
「そうです」
ベルドは柔らかく笑った。
「実に素晴らしい。若くしてこれほどの事業を築かれるとは」
「ありがとうございます」
「ところで、先日お送りした書状は?」
「読みました」
「では、当商会の懸念もご理解いただけたでしょう」
マリクは頷いた。
「安全性についての懸念ですね」
「ええ。それもあります」
「ほかには?」
ベルドの笑顔がわずかに固まった。
「……既存事業との調和です」
「調和?」
「新しい技術が現れれば、市場は混乱します。突然、大勢の顧客が移動すれば、困る商人も出てくる」
「なるほど」
マリクは静かに答えた。
「つまり、あなた方の売上が減っている」
ベルドは咳払いした。
「そう単純な問題ではありません」
「では、具体的に何を求めているんです?」
男は一枚の書類を取り出した。
「当商会への加盟です」
「加盟?」
「ええ。あなたの施術を、当商会の管理下で提供していただきたい」
マリクは書類を受け取った。
そこには、施術料金の決定権、顧客紹介の管理、営業地域の制限などが記されていた。
さらに、売上の四割を商会に納める条件まであった。
「……四割?」
「当商会の信用と販路を利用できるのです。決して高くありません」
マリクは書類を机に戻した。
「お断りします」
マリクは契約書の『顧客紹介の管理』という文字を指で押さえた。
「施術を受ける順番を決めるのは、商会の都合ではなく、本人の希望と安全上の判断です」
ベルドの笑顔が消えた。
「……即答ですか?」
「はい」
「理由を伺っても?」
「うちの客は、うちを選んで来ています」
マリクは答えた。
「商会の許可がなければ施術できない理由がありません」
「ですが、当商会には長年の実績が……」
「それは立派なことだと思います」
マリクは頷いた。
「でも、その実績は、俺の能力を管理する権利にはならないでしょう」
ベルドは黙った。
部屋の空気が変わる。
「……若い方は、商売の怖さをご存じない」
低い声だった。
「王都で事業を続けるには、協力者が必要です」
「いますよ」
「ほう?」
「従業員と、客です」
ベルドは鼻で笑った。
「それだけでは足りません」
「そうかもしれませんね」
マリクは立ち上がった。
「でも、足りないからといって、何でも差し出すつもりはありません」
ベルドもゆっくり立ち上がった。
「……後悔なさらないことです」
「そちらも」
男は一礼し、工房を出ていった。
扉が閉まる。
リオが顔を出した。
「……怖かった」
「聞いてたのか?」
「途中から」
「そうか」
「大丈夫なの?」
「分からん」
マリクは正直に答えた。
「でも、四割も取られたら、工房の運営が厳しくなる。支援が必要な人の料金も守れない」
エルナが頷いた。
「しかも、施術料金まで商会が決める契約でした」
「安い料金で施術を受けたい人が、ますます困るな」
リオは不安そうに窓の外を見た。
「嫌がらせとか、されないかな」
「可能性はある」
マリクは答えた。
「だからこそ、記録を整える」
「記録で守れるの?」
「全部は無理だ。でも、何をしたか説明できなければ、反論もできない」
翌朝。
工房の前に、一枚の張り紙が貼られていた。
『脂肪転移は危険な魔術です』
『健康被害の報告あり』
『施術を受ける前に、十分ご注意ください』
リオが青ざめた。
「マリク!」
マリクは張り紙を見つめた。
「……早いな」
「どうするの!?」
「まず、誰が貼ったか調べる」
マリクは張り紙の端に残った糊を見た。
「それから、内容を一つずつ確認する。健康被害があるというなら、無視はできない」
「うちが悪いって認めるの?」
「違う。嘘なら否定するし、本当なら調べる。相手が誰でも同じだ」
リオは唇を結び、やがて小さく頷いた。
「……怖いけど、その方が堂々としていられるね」
「剥がさないの?」
「証拠として内容を写してからだ」
エルナが紙と筆を取りに走った。
マリクは張り紙の下に、別の紙を貼った。
『施術内容と安全上の注意について、工房内で説明しております。
疑問がある方は受付までお尋ねください』
その日の客は、いつもより少なかった。
受付に来た常連の女性も、張り紙の前で足を止めていた。
「健康被害があるって……本当なんですか?」
「今、工房で把握している記録を確認しています。気になる症状があるなら、医師への相談も案内します」
「……怖いのは、何が本当か分からないことです」
マリクは彼女に椅子を勧めた。
「無理に施術を受ける必要はありません。説明を聞いて、今日は帰っても構いません」
女性はしばらく考え、施術ではなく相談だけの予約を入れた。
その様子を見ていた別の客も、受付で安全上の注意を尋ね始めた。
噂を一言で消すことはできない。
それでも、質問に答えることならできる。
エルナは質問と回答を記録し、確認できない点には『調査中』と記した。
張り紙を貼った人物は分からない。
ベルドの仕業だと決めつける証拠もなかった。
だからこそ、事実だけを積み重ねるしかない。
商売の相手が変わった。
今度は、剣では勝てない。
だが、こちらにも武器はある。
それは、これまで積み重ねてきた仕事そのものだった。
そして、その日の夕方。
エルナが新たな書状を持ってきた。
「マリクさん。今度は、商会から正式な提案です」
「……まだあるのか」
書状を開く。
そこには、目を疑う金額が記されていた。
金貨百枚。
ただし、その金を受け取るには、マリクが自分の能力に関する秘密を、商会へ独占的に提供しなければならなかった。




