第二話:追放と現実
当然のように、マリクはパーティーから外された。
「悪いな、マリク」
「お前のスキルじゃ前線は無理だ」
「街で頑張れよ」
優しい言葉ほど、残酷だった。
追放後、マリクは王都の片隅で仕事を探す。
だが、現実は厳しい。
王都の石畳は、やけに硬かった。
靴越しに伝わる冷たさが、そのまま現実の厳しさのように感じられる。
「そのスキル、何に使えるの?」
「えっと……脂肪を移せます」
「……帰っていいよ」
何十回も繰り返したやり取り。
最初は取り繕っていたマリクも、十回を超えたあたりから説明を省くようになり、二十回を超えた頃には――。
「スキルは?」
「……使えません」
そう答えるようになっていた。
その方が、まだマシだった。
無駄に期待させて、無駄に落とされるよりは。
「……はぁ」
職業斡旋所の前の石段に座り込み、マリクは深く息を吐く。
懐は軽い。
というより、ほとんど空だ。
パン一つ買うのもためらうほどだった。
(これ、普通に詰んでないか……?)
冒険者は無理。
傭兵も無理。
商会も雇わない。
理由は単純だ。
――使い道がない。
それに尽きる。
「……いや、あるだろ、一応」
ぼそりと自分にツッコミを入れる。
脂肪を移せる。
それは事実だ。
だが、それを〝仕事〟にできるかと言われると――。
(……できるわけない)
例えば、太った人間の脂肪を減らす。
一見すると需要がありそうだが、その脂肪は〝誰かに移る〟。
つまり、受け取る相手が必要になる。
「勝手に移したら犯罪じゃねぇか……」
ぼやきながら、顔を覆う。
〝じゃあ誰に移すのか?〟
その答えがない時点で、この能力は商売として成立しない。
少なくとも、マリクにはそう思えた。
「……詰みだな」
乾いた笑いが漏れる。
そのときだった。
ぐぅぅぅ……。
腹が鳴った。
「……」
現実に引き戻される。
空腹。
それは思考よりも優先される、絶対的な問題だった。
(……とりあえず、何か食わないと)
立ち上がる。
だが、行く当てはない。
金はない。
仕事もない。
あるのは、〝脂肪転移〟というスキルだけ。
「……」
そのとき、ふと視界に入った。
路地裏。
そこに、一人の少女が座り込んでいる。
膝を抱え、ぐったりとしていた。
「……おい、大丈夫か?」
思わず声をかける。
少女はゆっくりと顔を上げた。
「……おなか、すいた……」
かすれた声。
見れば、腕は細く、骨が浮き出ている。
明らかに栄養が足りていない様子だった。
マリクは息を呑んだ。
(……俺よりやばいじゃないか)
「食べてないのか」
「……お金、なくて」
「家族は?」
少女は小さく首を横に振った。
「……いない」
短い答え。
それ以上は聞けなかった。
一瞬、迷う。
自分も余裕はない。
だが――。
「……ちょっと待ってろ」
気づけば、そう言っていた。
隣に座る。
「名前は?」
「……リオ」
「リオか」
どうする。
食べ物はない。
金もない。
(……いや、待てよ)
頭の奥で、あのスキルがよぎる。
〝脂肪を移す〟。
自分の腹に手を当てる。
わずかだが、余剰はある。
そして目の前には――。
明らかに〝足りていない身体〟。
(これって……)
心臓が強く鳴る。
(栄養として、使えるんじゃないか?)
脂肪は、体に蓄えられるエネルギーだ。
それを直接移す。
つまり――。
(少なくとも、体に蓄えができる)
ただし、脂肪だけで空腹や栄養不足のすべてを解決できるわけではない。
水も食べ物も必要だ。
衰弱した身体に急激な変化を与えれば、かえって危険かもしれない。
それでも、少量なら。
何もしないよりはいいかもしれない。
「……やってみるか」
「え?」
「俺の脂肪を、お前に少し移せるかもしれない」
リオが目を瞬かせた。
「……そんなこと、できるの?」
「分からない。初めて試すんだ」
マリクは正直に答えた。
「危ないかもしれない。嫌ならやらない」
リオは少し迷ってから、小さく頷いた。
「……お願い」
「分かった。少しだけだぞ。変だと思ったらすぐに言え」
肩に手を置く。
意識を集中する。
〝移す〟。
ただ、それだけ。
これまでのマリクは、脂肪を別の身体へ移すことしか考えていなかった。
だが今回は――〝どこに、どれだけ移すか〟まで意識する。
弱った身体に、無理な負担をかけないように。
(少しずつ……全身に分散させるんだ)
イメージが固まった瞬間。
じわり、と。
自分の中から何かが抜けていく。
同時に――
「……あれ?」
リオの表情が変わった。
「……あったかい……」
驚いたように、自分の腕を見つめる。
細かった腕や頬に、ほんの少し丸みが戻っていた。
極端ではない。
だが、明らかな変化だった。
「……え?」
リオは自分の体に触れる。
「……本当に、移った……」
頬だけではない。
腕や胴体にも、わずかに脂肪が戻っている。
しかも、特定の場所に集中することなく、マリクが思い描いたとおりに分散していた。
ただし、それだけで健康を取り戻したわけではない。
頬はまだ青白く、立ち上がろうとしたリオの体はふらついた。
「おっと!」
マリクが慌てて支える。
「無理するな!」
「……ごめん」
「謝るな。やっぱり、食べ物も必要だ」
マリクは自分の腹を触った。
確かに、少し減っている。
それに、先ほどまでより空腹が強くなっていた。
(……なるほど。移した分は、ちゃんと俺から減るのか)
つまり――“成立した”。
「……成功、したのか?」
少なくとも、脂肪を他人へ移すことはできた。
しかも、移す場所まで指定できる。
「……すごい……」
リオが自分の体を見ながら呟く。
「少し、ふっくらした…… そして胸がすごい……」
その言葉に、マリクの中で何かが弾けた。
…ロリ巨乳!!!
(これ……使えるんじゃないか?)
これは、ただの脂肪の受け渡しじゃない
〝体のバランスを整えられる〟。
しかも――瞬時に。
腹の脂肪を減らす。
頬に丸みを持たせる。
痩せすぎた腕や脚の形を整える。
戦闘ではない。
だが、生存を支える補助や美容――。
使い道は、いくらでも考えられる。
ただし、医療として使えるかどうかは、まだ分からない。
そもそも、脂肪を移しただけでは病気も栄養不足も治らない。
(……まずは、目の前の問題だな)
マリクは懐を探った。
残っているのは、わずかな銅貨。
自分の最後の食事に使うつもりだった金だ。
「……ちょっと待ってろ」
「……どこ、行くの?」
「パンを買ってくる」
「でも……」
「いいから。ここで待ってろ」
マリクは通りへ走った。
しばらくして戻ってきたとき、その手には小さなパンと水があった。
懐に残っていた銅貨は、すべてなくなっていた。
「ほら。少しずつ食べろ」
リオはパンを受け取った。
「……いいの?」
「俺も腹は減ってるけど、お前の方が先だ」
リオは小さく頷いた。
パンを一口。
ゆっくり噛む。
もう一口。
「……おいしい」
ぽろり、と涙が落ちた。
マリクは何も言わなかった。
ただ、隣に座っていた。
しばらく休むと、リオは少し落ち着いた様子で顔を上げた。
「……ありがとう」
「礼なら、元気になってからでいい」
「……うん」
マリクは小さく息を吐いた。
仕事もない。
金もない。
自分の明日さえ分からない。
それでも、目の前の一人を助けることはできた。
役立たず。
何度も言われた言葉だった。
冒険者としても、労働者としても、自分には価値がない。
そう思っていた。
だが、目の前の少女は違った。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
たった一言だった。
それなのに、胸の奥が熱くなった。
誰にも必要とされなかった自分が、初めて誰かに必要とされた気がした。
(……そうか)
マリクは自分の手を見つめた。
(俺のスキルは、戦うためのものじゃなかったんだ)
「……なぁ、リオ」
「……?」
「これ、仕事になると思うか?」
リオは少し考えて――。
くすっと笑った。
「……なると思う。むしろ」
マリクを見る。
「欲しがる人、絶対多いよ」
「……なんでそう思う?」
「だって、お金持ちの女の人って、きれいになるために、いっぱいお金を使うんでしょ?」
「……まあ、そうだな」
「お腹を細くしたいとか、胸を大きくしたいとか、顔をふっくらさせたいとか。そんなことができたら、喜ぶ人、いると思う」
その言葉は、妙に現実的だった。
美しさ。
健康への関心。
体型。
それらは、人々が金を払ってでも求めるものだ。
そしてこのスキルは――。
少なくとも、体型を〝直接変えられる〟。
「……マジかよ」
マリクは、初めて実感した。
この能力は、ハズレじゃない。
〝扱い方を知られていないだけ〟だ。
だが、そこで一つの問題に気づいた。
「……待てよ」
「どうしたの?」
「脂肪を減らしたい人はいても、受け取りたい人がいなきゃ商売にならないだろ?」
リオは首を傾げた。
「……でも、私みたいに欲しい人もいるよ?」
「……あ」
マリクは固まった。
減らしたい人間。
増やしたい人間。
その両方がいればいい。
一方から受け取り、もう一方へ渡す。
それに同じ人間の腹から別の部位へ移すこともできる。
もちろん、希望する量や場所が一致するとは限らない。
安全性も確認しなければならない。
それでも――。
(……商売として成立する可能性がある)
マリクの頭の中で、初めて二つの需要が結びついた。
「……お前、頭いいな」
「えへへ……」
リオは照れくさそうに笑った。
「……でも」
「どうした?」
「私、まだお腹すいてる」
マリクは一瞬、きょとんとした。
そして、思わず笑った。
「……だよな」
脂肪を移せても、腹は満たせない。
万能ではない。
だが、使い道はある。
それだけで十分だった。
「やってみるか……」
小さく呟く。
どん底だったはずの状況に、ほんのわずかな光が差し込む。
ただし、その光はまだ小さい。
明日の食事すら決まっていない。
目の前には、腹を空かせた少女がいる。
まずは、この少女が安心して眠れる場所を探さなければならない。
それから仕事だ。
「……よし。まずは明日の飯代を稼ぐぞ」
「……今日の夜ごはんは?」
「……」
マリクは空になった財布を見つめた。
「……そこからか」
リオが小さく笑った。
マリクも、つられて笑った。
追放されてから初めて、心から笑えた気がした。
このとき、マリクはまだ知らない。
この力が――富を呼び、人を狂わせ、そして世界の価値観すら変えていくことを。
何より、脂肪を〝減らしたい人間〟と〝増やしたい人間〟の間に、想像を絶するほどの金が動くことを。
そして、その中心に自分が立つことになるとは、夢にも思っていなかった。




