第十六話:一人で足りるという錯覚
朝。
まだ日が昇りきる前。
工房の前には、すでに人が並んでいた。
「……増えすぎだな」
マリクは扉の内側から列を見る。
数十。
しかも、途切れない。
「リオは?」
誰もいない空間に問いかける。
返事はない。
当然だ。
今日は休み。
つまり――
「今日は全部、俺が処理しないとならんのか」
短く息を吐く。
だが、迷いはない。
扉を開けた。
「一人ずつ入れ」
低い声。
ざわついていた列が静まる。
最初の客が入ってくる。
若い女。
「胸を……大きくハリのある感じで…」
「量は?」
「自然に見える範囲で」
「わかった」
――短い。
無駄がない。
施術も同じ。
腹部からわずかに移動。
数分。
「終わりだ」
鏡を見て、女が息を呑む。
「……ありがとうございます」
すぐに次。
二人目。
「腹を引っ込めたい」
「どこに回す」
「任せる」
「なら上半身に散らす」
施術。
終了。
三人目。
四人目。
止まらない。
列は減らない。
むしろ増えている。
「噂が回ってるな」
誰かが言う。
「今日一人で全部やってるって」
「巨乳の受付がいないんだと」
――最悪だ。
需要が集中している。
夕方。
マリクは一度だけ手を止めた。
「……制限がいるな」
初めて口にする言葉。
これまでは考えなかった。
“やればできる”から。
だが違う。
「できる」と「最適」は違う。
次の客が入る。
老人だった。
「若く見せてほしい」
「……」
マリクは一瞬だけ考える。
若さとは何か。
単純な増減ではない。
配置。
張り。
重心。
「時間がかかる」
正直に言う。
「構わん」
施術。
これまでで最も繊細。
顔、首、胸元。
わずかな脂肪の再配置。
削りすぎれば老ける。
残しすぎれば緩む。
均衡。
「……」
集中。
雑音を消す。
列の気配も、時間も切る。
数分後。
「終わりだ」
老人は鏡を見る。
沈黙。
そして――
「……ほう」
小さく笑う。
「十年は戻ったな」
扉が閉まる。
マリクは椅子に座った。
そのまま動かない。
「……限界じゃない」
呟く。
だが、
「無限でもない」
マリクは目を閉じる。
考える。
そして――
立ち上がる。
扉へ向かう。
開ける。
列の人間たちが一斉に見る。
マリクは静かに言った。
「今日は、ここまでだ」
ざわめきが起きる。
「えっ、まだ並んでるのに……!」
「あと少しだけでも――」
不満の声。
だがマリクは動じない。
「受付がいない」
一言で切った。
「順番管理も、状態の確認もできないまま続ければ、精度が落ちる」
視線をまっすぐ向ける。
「それは、やらない」
場が静まる。
ただの“人数制限”ではない。
質の問題だと理解した者から、口を閉じていく。
「明日、改めて来い」
マリクは続ける。
「順番を整理する。無駄に待たせることもしない」
淡々とした口調。
だが、その言葉には確かな重みがあった。
「……わかりました」
最前列の男が頷く。
それをきっかけに、列が少しずつ崩れていく。
不満はある。
だが、信頼がそれを上回っていた。
人がいなくなった後。
マリクはゆっくりと扉を閉めた。
静寂。
ようやく訪れた、本当の終わり。
「……必要だな」
ぽつりと呟く。
受付。
整理役。
そして――
分業。
これまでは一人で回せた。
だが今は違う。
規模が変わっている。
そのとき。
「……終わった?」
小さな声。
リオだった。
まだ少し眠たそうな顔で、こちらを見ている。
「休みじゃなかったのか」
「充分休んだからやってきたよ」
ゆっくりと歩いてくる。
「外、すごかったでしょ」
「ああ」
短く答える。
リオは、並んでいた場所をちらりと見る。
「……これ、一人じゃ無理だね」
「だから止めた」
マリクは椅子に腰を下ろす。
「精度が落ちる前にな」
「正解」
リオは頷く。
そして、少しだけ笑った。
「ちゃんと“できること”と“やらないこと”分けてるじゃん」
「当たり前だ」
少しの沈黙。
穏やかな空気。
「ね、マリク」
「なんだ」
「受付、ちゃんと作ろう」
リオが言う。
「あと、予約制」
「……ああ」
マリクも頷いた。
工房は、次の段階に入る。
ただの“腕のいい術師”では回らない。
仕組みが必要だ。
「忙しくなるな」
「もうなってる」
リオが肩をすくめる。
外は、もう夕方の光。
長い一日が終わる。
だが――
本当の意味での“拡大”は、
ここから始まろうとしていた。




