第十五話:静かな夜と、支える手
その日
工房の中はすっかり静まり返っていた。
「……無理したな」
帳簿を閉じながら、マリクが言う。
「してないって……」
そう言いながらも、リオは椅子にぐったりと沈み込んでいる。
肩に手を当てて、ぐるりと回す。
「……来てる」
ぼそっと呟いた。
「だろうな」
マリクは立ち上がると、リオの背後に回る。
「ちょっとじっとしてろ」
「え?」
次の瞬間。
ぐっと、肩を掴まれた。
「――あっ」
思わず小さく声が漏れる。
「力、抜け」
マリクの指が、ゆっくりと肩の筋を押していく。
的確に、固まっている場所を捉える。
「……あ、そこ……」
リオの声が少しだけ柔らかくなる。
「ここか」
「うん……そこ……」
ぐっと押し込まれる。
鈍い痛みと同時に、
奥に溜まっていた疲れがほどけていく。
「……あぁっ効く……」
「そりゃそうだ。原因わかってるからな」
脂肪の再配置による重心の変化。
それに合わせて、筋肉に負担がかかっている。
マリクはそれを理解した上で、
無駄なく圧をかけていく。
「もう少し上」
「ここか」
「そう……」
短いやり取り。
けれど、その距離は近い。
工房の中には、二人の呼吸と、
時折漏れる小さな声だけが響く。
しばらくして。
「……だいぶ楽」
リオがぽつりと言う。
肩の力が、すっと抜けていた。
短いやり取り。
けれど、その距離は近い。
工房の中には、二人の呼吸と、
時折漏れる小さな声だけが響く。
しばらくして。
マリクの手が、ゆっくりと止まった。
「……どうだ」
リオは肩を軽く回す。
さっきまであった重さが、
嘘みたいに軽くなっていた。
「……すごい」
ぽつりと呟く。
「全然違う」
「無理な負担がかかってたからな」
マリクは簡単に言うが、
その調整は決して雑ではない。
身体の使い方まで見た上での処置だ。
リオはそのまま、しばらく黙っていた。
静かな時間が流れる。
外からは、夜の風の音だけが聞こえる。
「……ね」
「なんだ」
「なんで、そんなに分かるの?」
不意に投げられた問い。
マリクは少しだけ考えてから答えた。
「見てるからだ」
「……それだけ?」
「ああ」
短い返答。
だが、それ以上でもそれ以下でもない。
リオは小さく笑った。
「そっか」
椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
「ちゃんと見てくれてるんだ」
「胸に視線が行くのは男の本能だからな」
「はいはい」
少しだけ不満そうに言いながらも、
その声はどこか柔らかい。
マリクは椅子を引いて、向かいに座った。
「明日は休め」
「えー」
「“えー”じゃない。今日は無理しすぎだ」
「俺が見る」
きっぱりと言い切る。
リオは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……ほんと?」
「ああ」
また、少しの沈黙。
今度は気まずさではなく、
どこか落ち着いた空気。
「……じゃあ、少しだけ甘える」
リオが小さく言う。
「たまにはな」
マリクも短く返す。
窓の外には、静かな夜の街。
工房の灯りはまだ消えない。




