十二章 再会 04
微かな衣擦れの音に目を開けた有紗は、音の方向に視線を向けて大きく目を見開いた。
そこには軍服に袖を通すディートハルトがいた。
彼は、有紗の視線に気付くと、手早くボタンを留めながらこちらに近付いてくる。
「おはよう、アリサ」
まるでゲームのスチルみたいだ。
蕩けるような笑みを浮かべながらの挨拶に、有紗は目を奪われた。
(そっか、私、捕まったんだっけ……)
だけど、ディートハルトの態度は想像していたのと全然違った。
予想外の態度の数々に混乱して、頭の中を整理できないうちに、流されて体を許した事まで思い出し、有紗は口元を押さえた。
何度も求められ、疲れ果てて眠ってしまったらしい。
「さすがに今日は艦橋に出ないと……。心配だから、これを付けて欲しい」
ディートハルトはチョーカーを差し出してきた。
「隷属の魔術は無効化しておいた。落ち着いたら別のアクセサリーで作り直そうと思ってる。でも、しばらくは……」
「……私を守るためですよね? わかりました」
有紗は毛布で前を隠しながらディートハルトに背を向け、髪を持ち上げた。
すると、彼の手で再びチョーカーが装着される。
もう首輪ではないのだと思うと、不思議な気分だった。
「……指輪で作り直してもいい?」
「えっと、はい。あ、でも、このチョーカーは処分しないで欲しいです。デザインは気に入っているので……」
「アクセサリーとして使う?」
ディートハルトの質問に、有紗は頷いた。
「……アリサは性質が悪い」
「どういう意味ですか?」
「可愛すぎる」
ディールハルトの手が髪の毛に伸びてきた。
「随分伸びたね」
「そうですね。上流階級の女の人は、髪を伸ばすって聞いたので……」
「長いのも似合ってる」
「……ありがとうございます」
ストレートに褒められると、なんだか照れてしまう。
「修道服は綺麗にしておいたけど、前にアリサが着ていた服も残してあるから、好きなものを着るといい。着替えたら隣に来て。食事を頼んでおく」
「はい」
頷くと、ディートハルトは有紗の頬に軽いキスを落として寝室を出て行った。
一人部屋に残された有紗は、のろのろと体を起こすとクローゼットを開けた。
中は、以前と何も変わっていなかった。
クローゼットの中だけではなく、室内全体に、有紗が使っていたものがそのまま残っている。有紗が日本からこちらに来てしまった時に身に着けていた服や靴も、綺麗に保管されていた。
(任務中に私を見つけた時に備えて?)
執着の証のように見えてぞくりとした。
でも、湧き上がった感情は、『怖い』だけではなかった。胸がざわめく。
得体の知れない感情の正体を探るのはなんとなく怖くて、有紗は軽く頭を振ると、着替えを選び出した。
かつてディートハルトに買ってもらった服を選んだのは、修道服よりも着脱が簡単で動きやすいからだ。他に意味はない。
中から服を抜き取ろうとした時だった。スカートがクローゼットの下に収納されていた箱に引っかかる。
箱は床に落ち、その拍子に蓋が取れて中身が散らばった。
(やっちゃった)
片付けようと手を伸ばした有紗は大きく目を見開いた。
箱の中に入っていたのは、文字の練習のために書いたディートハルトへの手紙や、基地にいた時に作った刺繍の習作だった。
◆ ◆ ◆
着替えを終えた有紗は、手紙と刺繍が入っていた箱を手に執務室へと移動した。
すると、既に食事が届けられていて、テーブルの上に並んでいる。
本棚の前に立ち、何かの資料を確認していたディートハルトは、有紗に視線を向けて硬直した。
「アリサ、その箱……」
「ディート様、ごめんなさい。落としたら蓋が閉まらなくなってしまいました」
「中を見た?」
「はい」
「取っておいたのに理由は特にないから。……そういうものは捨てない主義なだけで」
言い訳がましい発言に、有紗は目を丸くした。
だが、ディートハルトの頬がほのかに赤く染まっているのに気付いた瞬間、自分の中にある、彼に対する不可解な感情の正体を理解した。
(そっか。私、この人の事、好きなんだ)
それも随分と前から。
性行為の強要や奴隷扱いは嫌だったけど、そこを除けばディートハルトは紳士的だった。
思い返すと、買い物に出かけた時や、文字やこちらの世界の事を教えてもらう時の態度や言動に不快感を覚えた事がない。
歩調をちゃんと合わせてくれたし、荷物は当然のように持ってくれた。
何かを教えてくれる時も、有紗を馬鹿にするような態度は一切なく、間違えを指摘する時の言葉の選び方がとてもうまかった。
意地悪を言われたり、からかわれたりもしたけれど、冗談の範疇に収まっていたと思う。
それに加えてこの容姿だ。こんな人に優しくされたら、心がぐらついてもおかしくない。
でも、ディートハルトに惹かれる自分が許せなかった。
奴隷の寵姫なんて実質は愛人だ。
一年前は、王子様である彼は、いずれ相応しい血筋の女性を正式な妻として迎えると思っていた。
本人が拒否しても、身分を考えたら普通は周りが許さない。
別の女性と共有するのが確定している人物を好きになっても幸せになんてなれっこない。
それも正式な妻ではなく愛人だ。
飽きられたら捨てられてしまうかもしれない。運良く寵愛が生涯衰えなかったとしても、ディートハルトに先立たれたらどうなるかわからない。
恋人でもない人に体を許して、快楽を覚えるように作り変えられたのも嫌でたまらなかった。
出会った場所が日本で、対等の立場だったら――。
きっとディートハルトは有紗に見向きもしない。彼に並び立てるようなスペックではない。だけど、海外モデルのような容姿を持つ御曹司に見初められるシンデレラストーリーを想像した。
『いい寵姫のフリ』があんなに苦しかったのも、きっと好意があったからだ。
(馬鹿みたい)
有紗は心の中でつぶやいた。
今の彼が自分に向ける好意は本物だろう。
でもそれが恋愛感情かどうかは疑わしい。故郷を失った可哀想な存在に同情しているだけかもしれない。
(同情でもいい。……ううん、やっぱり嫌)
恋愛感情であって欲しい。それも、自分と同じかそれ以上の。
ディートハルトへの特別な感情を自覚したら、別の意味でとても苦しくなり、体を許した事を後悔した。
彼がこちらに抱いている感情が同情だった場合が怖い。
唯一の寵姫になれるのは決まっているのかもしれないが、所詮は愛人だ。将来飽きられて捨てられたら、どうすればいいのだろう。
目を伏せ、小さく息をつくと、有紗は壊れた箱をディートハルトに渡した。
「本当はここにいるのは嫌?」
「えっ……」
ディートハルトの質問に有紗は首を傾げた。
「顔が暗い」
有紗は彼の指摘にうつむく。
「嫌なのは奴隷と寵姫という立場で……。ディート様の傍にいるのが嫌な訳ではないです」
「アリサはもう奴隷じゃないよ。隷属の効果は消したから」
「あっ、そっか……」
ディートハルトの指摘に、有紗は首のチョーカーに触れた。
「公的にはまだだけど、手続きをすればアリサは正式に解放される。寵姫という立場は……今の段階では何も言えない。ごめん」
「いえ……」
(一応ちゃんと考えてくれてたんだ)
有紗は顔を上げ、ディートハルトの顔を見つめた。




