十二章 再会 05
有紗との朝食を終え、艦橋に移動したディートハルトを迎えたのは、艦長のロイドをはじめとした、将校達の安堵の表情だった。
「思ったより早くお出まし頂いてよかったです。ヴァルトルーデは殿下の魔力がないと高速航行できませんから」
バルツァーが話しかけてきた。
「さすがにそこまで公私混同はしない」
「全ての通信を遮断なさっておいてですか?」
「寵姫との久々の再会だったんだ。それくらい見逃せ」
「うまく話がついたと解釈してもよろしいでしょうか」
「詮索されるのは不愉快だ」
答えるつもりはなかったのでそう告げると、バルツァーは軽く肩をすくめた。
「ご様子を拝見すれば想像はつきますけどね。魔力の乱れもございませんでしたし」
ディートハルトは舌打ちすると、日課の魔力供給を始めた。
「陛下から通信が何度も入っております。クラウディア殿下からも面会のご要望が。それと、敵操縦士の取り調べにもご協力頂きたいです」
「生け捕りにできたのか?」
「ええ。一応昨日の間に取り調べは行いましたが、改めて殿下にもご確認頂いた方がいいかと」
捕虜の尋問は読心の魔術で行うものだ。
敵国の王族が尋問に現れたら、魔力差から抵抗は不可能なので、重大な機密を握っている兵士は自ら命を絶つのが常識である。だから、今回、敵兵を捕獲できたのは大きい。
「暴挙の動機は?」
ディートハルトが尋ねると、バルツァーは眉間に皺を寄せた。
「自暴自棄になっていたようです。上官から大変酷い仕打ちを受けていたらしく……。自殺ついでに、どうせなら自国に盛大に迷惑を掛けてやろうと考えたみたいですね」
「迷惑すぎる」
「なかなかすごい精神状態でした」
「それを俺が再確認するのか」
「覚悟されておいた方がよろしいかと」
おかしくなっている人間の心を覗くと、ぐちゃぐちゃの思考にこちらの精神もかき乱される。ディートハルトは嫌な予感に顔をしかめた。
「取り調べは後回しで結構ですよ。陛下へのご連絡を先にお願いします」
「いや、父上より先にクラウディアと会う。アリサのために確認しておきたい事があるんだ」
「……かしこまりました。ですが、陛下にはできるだけ早めにご連絡なさって下さい」
「わかった」
ディートハルトは承諾すると、魔力供給が終わったので席を立った。
◆ ◆ ◆
クラウディアに連絡を取ると、修道院は男子禁制なのでヴァルトルーデで面会することになった。
アリサに会わせろとうるさかったので、自室の執務室側に招き入れる。
「アリーセ!」
室内に入ってきたクラウディアは、真っ先に同席させていたアリサに駆け寄った。
基本的な礼儀作法にのっとると、まずはディートハルトに声をかけるのが筋である。それを無視してアリサに向かったのはわざとに違いない。
アリサもアリサだ。クラウディアの顔を見て明るい顔をしたのが気に食わない。
ディートハルトは顔をしかめ、アリサの肩を抱き寄せた。
「これの名前はアリサ・タナカです。今後その偽名を名乗らせるつもりはありませんのでご遠慮下さい」
すると、クラウディアは冷たい視線をこちらに投げかけてきた。
「これ、ねえ……。まあいいわ。そうね、偽装の理由はもうなくなったものね。アリサと呼ばせてもらってもいい?」
「はい、クラウディア殿下」
「ざっと見たところ怪我はないようだけど……。大丈夫? ディートから酷い事はされていない?」
「はい。私は大丈夫です。心配して下さってありがとうございます」
穏やかな表情でクラウディアに返答するアリサを見たら、更に苛立ちが増した。
「姉上、アリサの顔は見せました。もういいですよね」
ディートハルトはアリサの腕を掴むと、寝室へ向かうように促した。
「ディート! 女性相手に乱暴な態度はやめなさい」
「姉上とは大事な話があるんだ。こっちに移動して欲しい」
ディートハルトは姉の抗議を無視し、アリサに頼んだ。
「えっと、はい。わかりました」
アリサは戸惑いながらも頷くと、寝室へと移動する。
それを確認してから、ディートハルトは魔術式を展開し、室内に張られた結界に音を遮断する効果を付与した。
「どういうつもり?」
クラウディアはソファに椅子に下ろすと足を組み、ディートハルトに尊大な態度で尋ねてきた。
「アリサには聞かれたくない相談があるので」
理由を伝えると、クラウディアは眉間に皺を寄せる。
「相談? あなたが私に?」
「寵姫は嫌だと泣かれました。俺はあれを妃にしたい」
ディートハルトの発言に、姉はぽかんと口を開いた。
「妃にって……。無理よ」
「父上は、アリサに三年俺から逃げ切れば、仮の養父母を与え、貴族令嬢という事にして第二妃として嫁げるようにすると約束したそうですね。どうにかなりませんか?」
「どうにかって……」
クラウディアは、まじまじとこちらの顔を覗き込んでくる。
「ディート、もしかしてあなた、アリサに本気なの……?」
姉相手にアリサへの気持ちを口に出すのは何となく嫌で、ディートハルトは黙りこくった。すると、クラウディアは深いため息をつく。
「ちゃんと答えて。じゃなきゃ協力しない。アリサは私にとっては守るべき修道女なの」
「アリーセ・ディア・ライアーなんて人間は存在しない。よってその理屈は通りませんよ、姉上」
この一年間の王家に関係の深い宗教施設、学校、文化施設などの金と人の流れはある程度把握している。当然聖エーデル女子修道院も調査対象だった。
調べた者が不審を抱かなかったという事は、相当巧妙に偽装されていたのだろう。
「……お父様なら、貴族籍をいじって本当は存在しない人間を作り出すこともできるわ。だから、修道院にいた時のあの子は、ライアー家の一員だったの。もっとも、三年の約束を守れなかったから、既に何かの処理がされているかもしれないわね」
クラウディアはそう告げるとため息をついた。
「姉上から父上にねだればどうにかなるのでは? あの人はあなたに甘い」
「甘いのはディートに対してでしょ」
「俺にも甘いですが姉上にも甘いですよ。簡単に離縁を許すなんて。子が産めなくなっても、王女であるあなたには、まだ俗世での利用価値があった」
ディートハルトの発言に、クラウディアは顔をしかめた。
「無神経ね……」
「そうですね。ですが事実です。父上からの贈り物も基本的に姉上の方が高額でしたし……」
「そんな事ないわ。あなたルメール工房の剣やら魔道二輪車やら、時々すごいもの貰ってたじゃない! 総合的にはディートの方が多いはずよ」
「成人式の時の宝飾品や、ドレス一式の方がよほど高価ですよ!」
「成人の時に身に着けたものは必要だから贈って頂いたの! 王族の私がみっともない格好をする訳にはいかないでしょ! 魔道二輪はおもちゃじゃない!」
ああ言えばこう言う。ディートハルトは姉の相手をするのがだんだん面倒になってきた。
それは、クラウディアも同じようで、はああっと深いため息をつかれた。
「本題がずれているわ。ディート、アリサへの気持ちを白状なさい。その上で『アリサを下さいお姉様』と言って頭を下げるのなら、手を貸してあげてもいいわ」
「何故あなたに頭を下げなくてはいけないんですか」
「アリサをこの一年保護したのは私だからよ。よそにいたら変な虫がついたかも。感謝して欲しいわね」
クラウディアの発言には一理あるが、認めるのは腹立たしい。
「それにね、私、あの子がとても気に入っているの。ずっと可愛い妹が欲しかったのよね」
「アリサを気に入るのはわかりますが、あれは俺のものです」
「へえ……。独占欲をむき出しにするような感情を抱いているという訳ね」
「………………」
ディートハルトは沈黙した。するとクラウディアは軽く肩をすくめた。
「ディートは私に協力して欲しいのよね? なら、いい加減折れたら?」
ディートハルトは舌打ちした。
苦手な姉に、いや、相手が彼女ではなくても、頭を下げるのは矜恃が許さない。
だがクラウディアの発言は正論だ。悔しいが認めるしかない。
「俺はアリサが好きです。手を貸して下さい、姉上」
「……私の要求とはちょっと違うけどまぁいいわ。こっちも折れてあげる」
上から目線の発言が癪に障る。
(ちょっと早く生まれただけの癖に)
世の中には仲のいいきょうだいも存在すると聞くが、ディートハルトには当てはまらない。歳の離れた異母兄とは他人行儀だし、姉とはこの状態だ。
「アリサは修道院を守るために腕輪を外したのよ。その気持ちに報いてあげたい。私からお父様に何とかできないかお願いしてみる。でもそれだけでは、あなたの要求を通すのは難しいと思うのよね」
「わかっています。兄上にも協力をお願いするつもりです」
「……私が思いつく事はあなたも当然考えるわよね。手伝って下さるかはわからないけど」
「大丈夫じゃないですか? アリサ探しにも協力して下さいましたし」
初耳だったようで、クラウディアは目を大きく見開いた。
「イルクナーの爺さんのおかげですね。王都でかなり目障りな行動をしていたようで、兄上の方から協力の申し出がありました。父上の動向の監視と人手を貸して下さいましたよ」
余計な政争を招きたくない異母兄と、妃を娶りたくないディートハルトの利害が一致したのだ。ユリウスはアリサ探しに陰ながらかなりの支援をしてくれた。
「お祖父様にも困ったものね」
クラウディアは渋い顔でつぶやくと、視線を寝室に向けた。
「アリサには教えてあげないの? わざわざ席を外してもらう必要はなかったと思うんだけど」
「不確定な話を聞かせたくないんです。あなたや兄上にご協力頂いたとしても、父上が首を縦に振るとは限らない。期待を持たせてダメだったら失望させてしまう」
「……あなた本当にディートハルト?」
「どういう意味ですか」
「そんな顔できたのね」
クラウディアの発言の意味がわからず、ディートハルトは眉をひそめた。
「……無自覚? あなた、女性に対して一見紳士的だけど、いつも同じ顔してたのよ。まるで仮面みたいな感じ」
クラウディアは呆れたような口調で告げた。
「そこまであの子に本気なら、できるだけ頑張ってあげる。一応私も、悪いとは思ってたのよ」
「……謝罪される心当たりはありませんが」
「お母様の事でディートを責めた事があったでしょう? これが罪滅ぼしになるとは思ってないけど……。それに、あなたは任務だって言うかもしれないけど、助けに来てくれたのにも感謝してるの」
ディートハルトに向かってそう告げたクラウディアは、バツが悪そうだった。
◆ ◆ ◆
クラウディアの次は異母兄に連絡を、と思っていたら、先に向こうから映像通信が入った。
《久し振りだな、ディート。まずはおめでとうと言っておこうか。寵姫を無事見つけ出せたと聞いた》
魔道具ごしに対面したユリウスは、食えない笑みをディートハルトに向けてきた。
母が違うから彼とディートハルトは全く似ていない。
自身の生母とエルンストの顔を足して二で割った容姿の持ち主である彼は、一見すると穏やかそうで親しみやすいが、心の中では何を考えているのかわからない人物だ。
「お久しぶりです、兄上。ありがとうございます」
《これでお前にとっても私にとっても理想的な結末になったという訳だ。父上はご機嫌斜めだが》
「そうですか」
《お前が連絡していないせいだろうな。真っ先に報告を入れるべきなのに》
「それよりも大切な事があったので」
《ああ、逃げた寵姫への仕置きか?》
「違います。私の傍を離れた理由と本人への気持ちの確認です」
ディートハルトの返事を聞いたユリウスは、目を丸くする。
《一年前とは随分態度が違うな》
「アリサを見たら気が変わりました」
《例のテラ・レイスは、お前にそういう顔をさせる相手なのか……》
ユリウスはこちらをしげしげと見つめてきた。
《いい相手に巡り合えたようで良かった》
異母兄の祝福するような笑みにディートハルトは驚いた。いつもの作り物めいた表情とは明らかに違う。
《何だ、変な顔をして》
「兄上にそう言って頂けるとは思っていなかったので……」
《これでも私はお前に同情していたからな》
ユリウスの発言にディートハルトは更に驚く。
《私も同じ王族だから、妃に無理を強いる身なのは同じだ。私でさえそうなんだ。お前の苦しみは私以上のものだったはずだ》
「だから協力して下さったんですか?」
《お前に恩を売りつつ、イルクナーの老害を牽制するいい機会だった》
ユリウスは、そう告げると口角を釣り上げた。わざと露悪的に振舞っているような表情だ。
「……兄上、厚かましいのは承知の上でお願いします。もう少し私に協力してもらえませんか?」
《その言い方、嫌な予感がする》
「アリサを寵姫ではなく、妃にしてやりたいんです。貴族の身分を与えてやりたい」
ディートハルトの発言にユリウスは眉間に皺を寄せた。
《魔力のない者を貴族にしろと?》
「ロゼッタ妃の前例がありますよね。どうにかなりませんか?」
《王の寵姫、それも何十年にも渡ってお祖父様を支えたロゼッタ妃と、お前の寵姫では立場が違い過ぎる》
「……アリサが寵姫は嫌だと泣くんです」
《いや、それにしても、たかが女に泣かれたくらいで……》
ユリウスにとっては『たかが』と言える存在でも、ディートハルトにとってはそうではない。
「寵が薄れた時と私が先立った場合を恐れているんです。可愛いと思いませんか?」
《女の立場からしたらそうだろうが……。だからといって叶えてやろうとするなんて。恋愛感情なんて熱病のようなものだ。いずれ冷める可能性だってある》
「それはないと思います。アリサは私にとって、番のような存在なので」
ディートハルトはアリサ以外いらない。彼女以外に触れたくない。
でもアリサにとって、ディートハルトは実は唯一絶対の存在ではない。
テラ・レイスの彼女は、誰かに依存しなければこちらの世界では生きられない。だが、その誰かは必ずしもはディートハルトである必要はない。
それに気付いて、別の男に乗り換えたいと言われたら、どうなるかわからない。
自分の性格上、アリサの新しい恋を応援する事は出来ないと思う。もしかしたら相手を殺して、アリサを無理矢理閉じ込めてしまうかもしれない。
また、何かの大発見があって、テラに戻る手段が見つかったら――。きっとディートハルトはその情報を握りつぶす。
《……神返りの魔力も考えものだな》
ユリウスは同情めいた視線をこちらに向けてきた。
王家は、家畜の品種改良のように血統を管理し、神の末裔たる高い魔力を後世に伝え続けてきた。
ディートハルトはその中で、突然変異的に生まれた先祖返りだ。
王家、そして王家から枝分かれした高位貴族の血脈に眠る、神の因子が奇蹟的に凝縮したのだろう。そういう事例は他にもある。平民同士の間に稀に産まれる高い魔力持ちの子供がそれだ。
異性と接触する時、男ほどの影響がない女に生まれていたら、人に魔力を与えた月の女神の生まれ変わりとして、今以上に結婚と出産の圧力がかかっていたに違いない。
「好きでこんな体に生まれてきた訳ではありません。もし選べるなら中位貴族が良かった。ほどほどの責任で裕福に暮らせる」
《そうだな。私も選べるならその辺りにする。王族なんて責任と苦労ばかりだ》
兄からも同意が返ってきた。
「兄上が協力して下さるなら、私は王位継承権を放棄します。王族籍から抜けてもいい」
《そこまでか》
「はい。今なら私の忠誠も付けますよ。お得だと思いませんか?」
《……継承権や王族籍を放棄されたら対外的に影響が出る可能性がある。見返りは忠誠だけでいい》
「承諾して下さったと受け取ってもいいのでしょうか?」
《ああ。私が王位に就いたら今以上にこき使ってやる。覚悟しておけ》
「もちろんです」
そう告げると、ディートハルトは右腕を左胸の前に置き、姿勢を正した。
忠誠礼と呼ばれる最上位の敬意を表す姿勢だ。
「ディートハルト・イェルク・ユエル・フレンスベルクの名に賭けて、兄上の治世を全力で支えると誓います」
忠誠の宣誓を、ユリウスはどこか渋い表情で受け取った。




