五章 妃候補 01
「明後日、セーファスという都市に停泊する事になった。一緒に外出するよ」
ディートハルトから告げられたのは、有紗がヴァルトルーデに乗艦して、一か月近くが経過した時だった。
有紗の『奴隷の演技』はまだバレていない。順調に彼との距離を詰め、二人きりの時は気安く話ができる関係になっていた。
「セーファスはアルトハイム県の県都なんだ。アリサには太守との面会に同行してもらう」
「県……? タイシュ……?」
「県は国の次の行政区画。太守は県の長官だよ」
有紗が質問すると、ディートハルトは何でも答えてくれる。
奴隷に教育を施すのは、神の教義に定められた主人の義務で、聖職者である王族はそれに反するような行動はしない。――今のところはバルツァーから習った通りである。
こちらの奴隷制度は、オスマン帝国のそれに似ている。
十字軍遠征で有名なサラディンはマルムークと呼ばれる奴隷出身の軍人を重用したし、ロクセラーナは後宮の女奴隷から皇后に上り詰めた。主人次第、本人の才覚次第で出世が可能なので、耐久消費財だったアメリカの黒人奴隷より扱いはいい。
(県に太守ね……)
どちらもこちら独自の単語があるのだとは思うが、こう翻訳されるのは少しおかしかった。
太守は、古代中国における郡の長官に与えられた官名だが、歴史上の諸国家における地方行政長官の訳語としても用いられる言葉である。
県のトップが県知事ではなく、太守と翻訳されたのは、おそらく有紗の歴史好きが影響しているのだろう。
「太守って偉い人ですよね?」
「そうだね。三位以上の貴族が任命される高官だ」
「私がついて行ってもいいんですか?」
「うん。有紗の役目は太守の娘との顔合わせを潰す事だからね」
ディートハルトの発言に有紗はギョッとした。
「覚えてないかな? アリサの所有権を移す条件」
「女の人に会う事でしたよね?」
「そう。でも俺は誰かと結婚するつもりはないんだ。寵姫を連れて行って、相手から断るようにしたい」
「……王族が結婚しないなんて許されるんですか?」
「父上や側近はうるさいけど、皆が皆そういう訳ではないかな。腹違いの兄上のところに既に三人いるからね。兄上に近い奴らは、俺の後ろ盾になるような女を妃に迎えるくらいなら独身でいて欲しいって思ってるよ」
「そうなんですか?」
「うん。この国は長子相続が原則だから王太子は兄上なんだけど……。兄上よりも魔力の高い俺を国王にしたがってる奴もいて、色々面倒なんだよね。兄上と俺は母親が違うから余計に」
そう語るディートハルトは、うんざりとした顔をしていた。
彼には彼なりの事情があるのはわかった。しかし、だからといって、素直に『わかりました』とは言えない。
(お見合いを潰すために利用されるなんて)
女性の恨みは同性に向く事が多い。怒りの矛先が有紗に向かってきたらどうしてくれるのだろうか。
「時間的に仕立てるのは無理だから既製品にはなるけど、綺麗なドレスを買ってあげるよ」
(そんなのいらない……)
そう思っても口には出せなかった。
◆ ◆ ◆
セーファス市は、 有紗が買われた街よりも都会だった。
郊外には基地があり、ヴァルトルーデはそこに舞い降りる。
「太守との約束は明日なんだ。今日はまずアリサのドレスを買う。ホテルを手配してもらったから街でゆっくりできるよ」
「基地には戻らないんですか?」
「ホテルの方が豪華だ。贅沢させてあげる」
ディートハルトは得意げに微笑みかけてきた。
お見合いを妨害する片棒を担がされると思うと、素直に喜べない。有紗は内心で眉をひそめた。
基地から市街地へは、またディートハルトの運転する魔道四輪車での移動になった。
なお、出発する前に基地の司令官やバルツァーが見送りに出てきたが、皆渋い顔をしていた。
お見合いを潰そうという目論見に、誰もが反対したに違いない。
ディートハルトは、真っ先に明らかに高級とわかるドレスショップに向かった。
「殿下、ようこそいらっしゃいました」
ディートハルトの訪れはあらかじめ知らされていたらしく、華やかな服装の女性店員が丁重な態度で出迎えてくれる。
この店員は、有紗を見ても顔色一つ変えない。
こちらに向かってにこやかに微笑みかけると、ディートハルトと有紗を広々とした別室へと案内した。
室内には大量のドレスが飾られており、座り心地の良さそうな応接セットや大きな鏡がある。
結婚式場やフォトスタジオのフィッティングルームみたいな空間だ。
そこで有紗は、何着ものドレスを試着する事になった。
「殿下が明日お召しになるのは正装ですか?」
「いや、今と同じ常装の軍服の予定だ。そこまで畏まる席じゃない」
「でしたら、ドレスもバランスを取った方が良さそうですね」
「いや、俺は引き立て役でいいから、そこは無視して純粋に彼女に似合うものを選んで欲しい」
ディートハルトと店員は、ああだこうだと言い合いながら有紗を着せ替え人形にする。
ドレスが決まって、軽い直しが終わった時には、有紗はげっそりと疲れていた。
綺麗なドレスを見るのも着るのも大好きだが、何着も取っかえ引っ変えするのは疲れる。
「ちゃんとしたドレスを着ると少し首輪が残念だね。倒錯的な魅力があると言えばあるけど」
ディートハルトは、しげしげと有紗を観察しながらそう告げた。
確かにディートハルトの発言には一理あるが、無神経でもある。有紗は大きな鏡に映る自分から目を逸らした。
「俺が買い与えたものじゃないのも気になってたんだよね。このままアクセサリーを見に行くから、元着ていた服はホテルに届けておいてくれないかな?」
「かしこまりました」
ディートハルトの依頼を店員は愛想良く請け負った。
「アリサ、次を回るよ」
彼はこちらに手を差し出してくる。
「あの、外に出るなら帽子を……」
「ドレスに合わないから今はダメ」
「目立つのは嫌です」
「今日はむしろ目立った方が都合がいい。太守の所まで噂が届けば、向こうから断って貰えるかもしれない」
酷い発言に、有紗は思わず太守父娘に同情した。
「そういう事だから頑張ろうか、アリサ」
ディートハルトは強引で、有紗の手首をがしりと掴むと外へと促した。
宝飾品店は、ドレスショップのほど近くにあった。
高級品ばかりを扱う店が立ち並んだ通りは、人の通りが少ないとはいえ全くない訳ではない。
キラキラとした王子様と、ドレスアップしているとはいえ、無骨な首輪を付けた奴隷の組み合わせは嫌でも目を引く。
有紗はディートハルトの奴隷だ。ならば、彼の意向に従うのが正しい。
有紗は諦めると、ディートハルトの隣に並び、彼の腕にしなだれかかった。
「アリサ?」
「噂になった方がいいんですよね? 頑張ります」
引き攣りそうになりながらも笑いかけたら、彼も笑みを返してくれた。
「アリサのそういう所、好きだよ」
空いた手で彼は頭を撫でてきた。髪を乱さないよう、気を遣った撫で方だった。
◆ ◆ ◆
宝飾品店の中はとにかくきらびやかで、有紗は気後れして立ちすくんだ。
ドレスは貸衣装のような感覚があったが、宝石は違う。
セレブの婚約指輪を取り扱うお店はこんな感じなのだろうか。
ショーケースの中には、値札のついていない煌びやかなアクセサリーが、博物館の展示物のように飾られている。
大学生でも手が届くようなものとは、輝きも豪華さも段違いだった。
そんな店に、平然とした表情で入っていくディートハルトを見て、有紗は彼がこういう世界の人間なのだと改めて実感する。
「殿下、お待ちしておりました」
ここもドレスショップと同じで、身なりのいい中年の男性店員が即座に駆け寄ってきて、ディートハルトに頭を下げた。
すぐに別室に案内されるのも一緒だ。
応接室に通されると、すぐにお茶とお菓子が運ばれてきた。
「彼女の今のドレスに合いそうなアクセサリーをいくつか見繕ってくれないかな? それと、首輪を交換したいんだ。何か良さそうなものがあればそれも一緒に」
「かしこまりました。少々お時間を頂きます」
男性店員は恭しく頭を下げると部屋を退出していった。
こちらの店員も、有紗に対して丁重である。
これが庶民的な店と高級店の差なのだろうか。有紗は思わず店員が去っていったドアを見つめた。
ややあって、男性店員が大量のケースを手に戻ってきた。
ケースの中には、大粒の宝石をあしらったアクセサリーが入っている。
お金持ちの家には、デパートの外商が御用聞きに来ると聞くけれど、こんな感じなのだろうか。
有紗は呆然と宝飾品の数々を眺めた。
「隷属の魔道具にするための装身具はこちらです」
そんな前置きをしてから店員が見せてきたのは、金属のみで作られたチョーカーだった。細かい加工が施されてとても綺麗だが、シンプルなものばかりである。
「もっと華やかなものもありますが、他の装身具を重ね付けする事を考えて、こういう何にでも合わせやすいタイプを選ばれる方が多いですね」
「そうだね。俺もその方がいいと思う。アリサ、この中から好きなのを選んでいいよ」
店員の説明にディートハルトは頷くと、有紗に視線を向けてきた。
(私が選ぶの……?)
自分を縛る首輪を自分で選ばないといけないなんて、有紗にはとても悪趣味に思えた。
店員は、微笑ましげな目をこちらに向けてくる。
これは、『寛容な主人』に感激する場面なのだろうか。
有紗は深く呼吸してから、嬉しそうな顔を作ってチョーカーに視線を向けた。
◆ ◆ ◆
今日の宿として手配されていたホテルは、王子様が宿泊するのだから当然だが、外観も内装もお城みたいに豪華だった。
「やっとアリサに寵姫らしい贅沢をさせてあげられた」
二人きりになると、ディートハルトは有紗を抱き寄せ、嬉しそうに囁いた。
「王都のディート様のお屋敷に移動したら、こんな暮らしをさせてもらえるんですか?」
「そうだね。際限なくとは言えないけど、好きなだけドレスや宝石を買うといい」
(……それって気に入られている間だけですよね)
「楽しみです」
本心を隠し、有紗はディートハルトに微笑みかけた。
ドレスに宝石、最高級のスイートルーム――。
まるでおとぎ話のお姫様になったみたいな体験だったが、庶民の有紗には疲れる時間でもあった。
煌びやかなものが目に痛かったし、贅沢への罪悪感や後ろめたさが湧き上がって肉体的にも精神的にも消耗する。
有紗が漠然と望んでいたのは、もっと平凡でささやかな幸せだ。
対等の立場の、同じくらいのスペックの人とお付き合いして、結婚して、贅沢なんて時々でいい。
本当に欲しいものは、ディートハルトからは貰えない。
本音を伝えても、おそらくわかってもくれないだろう。
生まれが違う。育ちが違う。感覚が違う。それがこんなにも辛いとは思わなかった。




