四章 艦上生活 03
「アリサ、体の痛みは取れた?」
就寝前にディートハルトから尋ねられ、有紗は身を固くした。
初めて彼と体を重ねてから、三日が経っている。
その間、ただ抱き締められて眠るだけだったから油断していた。
「…………はい」
有紗は、少しためらってから蚊の鳴くような小さな声で返事をした。
『体が痛む間は何もしない』と言われた時は、何日か嘘をついて引き伸ばしてやろうと思っていたが、思い直した。
本当は体を許すのは嫌だけど、嘘が発覚して、酷い目に遭うのはもっと嫌だ。
(気持ち悪いおじさんじゃないだけ運がいい)
(見た目は理想的)
(安全な生活のため)
(気に入られたら裕福な生活が送れる)
(解剖されるのは嫌)
そんな打算が頭の中をかけめぐる。
ディートハルトの手が顎に添えられ、有紗は上を向かされた。
彼の顔が近付いてきて、唇が重なってきた。
舌が口の中に侵入して来ようとするのを、有紗は素直に受け入れる。
深いキスは苦手だ。濡れた舌の感触が気持ち悪い。
他人の唾液が混ざりあっていると思うと、それも不愉快だった。
本当に好きな人となら、こんな風には感じないのだろうか。
「酔ってないね」
唇を解放すると、ディートハルトはこちらの顔を覗き込み、嬉しそうに微笑んだ。
そして、有紗をベッドへと導いて横たえる。
「できるだけ優しくしてあげる」
彼は、囁きながら覆い被さってきた。
◆ ◆ ◆
浮遊戦艦ヴァルトルーデにおけるディートハルトの主な役目は、魔力供給だ。
日に一度艦橋に赴き、動力部に繋がる魔道具に、体内の膨大な魔力を流し込む。
ディートハルトが所属する、陸軍航空隊第一航空師団は、このヴァルトルーデの運用を司っている。ディートハルトはその師団長という事になっているが、実際に艦を動かすのは艦長であるロイドだ。
士官学校で航空法や飛行管制、母艦運用等の知識は叩き込まれたものの、第二王子であるディートハルトは士気高揚用の置物だ。学んだことは何の役にも立っていない。
魔力供給を済ませた後は、報告書や航行日誌に目を通し、承認の署名をする。
唯一の楽しみは、戦闘機の演習計画を練る時だ。それだけがディートハルトに許されている比較的やりがいのある仕事で、基本的には定型業務をこなすだけの退屈な毎日を過ごしていた。
「随分と厳重に囲い込まれますね」
今日の分の魔力供給を終えた時、ぽつりと話しかけてきたのはロイド艦長だった。
「テラ・レイスの女性ですよ。殿下の部屋に閉じ込めっぱなしではありませんか。引き合わせて貰えたのは私とバルツァー大佐だけです」
――アリサ。
彼女はディートハルトのつまらない日常に、唐突に現れた面白い存在だった。
「お前らは既婚者だし愛妻家だからね。ここは女に飢えた野獣の巣窟だ。俺は自分の女を他の男と共有する趣味は無いんだ。あれは幸いバルツァーに保護されるのも早かったから、何の手垢もついてなかったしね」
本音を言えばもう少し大人びていて豊満な方が好みだが、何も知らない無垢な彼女に一から男女の事を教えるのは楽しかった。事前の対策なしに気兼ねなく女性に触れるのも、継続的に抱くのも、ディートハルトにとっては初めてだ。
時に反抗的な目を見せるが、自分の立場をわきまえて、従順に振舞う姿も好ましい。頭が悪くてうるさい女は苦手なのだ。
「殿下の寵姫に手を出そうとする者はまずいないと思いますが……」
「警戒するに越した事はないだろ?」
「とはいえ、ずっと部屋に閉じ込めているのは健康に悪いです。少しは外の風を吸わせてあげては? 事前に仰っていただきましたら、人払いしますから」
「……仕方ないな。手配は任せる」
ディートハルトは渋々と承諾すると、席を立った。
◆ ◆ ◆
「アリサ、散歩に行こう」
艦橋から戻ってきたディートハルトから提案され、有紗は目を丸くした。
「どこにですか?」
「デッキに」
「部屋を出るなって言っていたのに?」
どういう風の吹き回しなのかわからず、思わず首を傾げてしまう。
「あまり閉じ込めすぎるのは良くないってロイドに進言されたんだ。気が進まない?」
「いえ……。飛行船の中がどうなっているのかは気になるので……」
「案内はできない。民間人を乗せるのは本当は禁止だからね。テラ・レイスは俺にとって唯一無二な体質の持ち主だから、目こぼししてもらってるんだ」
「好きに出歩けるとは思っていません。機密の塊だって前に聞いた気がしますし……」
「そうだった。じゃあ行こうか」
「今からですか?」
「うん。人払いをしてもらってるんだ。寒いと思うからちょっと待って」
ディートハルトはそう告げると、一旦寝室に移動して、自身のコートを手に戻ってきた。
この戦艦に乗せられて十日ほどしか経っていないが、階段を少し登るだけで息が上がってしまったので有紗は驚いた。
体力が落ちている。ずっとディートハルトの部屋に閉じ込められて、頻繁に体を求められるせいかもしれない。
二回目に体を求められた時、機嫌を取ろうと従順に振舞ったのは失敗だった。
それ以来、まるで盛りのついた動物みたいに彼は有紗に触れてくるようになった。
体力差がある上に、執拗にこちらを感じさせようとしてくるから、体を重ねた翌朝は起きられない。
また、一人の時間は文字の勉強にあてている。一日中座りっぱなしなので、冷静に考えたら体が鈍って当然である。
デッキに出ると、予告されていた通り肌寒かった。
ぶるりと震えると、ディートハルトはコートを有紗の肩に掛けてくれた。ふわりと彼の匂いに包まれ、内心で顔をしかめる。
「結界があるんだけど、外気の影響を受けるからここは冷えるんだよね」
「風はないんですね」
「風は結界で防げるんだ。でないと吹き飛ばされるし、安全に戦闘機が離発着できない」
ディートハルトの説明を聞きながら、有紗はコートに袖を通した。
体格差があるから当然だが、彼のコートはかなりぶかぶかである。
「字の勉強は順調?」
「文字の読み方と形はなんとか覚えました。今は買ってもらった絵本を少しずつ読んでいます」
「読み書きの習得は大変だよ。会話と違って文章には『理』が働かない。だからその国独自の単語や言い回しを覚える必要がある」
ディートハルトの言う通りで、本を読むためには、こちらの言葉を覚える必要があった。
「ロゼッタ妃は早々に諦めたらしい。アリサがどこまで頑張れるのか楽しみだな」
「私は諦めません」
専門的な文献を読めるほどの語彙力は、一体どれほどの年月を学習に費やせば身につくのだろう。
先を考えると気が遠くなるが、有紗はなんとしても元の世界に帰る方法を探すと決めていた。
「邪魔はしないよ。応援もしてあげる」
そう告げるディートハルトの目は好奇心でいっぱいだった。
馬鹿にされているような気がしてムカムカした。




