五章 妃候補 02
「うぅ……」
隣から聞こえる微かなうめき声に目を覚ましたディートハルトは、枕元の懐中時計を手繰り寄せて時間を確認した。
外が白み始めているところから明け方だと予想はしていたが、時計の針は四時を指している。
太守との面会に備えて早く寝たせいで、変な時間に目が覚めたに違いない。
ディートハルトは小さく息をつくと、隣で眠るアリサに視線を向けた。
嫌な夢を見ているのか、眉間に皺が寄っている。
(テラ・レイスじゃなかったら覗けるのに)
特別な体質のせいで魔術が効かないから、それは不可能だ。
「ん……」
アリサの眉間の皺が深くなった。
体のことを考えたら寝かせてやりたいが、うなされている彼女を見ると心配だ。
起こすかこのまま放っておくか、ディートハルトは考え込んだ。
十五、六にしか見えないのに、年相応に大人びていて聡明なアリサの事を、ディートハルトはとても気に入っていた。
最初は反発していた彼女は、すぐに自分の立場を理解し、こちらに従順になった。
だが、奴隷制度のない異世界から来た彼女には、こちらの制度はなかなか受け入れられなかったのだろう。時々嫌悪感や怒りが見え隠れしていたのが面白かった。
ディートハルトは、そんな彼女に優しく接するように心がけた。
犬や猫でも優しい飼い主には懐くものだ。少しずつ彼女が心を開く過程は見ていて楽しかった。
また、まっさらな状態で手元にやってきたのも、ディートハルトを惹きつけた。
何も知らない無垢な体に触れたのは自分だけだと思うと、心が満たされる。
懐いてからも、必要以上に媚びる訳ではなく、控えめに甘えてくる姿が可愛い。
そして、こちらの世界の知識を得ようと努力する姿にも好感を持った。
『帰る方法を見つける』という動機は少し気に入らないが、そんな方法はどこにもないのだから、そのうち悟って諦めるはずだ。
文字の習得は彼女にとっていい暇つぶしにもなっているようなので、ディートハルトは静観していた。
「……おと、さ……」
アリサが声を発したので、ディートハルトはハッと我に返った。
「おか……さん……」
消え入りそうな声でそう漏らした直後、彼女の目尻から涙が零れる。
それを見た瞬間、苛立ちが湧き上がった。
おそらく彼女は、もう帰れない故郷の両親の夢を見ているのだろう。
『ディート様の傍にいるのが嫌な訳ではないんです。両親には私しか子供がいないから、きっと凄く心配しています。せめて手紙だけでも送る方法があれば……』
故郷の話を聞くと、アリサは切なげな表情でそう告げた。
家族から愛情を受けて育ったであろう事は、会話や所作から窺える。
たとえば、ディートハルトの食べ方を観察し、こちらの食事の作法を覚えようとする姿であったり、丁寧な口調であったり――。しっかりとした躾や教育を受けていなければできない行動だ。
故郷を思う気持ちがあるのはもっともだ。二度と帰れないのは可哀想だとも思う。しかし、腹が立つ。
(可愛がってやったのに)
持って生まれた魔力器官の性能が高すぎるせいで、ディートハルトは対策なしでは異性と触れ合えない。
魔力酔いを中和する薬を服用してもらう必要があるが、強い副作用と隣り合わせだ。
魔力を受け付けない体質の持ち主であるアリサはとても貴重だ。幸い容姿も性格も好ましかったから、ディートハルトは彼女を大切に扱ってきたつもりだった。
気が付いたら、ディートハルトは衝動的に彼女を揺すっていた。
すると、ゆっくりと目蓋が持ち上がり、彼女の希少性の象徴である漆黒の瞳が現れた。黒曜石のような光沢をもつ大きな瞳も、彼女の魅力の一つである。
「……ディートさま?」
ぼんやりとした目でアリサはつぶやくと、視線を周囲にさまよわせた。
「もう起きる時間ですか?」
辺りはまだ薄暗いからか、不審そうだ。
「酷いうなされ方をしていたから心配になって……」
「そうだったんですか。……ごめんなさい。ディート様を起こしてしまったんですね……」
アリサは申し訳なさそうだった。
こちらにも非はあるのに気遣いの言葉が最初に出てくる。そういう女性だから、こんなにも好ましく思えるのかもしれない。
「眠りが浅いのは体質だから気にしなくていい。どんな夢を見てたの?」
「……何かに追い掛けられる夢でした」
「へえ……」
明らかに嘘とわかる回答に、ディートハルトの機嫌は一気に下降した。
素直に故郷の夢を見たのだと告白したら、慰めて甘やかしてやるのに。
「起こしてごめんね。まだ時間があるから、もう少し眠っていてもいいよ」
「はい」
アリサは頷くと、まだ眠り足りなかったのか目を閉じた。
ほどなくして規則正しい寝息が聞こえてくる。
ディートハルトは、まだ鎮まらない仄暗い感情を収めるため、半身を起こすと髪をかき上げた。




