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それは遠い遠い昔、擦り切れるほどに思い出すのに決して色あせることのない記憶。
「・・・アストラ」
長い髪をなびかせて彼女が振り返った。その笑顔に視線を奪われて、名を呼ばれる度に心臓が痛む。
「ありがとう。あなたからもらった力でここに生きる人を守ることができる」
「・・・・その力は人間には過ぎたものだ。いつかお前の命を奪う」
「それでもいいの」
彼女は笑顔のまま首を振った。
なぜだ?人間の生はただでさえ短い。その短い生をまっとうすることもできないのに笑顔を絶やさない彼女を見る。まるで心から満足そうなその表情に何と言えばいいのかわからない。
「大切な人たちを守ることができるんだもの。私は幸せよ」
吹けば消えてしまうような儚い命。それでも眩しいほどにその魂は輝いている。自らの魂を燃やして他者を照らす彼女に何ができるのだろうか。
「・・・・それなら、約束しよう」
「え?」
「たとえお前がこの世を去っても、ここに暮らす人間たちを私が守っていこう。私の命ある限り、この地の人間は傷つけさせない」
「アストラ・・」
自分でもなぜそんなこと言ったのかわからない。所詮口約束。誓約でもないそれは簡単に破ることだってできる。ほとんど意味をなさないものだ。
「ありがとう」
涙を浮かべて彼女が微笑んだ。たったそれだけで自分の心が満たされていく。
「あなたを、愛してる」
どれほど時間がたったのかわからないのに、まるで時が止まったようにあの時の光景が何度も鮮明に蘇る。
*
「・・・ついに明日、か」
最後の作戦会議を終えて1人になった部屋で呟いた。いよいよ明日が聖女のお披露目当日だ。少し緊張して息を吐きだしていると声をかけられた。
「アリス」
振り返るとそこには帰ったはずのヒースクリフがいた。彼は何か言いたげにこちらを見ている。
「ヒースクリフ?どうしたの?」
「・・・・行きたいところがある。ついて来てほしい」
彼はそれだけ言うと私が頷いたのを見届けて歩き出した。ヒースクリフに連れられ聖教会の内部を奥へ奥へと進んでいく。遅い時間だからか周囲に人の気配はない。道のりには覚えがあった。案の定、ヒースクリフは大きな扉の前で足を止めた。ドラゴンと聖女の美しい装飾、紛れもなくアストラの結界が張られている場所だ。どうしてここにと疑問に思いながらちらりとヒースクリフを見上げると、すでにこちらを見ていたらしく目が合った。
「・・・入れるか?」
結界の奥にということだろう。正直言って入れるのかどうかはわからない。けれど、意を決して右手を伸ばした。私の手は結界に阻まれることなく、扉に触れることができた。回帰前と同じだ。今回は聖女の紋章が光った。おそらく、聖女であったために結界に阻まれることがなかったのだろう。
私が問題ないことを見届けるとヒースクリフもためらいなく手を伸ばした。結界に止められてしまうと思ったその手は私と同じようにすんなりと通り抜けることが出来た。
「・・・行こう」
ヒースクリフが先導するように歩き出す。一瞬彼の胸に下げられている首飾りが光ったような気がした。
長い眠りから目覚めた彼は回帰前と変わりのない姿でそこに佇んでいた。
「久しいな、聖女よ。そして先読みの聖女の子、お前もな。大きくなったものだ」
アストラは突然の訪問に驚いた様子はなかった。逆にアストラの言葉に驚かされる。
(知り合いなの?)
いや、よく考えれば当然だ。ヒースクリフは先代聖女の子供。聖女とドラゴンが密接に関わっていたあの時代なら普通のことだったのかもしれない。とっさにヒースクリフの顔を見上げて目を見張った。
彼は旧知の人に会うような表情をしていなかった。その美しい顔には憎しみが浮かんでいる。
「よくそんなことが言えるな・・・俺と母上を見捨てたお前がよくも」
ヒースクリフは拳を握りしめていた。彼の全身から怒りが伝わってくる。けれどその怒りを向けられているはずのアストラは気にとめる様子もなく表情を変えずに首を振った。
「見捨てたわけではない。すべてが手遅れだった」
「ふざけるなっ!お前が、お前さえいればすべて違ったはずだ!少なくとも母上の仇を取ることができた。それなのに俺の手を取らなかった。お前は裏切ったんだ。俺だけじゃなく、母上のことも」
アストラの言葉はヒースクリフの逆鱗に触れたようだ。彼は感情のままに言葉をぶつけるけれど、アストラには響かなかったらしい、ただ視線を下げただけだった。
「・・・・裏切ってはいない」
「ははっ・・・そうだな、お前は裏切ってない。お前は何もしなかった。現実を見ることも恐れて自分の世界に逃げた臆病者だ」
「・・・・そうだな」
あざけるようなヒースクリフの言葉をアストラは無表情のまま受け止めていた。ヒースクリフはアストラに歩み寄ると彼の襟を掴んで至近距離で睨みつけた。
「何か言ったらどうなんだ。それとも何も言うことなんてないのか。母上はお前のことを大事に思っていた。それはお前も同じだったはずだ。それともドラゴンであるお前からしたら人間に情を寄せるなんて
愚かな真似はしないのか?そうやって、俺たち人間を見下しているのか」
「・・・・」
「俺たちは今度こそ母上を殺したあいつに復讐する。もう一度だけ聞いてやる。お前はどうする?またここで引きこもっているつもりか?現実から目を背け続けるつもりか?」
ヒースクリフの言葉で彼がここに来た理由を理解した。彼はアストラに機会を与えに来たんだ。ドラゴンが大切に守っていた聖女に手を出した愚か者に復讐する機会を。
「私は・・・」
アストラは少し考える素振りを見せた後、俯いたまま呟いた。
「私は、人間の争いごとに関与するつもりはない」
「っ!!ふざけるなっ!!」
アストラの言葉にヒースクリフの怒声が響く。
「お前が母上を聖女に選んだせいで母上はなりたくもない王族になったんだ!!そして好きでもない男の子供を産んだ!!全部、全部、お前のせいだ!お前がいなければ、お前さえいなければ母上は今も幸せに生きていたはずだ!」
ヒースクリフの心からの叫びだった。聖女だった母が政略結婚を強いられて自分が生まれてしまったこと、王妃の手によって目の前で母が殺されてしまったこと。挙句に聖女として母を選んだ偉大なドラゴンから見捨てられたとき、彼はどれほどの絶望に陥ったのだろう。
「お前に1番腹が立つ。すべてを変えられる力を持っているにも関わらず何もせず、現実からも目を背け続けるお前に」
ヒースクリフはそう言い捨てると襟をつかんでいた手を乱暴に話した。
アストラは去っていくヒースクリフの背を黙って見つめていた。
*********
「・・・時戻りの聖女か」
静かにたたずむアストラの邪魔にならないようにとそっと近づいた。けれどすぐに気づかれてしまった。ヒースクリフは結界の傍で私が戻るのを待ってくれている。けれど帰るまでにどうしても彼と話をしておきたかった。
「何をしていたんですか?」
「何も。ただここにいただけだ」
彼が見つめているのは古びた石だ。祠なのだろうか。長い間時間の風にさらされたのだろう、何が書いてあるのかもわからない。けれど周囲には草も生えておらず、綺麗に保たれており丁寧に扱われていることがうかがえる。
「・・・お前も何か私に言いたいことがあるのか?」
アストラの言葉に静かに首を振った。言うべきことはヒースクリフが全て言った。私から重ねて問い詰めるようなことは何もない。
「・・・それは?」
「墓だ。もう名前も忘れ去られた者の」
祠だと思ったそれはお墓だったらしい。私はアストラの隣に並ぶとしゃがみ込んで崩れかけた墓石に静かに手を合わせた。
「何をしている?」
目を閉じていると不思議そうなアストラの声がした。
「祈っているんです。どうか安らかに眠れていますようにと」
「なぜ?お前には関係のない者のはずだ」
目を開けてしゃがんだまま見上げるとアストラは不思議そうな顔で私を見ていた。
「それでも、あなたにとって大切な人だったのでしょう?」
「・・・大切?」
言われた言葉が理解できないというように言葉を反芻していた。まるで自分に問いかけているみたいだ。
「あなたは、あなただけはこの人の名前を憶えているんですよね?」
「・・・」
なんとなく、そう思った。私の言葉にアストラはじっと墓石を見下ろしていた。
「・・・・・・・ティアだ」
「え?」
長い沈黙の後でアストラはポツリと呟いた。
「ここに埋葬された者の名だ。祈ることは無意味だ。長い年月を経てここにはその身体の欠片も残っていない」
「・・・・それなら、どうしてここにいたんですか?」
私の言葉に今度はアストラが小さく首を振った。
「・・・・わからない。どうしたらいいかわからないときはここに来る。答えなど見つからないが」
「約束した。遠い昔、あやつが生きているときに。共にここに暮らす人間たちを守ると、ここに暮らす人間を傷つけさせないと」
「それは・・」
彼の言葉で思い出した。建国神話。この国の始まりの聖女とドラゴンの物語。
彼らの恋の話を――。
「わからなかった・・・いや、今もわからない。どうするべきなのか」
言葉通り、わからないまま纏まらない思考を吐き出すようにゆっくりとアストラは語り始めた。
「あの事件が起きた日。先読み聖女の喪失に気づいたときにはすべてが遅かった。その命の火はすでに消えていて、残された先読みの聖女の子は私に言った。『あいつに復讐するための力を貸してくれ』と。
だが私は・・・恐ろしくなった」
「どうしてですか?」
「あの子の中にある憎しみの炎が理解できたからだ。それは、私の中にもあるものだったから」
(アストラは・・・ヒースクリフのお母さんのこと、大事に思っていたのね)
こうやって話を聞いていてわかる。私よりも遥かに長い時を生きているこのドラゴンは恐ろしいほどに口下手だ。そして恐ろしいほど自分の感情に疎い。
「私はあやつの手を取らなかった。約束を・・・守れなくなってしまうから。憎しみの炎に身を任せてしまえば文字通りこの国を焼き滅ぼしてしまう。だから、すべてを拒絶して結界を張った。私が憎しみに飲まれて人間を傷つけてしまわないように」
ドラゴンである彼にとって、いくら魔法使いといえどただの人間である王妃を殺すことは簡単だ。彼が憎しみに身を任せてしまえばこの国は簡単に滅んでしまっていただろう。
「ティアが死の眠りについた今では何の効力も持たない、ただの口約束のはずなのに」
アストラの手がそっと墓石を撫でた。まるで彼の記憶の中の人に触れるように優しい手つきで。
「・・・・あなたにとってティア様もヒースクリフのお母さんもとても大切な人だったんですね」
「・・・・大切・・」
再び言葉を反芻して呟いた。なんて不器用なのだろうか。きっとすでに答えは彼の中にある。けれどその一歩を踏みだすことができないのだ。
「アリスです」
「何?」
「私の名前、覚えておいてください。時戻りの聖女、じゃなくて名前で呼んでほしいんです」
「それは・・・」
「嫌ですか?」
「・・・・わからない。だが、少し怖い」
「どうしてですか?」
「お前たちはすぐ死ぬから」
彼の言葉にそっと息を吸い込んだ。これまで話してみて良くわかった。アストラは悲しいほどに人間に心を砕いている。だからこそ個として認識した私たちがあっという間にその命を終えてしまう現実を受け入れられず、人間や聖女というくくりで見ている。
「アストラ。私は回帰前言ったように、ヒースクリフを救います。命だけじゃない、彼が囚われているものすべてから解放してみせます。私に、力を授けてくれてありがとうございます・・・それじゃあ、おやすみなさい」
「・・・待て」
背を向けて歩き出すと小さく呼び止められた。振り返ると眉をひそめているアストラと目が合った。
「どうしたんですか?」
「お前も・・・お前たち聖女はどうしてそうまでして他者に尽くす、なぜ自分の命をかけようとする。私よりも遥かに弱く短い時しか生きられないにも関わらず」
「・・・・それが、私の見つけた生きる意味だから」
「生きる意味、だと?」
「はい。ヒースクリフに出会うまで私はただ息をしているだけの人形だったんです。両親の思うがまま生きる、都合のいいお人形。それを、彼が変えてくれた。私に、この世で最も大切なことを教えてくれたのよ。」
「大切なこと・・?」
「えぇ。誰かを愛する、ということ。愛する人のために自分にできることをする。これが私の生きる意味です」
私の言葉にアストラは初めて大きく目を見開いた。けれどすぐに眉をひそめた。
「・・・・私には、わからない」
アストラはぽつりと呟くと背を向けてしまった。もう、話すことはできないだろう。そう思って小さく別れを告げると待ってくれているヒースクリフのもとへと向かった。
「・・・・・・ティア。このようなとき、お前ならなんと答えるのだろうな・・」
残されたアストラは1人崩れかけた墓石に問いかけた。
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