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第8話:嫁の方がつええー上になんか初陣決まってしまったんだが!?

「若殿! 腰が引けておりますぞ!」


「分かってます!」


「分かっておられるなら、前へ!」


「無理です!」


 翌朝。


 俺は木槍を両手で握りながら、昨日の自分を呪っていた。


 どうして「強くなります」なんて言ってしまったんだろう。


 前言撤回したい。


 俺は弱くていい。


 弱いまま平和に生きたい。


「参りますぞ!」


「ちょ、待っ……!」


 目の前の家臣が踏み込んできた。


 木槍の先端が、俺の胸へ迫る。


「うわあっ!」


 俺は横っ飛びで逃げた。


 槍が空を切る。


「若殿!」


「危ないでしょう!」


「避けるだけでは鍛錬になりませぬ!」


「当たったら痛いじゃないですか!」


「痛くないよう加減しております!」


「信用できません!」


 俺は木槍を構え直した。


 怖い。


 木製だろうが何だろうが、長い棒を人間から突きつけられるという状況が怖い。


 前世で俺が持ったことのある武器なんて、せいぜいカッターナイフくらいだ。


 それだって段ボールを開けるためである。


「若殿、槍は敵を倒すためのものにございます」


「知ってますよ」


「ならば、もっと強く突いてくだされ!」


「でも当たったら痛いでしょう?」


「某は具足を着けております!」


「それでも痛いでしょう?」


「…………」


 家臣が何とも言えない顔になった。


「若殿」


「はい」


「もしや、某を気遣っておられますか?」


「そりゃそうですよ」


 何を当たり前のことを。


 練習相手だからって、怪我をさせていい理由にはならない。


 ところが家臣は、なぜか感動したような顔をした。


「若殿……!」


「なんでそんな顔するんです?」


「いえ! では、某も全力で若殿をお鍛えいたします!」


「待って。それは違う」


「参ります!」


「話を聞け!」


     *


 一刻ほど経った。


「……死ぬ」


 俺は庭に仰向けになっていた。


 腕が上がらない。


 足も痛い。


 全身が汗でびっしょりだ。


「若殿、まだ半刻ほどしか経っておりませぬ」


「嘘だ」


「真にございます」


「体感では三時間くらい経ってます」


「さんじかん?」


「何でもありません……」


 そうだった。


 時間の単位まで違うんだった。


 面倒くさい。


 スマホもない。


 エアコンもない。


 コンビニもない。


 おまけに朝から槍を振らされる。


 戦国時代、暮らしにくすぎるだろ。


「しかし若殿」


「……何ですか」


「以前よりも、随分と慎重になられましたな」


「慎重?」


「以前の若殿ならば、もっと勢いよく槍を振るわれておりました」


 俺は黙った。


 それは俺じゃない。


 本物の織田信長だ。


 俺は中田龍之介。


 大学生。


 喧嘩すらまともにしたことがない。


「……人に当てるのが嫌なんですよ」


「槍とは、そういうものにございます」


「知ってます」


「戦となれば、そのようなことは申しておられませぬぞ」


「だから戦をしたくないんです」


 家臣が黙った。


 昨日も同じような話をした気がする。


 俺は起き上がり、木槍を眺めた。


 これが本物なら、先には刃が付いている。


 人間の腹に刺せば血が出る。


 場合によっては死ぬ。


 俺にできるのか?


 誰かを殺すなんて。


 できるわけがない。


 でも。


 相手が俺を殺そうとしてきたら?


「……やっぱり練習します」


「おお!」


「死にたくないので」


「理由はともかく、結構!」


 俺は立ち上がった。


 木槍を構える。


 今度は逃げない。


「お願いします」


「参ります!」


 家臣が踏み込む。


 怖い。


 それでも槍を見る。


 突いてくる。


 俺は身体を横へずらした。


 かわす。


 そのまま槍を前へ。


「うおっ!」


 俺の木槍が家臣の胴に当たった。


「…………」


 当たった。


「やった!」


 初めてだ。


「今の見ました!?」


「若殿、お見事!」


「俺、才能あるかもしれませんね!」


「では、もう一度!」


「今日は終わりにしましょう」


「なぜです!?」


 一回成功した。


 いい気分のまま終わりたい。


 人間には引き際というものがある。


     *


「信長さま」


「ひっ!」


 背後から声をかけられ、俺は飛び上がった。


 振り返る。


 濃姫が立っていた。


「……濃姫」


「そのように驚かなくとも」


「急に声をかけないでくださいよ……」


「申し訳ございません」


 そう言いながら笑っている。


 最近、この人はよく笑う。


 祝言の日にはほとんど喋らなかったくせに。


「鍛錬をなさっていたのですね」


「はい。今、一回勝ちました」


「まあ」


「結構すごかったですよ」


「左様でございますか」


 濃姫は微笑みながら、地面に置かれた木槍を見る。


 そして。


 ひょい。


 何気なく拾い上げた。


「…………」


 妙に様になっている。


 嫌な予感がする。


「濃姫」


「はい?」


「槍、使えるんですか?」


「多少は」


 多少。


 この時代の人間の「多少」は信用できない。


「どれくらい?」


「人並みには」


「…………」


 戦国時代の人並みが分からない。


 濃姫が木槍を構える。


 綺麗だった。


 腰が落ちている。


 穂先もぶれない。


 さっき俺を指導していた家臣が感心したように頷いている。


 絶対強いじゃん。


「信長さま」


「はい」


「お相手いたしましょうか?」


「嫌です」


「まあ」


「絶対嫌です」


 濃姫が少し頬を膨らませた。


「私では、お嫌ですか?」


「そういう意味じゃなくて!」


 この人に負けたら立ち直れない。


 というか、普通に怖い。


 短刀だけじゃなく槍まで使えるのかよ。


「一度だけ」


「嫌です」


「信長さま」


「やりません」


「信長さま」


「…………」


 濃姫がじっと俺を見る。


 近い。


 圧が強い。


「……一回だけですよ」


「はい」


 笑顔になった。


 俺は木槍を拾った。


 向かい合う。


 濃姫が構える。


 俺も構える。


 大丈夫。


 さっき一回勝った。


 俺だって織田信長の身体なんだ。


 運動神経くらい受け継いでいるかもしれない。


「では、参ります」


「はい!」


 一歩。


 濃姫が踏み込んだ。


「え?」


 次の瞬間。


 カンッ!


 俺の木槍が宙を舞っていた。


「…………」


 落ちる。


 ころころと地面を転がる。


 俺は空になった両手を見る。


 濃姫を見る。


 家臣を見る。


 家臣は目を逸らした。


「……今の、何ですか?」


「槍を払っただけにございます」


「だけ?」


「はい」


 濃姫は嬉しそうに笑った。


「もう一度いたしますか?」


「やりません」


 即答した。


 怖い。


 この嫁、やっぱり怖い。


     *


 鍛錬を終え、俺は縁側でぐったりしていた。


 濃姫には負けた。


 でもいい。


 俺は別に天下一の武将になりたいわけじゃない。


 必要なのは、生き残れる程度の強さだ。


「……毎日やれば、少しは強くなるかな」


 槍。


 弓。


 馬。


 覚えることはいくらでもある。


 でも三十三年ある。


 ゆっくりやればいい。


 何しろ俺の目標は天下統一じゃない。


 平和に長生きすることだ。


 そのために強くなる。


 そして、できるだけ戦わない。


 完璧だ。


 そのとき。


「若殿!」


 廊下の向こうから家臣が駆けてきた。


 ものすごい勢いだ。


 嫌な予感がした。


 この世界に来てから、俺の嫌な予感はかなりの確率で当たる。


「どうしたんですか?」


 家臣が俺の前で膝をつく。


「申し上げます!」


「はい」


「領内にて争いが起きております!」


「…………」


 俺は黙った。


 聞かなかったことにしたい。


「若殿、ご出陣を!」


「…………」


「若殿?」


 俺は空を見上げた。


 朝。


 俺は初めて槍の鍛錬をした。


 昼。


 嫁に三秒で負けた。


 そして夕方。


 初陣が決まった。


「……明日じゃ駄目ですか?」


「なりませぬ!」


 ですよね。


 神様。


 俺、昨日言いましたよね。


 できるだけ戦はしないって。


 どうやらこの時代、俺の都合なんて一切聞いてくれないらしい。

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