第38話:父上から兵を預かったら責任が重すぎるんだが!?
初陣から十日ほどが過ぎた頃、俺はようやく、槍を握るたびに弥七の顔を思い出すことが少なくなっていた。
もちろん、忘れたわけではない。稽古場に響く木槍のぶつかる音や、兵たちが隊列を整える際の掛け声を聞けば、今でもあの川辺の光景が脳裏をよぎるし、夜中にふと目を覚まして、胸に矢を受けた弥七の姿を思い出すこともあった。
それでも、人間というものは不思議なもので、どれほど強烈な出来事を経験しても、朝になれば腹が減り、眠れば疲れが取れ、日々の仕事に追われているうちに、少しずつ普段の暮らしへ戻っていく。
俺もまた、朝は十衛門に槍を振らされ、昼には村々から集められた報告に目を通し、夕方には濃姫と食事を取り、夜になると戦の記録を読み返すという生活を続けていた。
ただ、一つだけ変わったことがある。
稽古の最中、以前の俺なら十衛門に打ち負かされるたびに腹を立てていたのだが、今は自分がどこで足を滑らせ、どの瞬間に相手の槍を見失ったのかを、できるだけ覚えておこうとするようになっていた。
戦場では、稽古の失敗を笑って済ませることができない。
そのことを、俺は嫌というほど思い知らされたのだ。
「若殿、足が止まっておりますぞ!」
十衛門の声が飛んだ瞬間、俺は慌てて右足を引いたが、すでに遅かった。
木槍の先が俺の肩を軽く打ち、鈍い痛みが腕まで走る。
「……痛っ!」
「今の敵が本物の槍を持っておれば、肩を貫かれております」
「分かっている!」
「分かっておられるなら、次は避けなされ」
相変わらず容赦がない。
だが、俺は以前ほど腹を立てなくなっていた。
十衛門が本気で俺を鍛えようとしていることも、稽古場で受ける痛みが戦場で命を落とすことに比べれば、取るに足らないものであることも、今なら理解できるからだ。
俺は槍を構え直し、十衛門の足元へ視線を落とした。
肩の動きばかり追っていると、相手が踏み込む瞬間を見逃してしまう。
以前の俺なら、そんなことさえ考えなかっただろう。
十衛門が半歩踏み出した。
俺は、その動きに合わせて槍を引き、相手の穂先を横へ払おうとした。
木槍がぶつかり、乾いた音が響く。
今度は、どうにか受け止めることができた。
「……よし!」
思わず声を上げた俺に、十衛門は無言で足を踏み込んできた。
次の瞬間、俺は見事に尻餅をついていた。
「……少しくらい喜ばせてくれ」
「戦場で敵が待ってくれるなら、いくらでも喜んでいただきます」
まったく、理屈ばかりは正しい男である。
*
稽古を終えた俺が汗を拭いていると、父の使いが現れた。
信秀が呼んでいるという。
何か失敗しただろうかと考えながら広間へ向かうと、そこには父のほかに勝家と数人の家臣が集まっていた。
畳の上には尾張東部の地図が広げられ、街道や川筋、村々の位置が墨で書き込まれている。
父は俺の姿を見ると、地図の手前を指した。
「信長、座れ」
「……はい」
俺は父の向かいに腰を下ろした。
地図を見ると、先日の戦で敵を退けた川辺から、さらに東へ続く街道が描かれていた。
街道は低い丘陵の間を抜け、いくつかの村を通って、今川方の勢力が及ぶ地域へと続いている。
「先日の敵について、調べが進んだ」
父はそう言って、地図の一角を指した。
「川向こうに現れた者どもは、今川方と通じる地侍の手勢らしい。ただし、今川家から直接命じられたかどうかは、まだ分からぬ」
俺は、地図に目を落とした。
あの敵たちは、ただの盗賊ではなかったのか。
「……なぜ、街道を塞いだのでしょう」
「こちらの動きを探るためか、商人から銭を取るためか。あるいは、街道を使えなくして、東の村々を不安にさせるためかもしれぬ」
父は、指先で街道をなぞった。
「敵が退いたからといって、すべて終わったわけではない。道が通れねば商いが滞り、村へ運ばれる塩や鉄、布も不足する。そうなれば、城下にも影響が出る」
俺は頷いた。
先日の戦では、敵を退けることばかり考えていた。
だが、街道を守るということは、そこを通る人々の暮らしを守ることでもあるのだ。
父は、俺を見た。
「そこで、お前に一つ仕事を任せる」
俺は顔を上げた。
「……俺に、ですか」
「ああ」
父は、地図の中央を指した。
「この街道の途中に、坂下という小さな集落がある。そこから東へ半里ほど進むと、山裾を回る道があり、荷を運ぶ者は必ずそこを通る」
俺は、地図を覗き込んだ。
坂下の周辺には小さな川が一本流れ、その北側には雑木林、南側には田畑が広がっている。
街道は、その間を縫うように続いていた。
「お前に、兵三十を預ける」
俺は、思わず顔を上げた。
「……三十人?」
「そうだ」
父は、当然のことのように答えた。
「街道の様子を確かめ、通行する荷を守れ。敵が現れれば知らせを出し、無理に戦おうとするな」
俺は、しばらく言葉を失った。
三十人。
初陣では百二十人の兵がいた。
それでも五人が死んだ。
今度は、その四分の一しかいない。
しかも、父は俺にその兵を預けると言っている。
「……父上」
「何だ」
「俺は、まだ兵を率いたことがございません」
父は、少しだけ眉を上げた。
「だから任せるのだ」
俺は、思わず口を閉じた。
「いつまでも人の後ろに立っておっては、兵を率いることなど覚えられぬ。初めから大軍を預けるわけではない。まずは三十人だ」
父は、俺をまっすぐ見た。
「ただし、勘違いするな。お前の仕事は敵を討つことではない。道を守り、荷を通し、兵を無事に帰すことだ」
俺は、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
だが、胸の奥では、別の声が叫んでいた。
三十人も預けるのか。
まだ俺は、槍をまともに使えないんだぞ。
敵が来たらどうする。
また誰かが死んだらどうする。
そんな不安が、次々と浮かんできた。
*
広間を出たあと、俺は十衛門を探した。
十衛門は、厩の近くで馬の様子を確かめていた。
俺が声をかけると、彼はすぐに振り返った。
「若殿。信秀さまから、お話はございましたか」
「……ああ」
俺は、少し間を置いた。
「兵三十を預かることになった」
十衛門は、静かに頷いた。
「左様でございますか」
「……驚かないのか」
「いずれ、そのようなお役目を任されるとは思っておりました」
俺は、思わずため息をついた。
「……俺は、驚いた」
十衛門は、少しだけ笑った。
「若殿は、まだご自分が兵を率いる立場にあることを、十分には実感なさっておられぬようですな」
「……実感はある。ただ、責任が重い」
俺は、厩の柱にもたれかかった。
「三十人ということは、その三十人にも家族がいるんだろう」
十衛門は、黙っていた。
「妻がいる者も、子どもがいる者も、親を養っている者もいる。……俺の判断一つで、その家族の暮らしが変わるかもしれない」
俺は、弥七の顔を思い出した。
あの男も、最初は三十人のうちの一人のような存在だったのだろう。
名を知らなければ、ただの兵の一人として数えられていたかもしれない。
だが、彼には妻と娘がいた。
笑う顔があり、帰る家があった。
「……十衛門」
「はっ」
「俺は、三十人を死なせずに帰したい」
十衛門は、しばらく俺を見つめた。
そして、静かに答えた。
「そのお気持ちは、大切にされませ」
俺は、顔を上げた。
「……だが?」
十衛門は、少しだけ眉を動かした。
「よくお分かりでございますな」
俺は、苦笑した。
この男が素直に褒めて終わるはずがない。
「ただし、若殿。三十人を死なせぬことだけを考えておられれば、務めを果たせぬこともございます」
俺は、黙って聞いていた。
「敵が街道を塞いでも、兵を危険にさらしたくないからと退いてばかりおれば、商人は通れませぬ。村々も困りましょう」
「……ああ」
「反対に、敵を退けることばかり考えれば、無駄な戦を招きます」
十衛門は、俺を見た。
「若殿のお役目は、兵を守ることと、道を守ること。その両方にございます」
俺は、ゆっくりと頷いた。
簡単に言うが、実際には難しい。
兵を守ろうとすれば、敵と戦わずに済ませたくなる。
だが、戦わなければ守れないものもある。
その判断を、今度は俺がしなければならないのだ。
*
翌朝、俺は預けられた三十人の兵と顔を合わせた。
城の外にある広い空き地に、槍を持った男たちが整列している。
年齢はさまざまだった。
まだ少年の面影を残した若者もいれば、髭に白いものが混じった男もいる。
鎧も揃っておらず、鉄の胴丸を着た者の隣に、厚い布を重ねただけの者が立っていた。
それでも、全員が槍や刀を携え、こちらへ向かって頭を下げた。
俺は、その光景を見つめていた。
三十人。
数字だけなら、たいした数ではないように思える。
だが、こうして一人ずつ顔を見ると、まったく違って感じられた。
彼らには、それぞれの人生がある。
それを、俺が預かるのだ。
「……顔を上げてくれ」
俺が言うと、兵たちは顔を上げた。
俺は、少し緊張しながら続けた。
「今回、俺は父上から街道を守る役目を命じられた。お前たちには、そのために力を貸してもらいたい」
兵たちは、黙って聞いていた。
「……俺は、まだ戦に慣れていない。だから、分からないことも多いと思う」
十衛門が、わずかに眉を動かした。
若殿が兵の前でそんなことを言ってよいのか、と考えているのかもしれない。
だが、俺は続けた。
「それでも、勝手な判断でお前たちを危険にさらすつもりはない。敵が現れたら、まず状況を確かめる。無理に追いかけることもしない」
俺は、一人ずつ顔を見た。
「……必ず全員を無事に帰せるとは、言えない」
弥七の顔が、頭に浮かんだ。
俺は、一度だけ息を吸った。
「だが、一人でも多く生きて帰れるように、俺も考える。……だから、お前たちも、気づいたことがあれば遠慮なく知らせてほしい」
しばらく沈黙があった。
やがて、年配の兵が一歩前へ出た。
「若殿」
「……何だ」
「我らは、若殿の命に従います。ですが、戦場では迷っておられる暇がないこともございます」
俺は頷いた。
「……分かっている」
「そのときは、どうか我らを信じてくだされ」
俺は、少し驚いた。
男は、真剣な顔をしていた。
「若殿がすべてをお決めになる必要はございませぬ。我らにも、これまでの戦で学んだことがございます」
俺は、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
「……ありがとう」
俺は、深く頷いた。
「頼りにしている」
男は、満足そうに頭を下げた。
その様子を見ていた十衛門が、少しだけ口元を緩めた。
*
兵たちとの顔合わせを終えると、俺は十衛門とともに地図を広げた。
今回守るべき街道は、城から東へ続く道の途中にあり、坂下という集落の近くで小さな川を渡る。
その先は低い丘陵に挟まれ、荷を積んだ馬がすれ違うのも難しいほど道が狭くなるらしい。
俺は、地図を指でなぞった。
「……ここが、坂下か」
「はい」
「川の橋は、一つだけなのか」
「街道に架かる橋は一つにございます。ただし、少し上流には浅瀬があり、徒歩なら渡れる場所もございます」
俺は、顔を上げた。
「……それは、敵も渡れるということか」
「左様にございます」
十衛門は頷いた。
「橋だけを守っておれば、上流から回り込まれるやもしれませぬ」
俺は、先日の戦を思い出した。
川向こうの敵に気を取られ、右手の林から伏兵が現れた。
あのとき、たまたま枝の揺れに気づかなければ、荷駄を奪われていたかもしれない。
「……では、橋と浅瀬の両方を見張らなければならないな」
「はい」
「だが、三十人しかいない」
俺は、地図を見つめた。
橋を守る兵。
浅瀬を見張る兵。
荷駄を守る兵。
連絡に走る者。
休ませる者。
すべてに人を割けば、すぐに足りなくなる。
「……十衛門」
「はっ」
「兵を何人ずつ置けばよいと思う」
十衛門は、少しだけ目を細めた。
「若殿は、どうお考えですか」
また、それか。
この男は、すぐに答えを教えてくれない。
俺は、地図を見つめながら考えた。
「……まず、橋の近くに十人。上流の浅瀬を見張る者を五人。残り十五人を、荷駄と街道の守りに回す」
十衛門は、黙って聞いていた。
「……どうだ」
「悪くはございませぬ」
俺は、少し安心した。
だが、十衛門は続けた。
「ただし、浅瀬の五人が敵に襲われたとき、橋の十人はすぐに助けに行けましょうか」
俺は、地図を見た。
浅瀬と橋の間には、雑木林がある。
道も曲がっている。
互いの姿が見えないかもしれない。
「……難しいな」
「左様にございます」
十衛門は、地図の中央を指した。
「ならば、見張りは少人数にして、敵を見つけたらすぐに知らせるようにいたします。戦うためではなく、見つけるために置くのです」
俺は、なるほどと思った。
見張りの役目は、敵を倒すことではない。
敵を見つけ、知らせることだ。
そう考えれば、兵の使い方も変わってくる。
「……では、浅瀬には二人ずつ交代で見張りを置く。橋にも見張りを置き、残りは街道の近くにまとめておく」
十衛門は頷いた。
「それならば、敵が現れても兵を集めやすうございます」
俺は、少しだけ嬉しくなった。
初めて、自分で兵の配置を考えられた気がした。
だが、同時に、その配置が間違っていれば誰かが死ぬのだということも、忘れてはいなかった。
*
出立の日、濃姫は門の近くまで見送りに来ていた。
朝の空気はまだ冷たく、庭の木々には露が残っている。
濃姫は薄い色の小袖をまとい、髪をきちんと結い上げていた。
俺が近づくと、彼女は静かに頭を下げた。
「……信長さま」
「……行ってくる」
濃姫は、俺の顔を見つめた。
「今度は、兵をお預かりになると伺いました」
「ああ。三十人だ」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……正直、怖い」
濃姫は、驚かなかった。
「そうでございましょうね」
俺は、思わず顔を上げた。
「……分かるのか」
「はい。ご自分の命だけでなく、ほかの方々の命も預かるのでございますから」
濃姫は、俺の手を取った。
槍の稽古でできた水膨れは、ほとんど治っていた。
だが、まだ少し硬くなった皮膚が残っている。
「信長さま」
「……何だ」
「どうか、一人で何もかも背負おうとなさらないでくださいませ」
俺は、黙っていた。
「十衛門どのも、兵の方々も、おられるのでしょう」
「……ああ」
「ならば、その方々のお力を借りてくださいませ」
濃姫は、静かに微笑んだ。
「人を率いるというのは、すべてをご自分でなさることではないと思います」
俺は、その言葉を胸の中で繰り返した。
人を率いる。
それは、自分が一番強くなることでも、一番賢くなることでもない。
周りの人間の力を借りながら、進むべき道を決めることなのかもしれない。
「……ありがとう」
俺は、濃姫の手を握り返した。
「……行ってくる」
濃姫は、静かに頭を下げた。
「ご無事のお帰りを、お待ちしております」
*
城を出た俺たちは、東へ向かって街道を進んだ。
兵は三十人。
槍を持つ者が中心で、弓を扱える者も数人いる。
荷駄には数日分の兵糧と矢、予備の草鞋などを積み、馬を引く者が列の後ろについていた。
俺は、馬の上から兵たちを見渡した。
初陣のときと違い、今度は俺が先頭に近い位置を進んでいる。
十衛門は、少し後ろから全体を見ていた。
俺は、何度も振り返ってしまった。
兵の列が乱れていないか。
荷駄が遅れていないか。
誰かが疲れていないか。
気になることが、次々と目に入ってくる。
「……若殿」
十衛門が馬を寄せてきた。
「少し、後ろを気にしすぎにございます」
「……だが、俺が見ていないと」
「兵の列を整える者もおります。若殿は、前もご覧くだされ」
俺は、思わず苦笑した。
確かに、後ろばかり見ていて敵に気づかなければ、何の意味もない。
「……分かった」
俺は、前を向いた。
街道は、緩やかな坂を上っている。
道の両脇には雑木林が広がり、木々の間から鳥の声が聞こえていた。
風が吹くたび、若葉が揺れる。
穏やかな春の景色だった。
だが、俺はもう、その穏やかさを無条件には信じられなかった。
林の中には、人が隠れられる。
曲がり角の向こうには、敵がいるかもしれない。
道が狭くなれば、兵の列は長く伸びる。
俺は、そうしたことを一つずつ確かめながら進んだ。
*
坂下の集落へ着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
集落は、低い丘の麓に広がっていた。
家は十数軒ほどで、街道沿いには小さな茶屋のような建物が一つある。
その先には、木造の橋が架かっていた。
橋の下を流れる川は、それほど大きくない。
だが、両岸には葦が生い茂り、上流へ向かうにつれて林が深くなっている。
俺は馬を降り、橋の上から川を見下ろした。
水は澄んでいる。
川底には石が多く、流れは場所によって速さが違う。
橋の下流は少し深そうだったが、上流には浅い場所があるという。
「……十衛門」
「はっ」
「まず、上流の浅瀬を確かめたい」
十衛門は頷いた。
「よろしゅうございます」
俺は、兵を数人連れて上流へ向かった。
川沿いの道は細く、草が膝のあたりまで伸びていた。
木々の枝が低く垂れ、ところどころで視界を遮っている。
しばらく歩くと、川幅が少し広がり、水深の浅い場所が見えてきた。
石が多く、足場は悪そうだが、歩いて渡れないことはない。
俺は、川岸に立って周囲を見渡した。
向こう岸には雑木林がある。
こちら側にも、背の高い草が生い茂っている。
もし、敵がここを渡ってきたら。
橋を守る兵の背後へ回り込むこともできるだろう。
「……ここは、見張りが必要だな」
俺が言うと、十衛門は頷いた。
「左様にございます」
「だが、見張りの兵を多く置けば、橋の守りが薄くなる」
俺は、しばらく考えた。
「……二人ずつ交代で見張らせよう。敵を見つけたら、無理に戦わず、すぐに知らせるようにする」
十衛門は、少しだけ目を細めた。
「よろしいかと存じます」
俺は、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
だが、すぐに気を引き締めた。
これは、ただの稽古ではない。
俺の判断が、そのまま兵たちの動きになる。
そして、その判断を誤れば、誰かが死ぬ。
*
夕方までに、俺たちは街道の近くに小さな陣を設けた。
橋のそばには見張りを置き、上流の浅瀬にも二人ずつ交代で兵を立たせた。
残りの兵は、街道沿いの少し高くなった場所に集め、荷駄を守りながら休ませることにした。
俺は、兵たちが動く様子を見つめていた。
命令を出す。
兵が動く。
その結果、陣の形が少しずつ整っていく。
それは、今まで経験したことのない感覚だった。
俺が考えたことが、現実の人間の動きになる。
そのことが、嬉しくもあり、恐ろしくもあった。
十衛門が、隣へ来た。
「……若殿」
「何だ」
「初めてにしては、よくお考えになられましたな」
俺は、思わず顔を上げた。
「……褒めているのか」
「はい」
「……珍しいな」
十衛門は、少しだけ笑った。
「ただし、まだ始まったばかりにございます」
俺は、ため息をついた。
やはり、最後はそうなるのか。
「……分かっている」
俺は、陣の向こうに広がる街道を見つめた。
夕暮れの陽光が、道を赤く染めている。
遠くから、荷を積んだ馬の鈴の音が聞こえた。
商人たちが、街道を通ってくるのだろう。
俺たちは、その道を守るためにここへ来た。
兵三十人。
その一人一人に、帰る家がある。
俺は、深く息を吸った。
弥七の顔が、頭に浮かんだ。
必ず帰れ。
あのとき、俺はそう言った。
だが、今は簡単にその言葉を口にすることができない。
代わりに、俺は兵たちの背中を見つめながら、心の中で願った。
どうか、一人でも多く、生きて帰ってくれ。
そして、そのために俺ができることを、できる限り考えよう。
夕暮れの街道を、冷たい風が吹き抜けた。
俺は、槍を握り直した。
今度は、俺が兵を預かる番だった。




