第3話: 濃姫と結婚したら、初夜に短刀を突きつけられたんだが!?
第3話:濃姫と結婚したら、初夜に短刀を突きつけられたんだが!?
目が覚めた。
まず、首に手を当てる。
「……ある」
右に回す。左に回す。ちゃんと動く。
「生きてる……!」
俺は布団から飛び起きた。
三度目だ。
一度目は本能寺で森蘭丸に首を斬られた。二度目は徳川家康を食中毒で死なせ、その責任を取らされて処刑された。
思い出すだけで背筋が寒くなる。
特に二度目はひどかった。明智光秀の機嫌を損ねないようにしただけなのに、まさか家康が死ぬとは。
歴史を変えるのは、こんなに難しいのか。
「……今度は何年だ?」
俺は周囲を見渡した。
前回の安土城とは違う。部屋は広いが、調度品はずいぶん質素だ。金屏風もない。
「若殿! お目覚めでございますか!」
襖の向こうから、男の声がした。
「は、はい!」
「本日は大切な祝言の日にございます。お支度をお願いいたします!」
「……祝言?」
「美濃の斎藤道三殿のご息女、帰蝶様とのご婚姻にございます!」
俺は固まった。
帰蝶。斎藤道三。婚姻。
「ちょっと待ってください。今は何年ですか?」
「天文十八年にございますが……」
天文十八年。一五四九年。
本能寺の変は一五八二年だから――。
「三十三年前!?」
「わ、若殿!?」
俺は慌てて立ち上がった。
手が若い。前回までの信長は四十代だったが、今の手には皺もほとんどない。部屋の隅にあった鏡を覗くと、十代半ばの少年が映っていた。
「……若い」
今度は、本能寺の変まで三十年以上ある。
それだけあれば、何だってできる。
「今度こそ……!」
考えてみれば、史実の織田信長は相当無茶苦茶な人物だった。比叡山を焼き討ちにしたり、家臣を厳しく叱責したり、戦ばかりしたり。
だから、恨まれて殺されたんじゃないか。
だったら話は簡単だ。俺はそんなことをしなければいい。
家臣には優しく。民には親切に。戦はできるだけ避ける。
そして何より、明智光秀には絶対に怒らない。
品行方正な名君になれば、本能寺の変なんて起こらないはずだ!
「よし!」
俺は晴れ晴れとした気分で頷いた。
今度こそ、平和な人生を送ってやる。
もっとも、その日のうちに俺の決意は試されることになる。
*
祝言の儀式は、想像以上に厳かだった。
慣れない装束を着せられ、大勢の家臣に囲まれて座る。正直、何をすればいいのかさっぱり分からない。
周囲の指示に従っているうちに、どうにか儀式は進んでいった。
そして、ついに花嫁が現れた。
「……えっ」
思わず声が漏れた。
美人だった。
艶やかな黒髪に、白い肌。整った鼻筋に、涼しげな目元。まるで時代劇のお姫様そのものだ。
いや、実際にお姫様なのだが。
これが帰蝶。斎藤道三の娘で、織田信長の正室――濃姫だ。
「……すご」
思わず見とれてしまった。
こんな美人と結婚できるなんて、織田信長ってすごいな。
いや、今は俺が織田信長なんだけど。
しかし、濃姫が顔を上げた瞬間、俺の感動は急速にしぼんだ。
目が合った。
切れ長の目。きりっとした眉。人を寄せつけないような雰囲気。
……誰かに似ている。
あ。
中学時代、俺をいじめていた女子だ。
あいつも、こんな目をしていた。俺が何か言うたび、馬鹿にしたように笑っていた。名前を呼ばれるだけで嫌な予感がしたものだ。
もちろん、濃姫はその女子とは別人だ。顔だって、よく見れば全然違う。
それでも、雰囲気が似ている。
それだけで、胃がきゅっと縮んだ。
「……よ、よろしくお願いします」
俺は小声で挨拶した。
濃姫は黙っていた。
「…………」
「…………」
聞こえなかったのだろうか。
「あの、これからよろしくお願いします……」
もう一度言ってみる。
濃姫はちらりと俺を見た。そして、静かに目を伏せた。
返事はない。
……怖っ。
何この人。めちゃくちゃ怖いんだけど。
怒ってるのか? 俺、何かしたか? まだ何もしてないよな?
いや、そもそも政略結婚だ。相手だって、好きで嫁いできたわけじゃないだろう。きっと不機嫌なんだ。そうに違いない。
俺はそれ以上話しかけるのをやめた。
こういうときは、余計なことを言わないのが一番だ。
中学時代に学んだ、数少ない処世術だった。
*
そして夜。
俺は寝所で一人、正座していた。
「…………」
どうしよう。
結婚した。ということは、当然その先がある。いわゆる初夜というやつだ。
……無理じゃないか?
だって俺は童貞だ。大学生になるまで彼女ができたこともない。女子と二人きりで話した経験すら、ほとんどない。
そんな俺が、いきなり戦国時代のお姫様と夜を過ごす?
難易度が高すぎる。
しかも相手は、あの濃姫だ。
美人なのは認める。とんでもなく美人だ。
でも、怖い。
さっきから一度も笑ってくれないし、話しかけても返事がない。何を考えているのか、全然分からない。
「……初めては、好きな人がいいんだけどな」
俺は膝を抱えた。
昔から、そう思っていた。
好きな人と付き合って、何度もデートして、手をつないで。それから自然な流れで――。
そういうのに憧れていたのだ。
なのに、いきなり結婚。しかも今日が初対面。
何なんだ、この時代。恋愛の過程を全部すっ飛ばしているじゃないか。
「……今日は、何とか延期してもらおう」
体調が悪いとか、疲れているとか。理由をつければいい。
幸い、俺は織田信長だ。一応、この家で一番偉い人のはず。初夜を延期するくらい許されるだろう。
そう考えたところで、廊下から足音が聞こえてきた。
「姫様、お支度が整いました」
心臓が跳ねる。
来た。
襖が静かに開いた。
湯浴みを終えた濃姫が、寝間着姿で入ってくる。昼間より一層美しく見えた。濡れた黒髪が肩にかかっている。
思わず見とれてしまう。
いやいや。落ち着け。美人だからって、好きになれるとは限らない。大事なのは中身だ。
……まだ一言も、まともに話していないけど。
濃姫は俺の前に座った。
「…………」
「…………」
沈黙が寝所に落ちる。
「あ、あの……」
俺が勇気を振り絞った、そのときだった。
濃姫が懐に手を入れた。
何だろう。贈り物か、手紙か。結婚の記念品だろうか。
少しだけ身を乗り出した俺の目に、銀色の刃が映った。
「…………」
短刀だった。
「……え?」
「父より持たされました」
濃姫は淡々と言った。
「夫となるお方が、噂に違わぬうつけ者であれば、これで刺せと」
俺は短刀を見つめた。
濃姫を見た。
もう一度、短刀を見た。
刺す?
誰を?
俺を?
「ですが、私は――」
「し、失礼しますッ!」
俺は立ち上がった。
濃姫が目を見開く。
「若殿?」
「ちょっと用事を思い出しました!」
「このような夜更けに?」
「はい! 急用です!」
俺は襖を開け放ち、寝所を飛び出した。
後ろから濃姫の声が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。
待てるか!
短刀を持った嫁がいる寝所に戻れるわけがない!
また殺される!
俺は今までに二度も首を斬られているのだ。三度目まで初夜で終わらせてたまるか。
廊下を全力で走る。途中、何人かの使用人とすれ違った。
「若殿、いかがなされました!?」
「何でもないです!」
何でもなくない。全然何でもなくない。
俺は庭へ飛び出し、そのまま屋敷の裏手へ向かった。
とにかく隠れなければ。濃姫が短刀を持って追いかけてくるかもしれない。
……怖すぎる。
敷地の隅に、小さな建物が見えた。納屋だ。
俺は迷わず中へ飛び込み、戸を閉めた。薪や農具が雑然と置かれ、隅には藁が積まれている。
「……ここなら」
誰も来ないだろう。
俺は藁の山に身を沈めた。
暗い。少し寒い。変な匂いもする。
でも、短刀を持った嫁はいない。
「……はあ」
今日は本当に疲れた。
朝起きたら三十三年前に戻っていて、突然結婚することになって、美人の嫁をもらったと思ったら、初夜に短刀を見せられた。
いや、濃姫は何か言いかけていた。もしかすると、短刀は見せただけで、俺を刺すつもりはなかったのかもしれない。
でも、あんなものを見せられて平気でいられるわけがない。
「……明日、謝ろう」
朝になったら濃姫に謝って、ちゃんと話をしよう。
短刀は持たずに。
俺は藁を引き寄せ、体にかけた。思ったより暖かい。
「……おやすみなさい」
誰に言うでもなくつぶやいて、目を閉じた。
*
「若殿……?」
朝、遠くから声が聞こえた。
「若殿! このようなところにおいででしたか!」
戸が開き、朝日が差し込む。
俺は藁を肩にかけたまま、眠い目をこすった。
「……ん?」
目の前には、薪を取りに来たらしい使用人が立っていた。
「…………」
「…………」
使用人は俺を見ている。俺も使用人を見ていた。
「若殿は、なぜ納屋でお休みになっておられるので?」
何と答えればいい。
――嫁が短刀を出したので、怖くて逃げてきました。
そんなこと、言えるわけがなかった。




