第2話:明智光秀に優しくしたら、徳川家康が死んだんだが!?
第2話:明智光秀に優しくしたら、徳川家康が死んだんだが!?
目が覚めた。
真っ先に首に手を当てる。
「……ある」
右に回す。左に回す。痛みはない。血も出ていない。
「生きてる……!」
本能寺で明智光秀に攻められ、森蘭丸に首を斬られた。あのときのことは、今もはっきり覚えている。
なのに俺は、豪華な屏風に囲まれた部屋で目覚めていた。
「殿、お目覚めでございますか」
襖の向こうから声がする。
「はい!」
「本日は徳川殿をお迎えする大切な日。お支度をお願いいたします」
「徳川殿……徳川家康?」
「左様にございます」
俺は布団の上で固まった。
「ここはどこですか?」
「安土城にございます」
「今日は何年の何月何日ですか?」
「天正十年五月十五日にございますが……」
一五八二年。
本能寺の変が起きる年だ。変が起きるのは六月二日。まだ間に合う。
「……死ぬ前に戻ったのか」
理由は分からない。だが、俺は本能寺の変より前に戻ってきたらしい。
今度こそ、生き延びてやる。
歴史を知っている俺には、未来を変えるアドバンテージがある。
……まあ、日本史の成績は三だったけど。
それでも、本能寺の変くらいは知っている。明智光秀が謀反を起こす。光秀が謀反を起こさなければ、俺は死なない。
「そういえば……」
徳川家康。安土城。宴。魚。
昔、テレビの歴史番組で見た話が頭に浮かんだ。
家康をもてなすために用意した魚が傷んでいて、それを知った信長が光秀を激しく叱った。その屈辱が、謀反の一因になったのではないか――という説だ。
もちろん、歴史学者でもない俺には真偽は分からない。
だが、これを知っているなら対策はできる。
光秀が魚を傷ませる。信長が怒る。光秀が謀反を起こす。
なら、光秀を怒らせなければいい。
「魚のことで、絶対に光秀を叱らない」
これで本能寺の変は回避できる。
俺は、完璧な作戦を思いついたと思った。
*
昼過ぎ、明智光秀が俺の前にやってきた。
「此度の饗応役を仰せつかり、恐悦至極に存じます」
光秀が深々と頭を下げる。Fランに指定校推薦で行った真面目さだけが取り柄の俺には難しい言葉はさっぱり分からない。
でも、この男があと半月ほどで俺を殺す。
そう思うと、背筋が冷たくなった。
「光秀さん!」
「……は?」
「あ、いや。光秀、いつもご苦労!」
「はっ」
「本当に助かってるよ。光秀は優秀だなあ!」
光秀は怪訝そうに顔を上げた。
「何か不満があったら、遠慮なく言ってくれ!」
「…………」
まずは機嫌を取る。これで少しは謀反の可能性が下がったはずだ。
「ところで、本日の料理についてでございますが」
「うん!」
「徳川殿をお迎えするため、魚介を中心に用意いたしました。ただ、一部の魚に傷みが見られるとの報告がございます」
来た。問題の魚だ。
ここで俺が怒れば、歴史の再現になってしまう。
「問題ない!」
「……は?」
「そのまま出してくれ!」
光秀は目を見開いた。
「しかし、殿。傷んだ魚でございます。徳川殿に何かあっては……」
何かあっては。
その言葉に、一瞬だけ不安がよぎった。
だが、俺が心配すべきなのは光秀の機嫌だ。ここで料理を差し替えろと言ったら、光秀は自分の手落ちを責められたと思うかもしれない。
「大丈夫だ。光秀の判断を信じている」
「傷んだ魚も、でございますか?」
「もちろん!」
俺は笑顔で頷いた。
「光秀に任せる!」
光秀は、何か言いたげな顔をした。
それでも最後には、深く頭を下げる。
「……承知いたしました」
よし。
これで光秀を怒らせずに済んだ。
*
宴は盛大に始まった。
「信長公、このたびは過分なるおもてなし、痛み入ります」
「いえいえ。どうぞ、たくさん召し上がってください!」
家康は落ち着いた様子で膳に向き合っていた。
刺身に焼き魚、煮物。豪華な料理が並んでいる。
家康が魚を一口食べた。
「……む」
箸が止まる。
俺の背中に冷や汗が流れた。
「いかがですか?」
「少々、風味が変わっておりますな」
やっぱり気づいた。
俺は緊張したが、家康は「せっかくのおもてなし」と言って、もう一口箸をつけた。
偉い。俺なら絶対に残している。
宴は、そのまま終わった。
光秀は怒られていない。家康も、ひとまず無事に帰っていった。
「……勝った」
自室に戻った俺は、畳に寝転がった。
光秀を怒らせず、家康にも満足してもらった。本能寺の変は、これで回避できたはずだ。
あとは天下を統一して、平和に暮らせばいい。
何だ。戦国時代って、意外と簡単じゃないか。
*
翌朝、襖が勢いよく開いた。
「殿! 一大事にございます!」
「な、何だよ!」
「徳川殿が昨夜より激しく腹を下され……今朝、息を引き取られました!」
「……え?」
「昨夜の饗応に出された魚が原因ではないかと」
俺は天井を見つめた。
傷んだ魚を食べたら、人は具合が悪くなる。
小学生でも分かることだ。
なのに俺は、光秀の機嫌を取ることしか考えていなかった。
そこへ、光秀が駆け込んできた。
「殿! 某は魚が傷んでいると、確かに申し上げましたぞ!」
「はい……」
「それを、そのまま出せと仰せになった!」
「……はい」
「しかも、某の判断に任せると!」
「すみません……」
「なぜ謝られるのです!」
どうして、と言われても。謝るしかないだろ。
事態は、あっという間に広まった。
徳川家康が安土城で死んだ。信長は魚が傷んでいると知りながら、家康に食べさせた。
毒殺を疑う者まで出て、徳川家臣団は激怒した。
「違うんです! 殺すつもりなんてなかったんです!」
誰も信じてくれなかった。
そりゃそうだ。俺だって、そんな言い訳をされたら信じない。
数日後、俺は重臣たちに取り囲まれていた。
「殿。このままでは徳川との同盟が崩れ、諸国に大乱が起こりましょう」
「……はい」
「この事態を収めるには、殿に責任をお取りいただくほかございませぬ」
差し出されたのは、一振りの短刀だった。
「…………」
またこれか。
前回と同じ。腹を切れということだ。
「待ってください! 悪気はなかったんです!」
「殿!」
「光秀が怒ると思ったから!」
「何を仰せです!」
「だって、光秀が怒ったら本能寺の変が……」
しまった。
重臣たちの顔が、一斉に険しくなる。
未来のことを説明できるわけがない。
「殿は、いささかご乱心のご様子」
「乱心してません!」
「ならば、ご決断を」
俺は短刀を見つめた。
せっかくやり直せたのに。また死ぬのか。
「……嫌です」
声が震えた。
「俺、まだ死にたくないです……」
誰も助けてくれなかった。
結局、俺は腹を切ることもできず、重臣たちの命で首を落とされた。
痛みは一瞬だった。
ただ、前回よりずっと怖かった。
意識が途切れる直前、俺は心の底から思った。
腐った魚は、絶対に出しちゃ駄目だ。
こうして俺の二度目の織田信長人生は幕を閉じた。
享年四十九。
死因は、食中毒をきっかけにした政治的失脚。
ちなみに、俺自身は魚を一口も食べていない。
納得がいかない。
まったくもって、納得がいかないのである。
*
「若殿。お目覚めください」
暗闇の向こうから、誰かの声が聞こえた。
「本日は、祝言の日にございます」
祝言?




