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第1話:織田信長になった俺、開始時点で死亡確定なんだが!?

第一話 織田信長になった俺、開始時点で死亡確定


 熱い。


 目を開けた瞬間、鼻を突いたのは焦げ臭い煙だった。


「殿! お目覚めになられましたか!」


 知らない男が、血相を変えて俺を覗き込んでいる。


「す、すみません!」


 反射的に謝ると、男は怪訝そうな顔をした。


「殿、何を仰せにございます! 明智勢が攻めて参りましたぞ!」


「明智……?」


「光秀が謀反を起こしたのでございます!」


 明智光秀。


 その名前には覚えがある。歴史の教科書に載っていた、あの明智光秀だろうか。


「ここはどこですか?」


「本能寺にございます!」


 畳の部屋。障子。見慣れない調度品。


 そして、廊下の向こうから聞こえる怒号と金属音。


 どう考えても、大学の講義室じゃない。


「殿! お早くお支度を!」


「ちょっと待ってください。殿って、誰ですか?」


「何を仰せです! 織田信長公にございましょう!」


 俺は黙った。


 織田信長。


 天下統一を目前にしながら、明智光秀の謀反によって本能寺で命を落とした戦国武将。


 そして今、その本能寺が燃えている。


「……俺、織田信長なんですか?」


「左様にございます!」


「明智光秀が攻めてきている?」


「先ほどからそう申し上げております!」


 待て。


 昨日まで、俺は普通の大学生だったはずだ。


 講義を終えて、コンビニで弁当を買って、アパートに帰った。その先の記憶がない。


 なのに今は、織田信長として本能寺の変の真っ最中。


「逃げましょう!」


「すでに寺の周囲は明智勢に囲まれております!」


「裏口は?」


「敵兵がおります!」


「地下通路とか!」


「そのようなものはございませぬ!」


 天下人なのに、非常口もないのかよ!


 廊下の向こうで、誰かが叫んだ。


「敵が門を破りました!」


「ひいいっ!」


 男が刀を差し出してくる。


「殿、これを!」


「刀なんて持ったことありません!」


「殿!」


 包丁だって料理の実習で使ったくらいだ。いきなり戦えと言われても無理に決まっている。


「我らが敵を食い止めますゆえ、殿は奥へ!」


 男はそう言うと、刀を手に走り去った。


 俺は一人、取り残された。


 遠くから悲鳴が聞こえる。何かが倒れる音。火の爆ぜる音。


 冗談じゃない。


 俺は織田信長になりたかったわけじゃない。戦国武将なんて、ゲームの中だけで十分だ。


 普通に大学を卒業して、普通に就職して、できれば彼女だって欲しかった。


「殿!」


 若い男が駆け込んできた。


 少年の面影が残る、整った顔立ち。森蘭丸――歴史で聞いた名前が、すぐに浮かんだ。


「蘭丸にございます! こちらへ!」


「森蘭丸さんですか?」


「……さん?」


「いえ、何でもありません!」


 蘭丸に手を引かれ、俺は廊下を走った。


 庭の向こうには、武装した男たちが見える。槍を手にした兵。刀を振るう兵。そして、畳に広がる赤い色。


「うっ……!」


 胃の中身がせり上がってくる。


「殿、お気を確かに!」


「無理です……! 俺、こういうの本当に駄目で……!」


 蘭丸が困った顔をした。


 そりゃそうだろう。天下の織田信長が、血を見て吐きそうになっているのだから。


 けれど、怖いものは怖い。死ぬのは嫌だ。


 俺たちは奥の一室にたどり着いた。蘭丸が襖を閉める。


「殿。もはや、これまでにございます」


「……え?」


「敵は間近に迫っております。どうか、ご自害を」


 蘭丸が短刀を差し出した。


 腹を切る。切腹。


 知識としては知っている。武士が責任を取るときに行う、あれだ。


「……これで?」


「はい」


「何をするんですか?」


「腹を、お召しください」


 俺は短刀を受け取った。刃が鋭く光る。


 着物の上から、そっと腹に当ててみる。


 無理だ。


 こんなもの、刺せるわけがない。


「……すみません」


「殿?」


「俺には、できません……」


 情けない。自分でも分かっている。


 それでも、手が震えて止まらなかった。


「死にたくないんです」


 目から涙がこぼれた。


「まだ二十歳そこそこなんですよ。彼女だってできたことないし……こんなところで死ぬのは嫌です」


 廊下の足音が近づいてくる。


 蘭丸は俺の前に膝をついた。


「殿。どうか、お顔をお上げください」


 恐る恐る顔を上げると、蘭丸は穏やかな表情をしていた。


「お苦しみにならずとも、よろしゅうございます。この蘭丸がお手伝いいたします」


 怒鳴らない。責めもしない。


 ただ、俺が怖がっていることを分かってくれている。


「……本当ですか?」


「はい」


「痛くないですか?」


「できる限り、お苦しみのないようにいたします」


 蘭丸は刀を抜いた。


 俺はようやく、その言葉の意味を理解した。


 この人が、俺を殺してくれるのか。


 不思議なことに、さっきほど怖くはなかった。


 蘭丸が俺の肩に手を置く。


「殿。どうか、お目をお閉じください」


「……はい」


 こんなふうに優しくされたのは、いつ以来だろう。


「蘭丸さん」


「はい」


「ありがとうございます」


 蘭丸が、小さく息を呑んだ。


「もったいなきお言葉にございます」


 ひゅっ、と風を切る音がした。


 痛みはなかった。本当に、一瞬だった。


 最後に思ったのは、ただ一つ。


 人生で初めて優しくしてくれた人に、殺されるってどういうことだよ。


 こうして俺の、織田信長としての人生は幕を閉じた。


 享年四十九。


 ただし、中身は童貞の大学生。天下統一どころか、刀を一度も振ることなく終わった。


 ――そう思った次の瞬間。

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