第24話:好きな女が縁談を断ったというので会いに行ったら、相手の母親からガチ説教されたんだが!?
吉乃が縁談を断った。
その知らせを聞いてから、俺はずっと落ち着かなかった。
「……どうしてだろう」
「若殿」
「はい」
「それを確かめに行かれるのは、結構でございます」
「……はい」
「ですが、くれぐれも娘に余計な期待を抱かせませぬよう」
「…………」
家臣の言葉が胸に刺さった。
余計な期待。
そうだ。
俺は吉乃に好きだと告白した。
側室になってほしいとも頼んだ。
でも、吉乃は断った。
普通の妻になりたいから。
それなのに俺が何度も会いに行ったら、どうなる?
吉乃は、俺を忘れられなくなるかもしれない。
「……分かってます」
俺は小さく答えた。
「本当に分かっておられますか?」
「……たぶん」
「若殿!」
「分かってますって!」
いや、分かってないかもしれない。
俺自身、何が正しいのか分からない。
ただ。
吉乃に会いたかった。
*
村へ着くと、いつもの井戸が見えた。
最初に吉乃と出会った場所だ。
あの日、俺は水汲みを手伝おうとして失敗した。
吉乃は笑ってくれた。
俺が織田信長だと知っても、変わらず接してくれた。
それが嬉しかった。
前世では、誰かと普通に話すことさえ難しかった。
でも吉乃とは、自然に笑えた。
「……吉乃さん」
俺は小さく呟いた。
すると。
「あら、信長さま」
声がした。
振り返ると、吉乃の母親が立っていた。
「こんにちは」
俺は頭を下げた。
母親は少し驚いた顔をした。
「まあ、若殿様が頭をお下げになるなんて」
「……癖なので」
「ふふっ」
母親は笑った。
でも、すぐに真剣な顔になった。
「……若殿様」
「はい?」
「少し、お話がございます」
「…………」
嫌な予感がした。
*
俺は吉乃の家に通された。
ただし、今日は吉乃がいない。
母親と二人きりだ。
「吉乃は、今、畑へ出ております」
「……そうですか」
母親が茶を出してくれた。
俺は礼を言って受け取った。
そして。
「……若殿様」
「はい」
「吉乃に、何を仰ったのですか?」
「…………」
直球だった。
ものすごい直球だった。
俺は茶碗を置いた。
「……好きだと伝えました」
母親の表情が変わった。
「……それから?」
「側室になってほしいと」
「…………」
沈黙。
ものすごい沈黙。
母親はゆっくり息を吐いた。
「……そうでございましたか」
「……はい」
「吉乃は、何と?」
「……断られました」
母親が俺を見た。
「なぜか、お分かりですか?」
「……二番目にはなりたくないと」
「…………」
母親は小さく頷いた。
「それが、あの子の本心でございましょう」
俺は俯いた。
「……すみません」
母親は首を横に振った。
「若殿様が謝ることではございませぬ」
「……でも」
「ただし」
母親の声が少し強くなった。
「一つだけ、申し上げたいことがございます」
「……はい」
俺は背筋を伸ばした。
*
「若殿様にとって、吉乃はどのような娘でございますか?」
「……大切な人です」
俺は答えた。
「一緒にいると、楽しくて」
「はい」
「笑ってくれると、嬉しくて」
「……はい」
「できれば、ずっと一緒にいたいと思っています」
母親は静かに聞いていた。
そして。
「……では、吉乃が他の男に嫁ぐことは、お嫌ですか?」
「…………」
俺は黙った。
嫌だ。
ものすごく嫌だ。
でも、それを言っていいのか?
「……嫌です」
俺は正直に答えた。
母親は小さく頷いた。
「そうでございましょう」
そして。
「ですが、若殿様」
「はい」
「吉乃は、若殿様のお気持ちだけで生きているわけではございませぬ」
「…………」
胸が痛んだ。
「吉乃にも、吉乃の人生がございます」
「……はい」
「誰と結婚するか。どこで暮らすか。どのような家族を持つか」
母親は俺を見た。
「それを決めるのは、吉乃自身でございます」
「……はい」
「若殿様がどれほどお慕いくださっても、あの子が望まぬ道へ進ませてはなりませぬ」
「…………」
俺は俯いた。
その通りだ。
何も言い返せない。
「……分かりました」
俺は小さく答えた。
母親は少しだけ微笑んだ。
「……ありがとうございます」
*
「ところで」
母親が続けた。
「若殿様は、吉乃が縁談を断った理由をお知りになりたいのでしょう?」
「……はい」
「では、申し上げます」
俺は息を呑んだ。
母親は静かに言った。
「……あの子は、まだ若殿様を忘れられぬのです」
「…………」
心臓が跳ねた。
「縁談のお相手は、悪い方ではございません」
「……はい」
「家も堅実で、働き者と聞いております」
「……はい」
「ですが、吉乃は申しました」
母親は少し目を伏せた。
「『好きでもない方と結婚するのは、嫌です』と」
「…………」
俺は何も言えなかった。
吉乃が。
俺のせいで。
縁談を断った。
「……申し訳ありません」
俺は頭を下げた。
母親は首を横に振った。
「ですから、謝らないでくださいませ」
「……でも」
「若殿様」
母親は穏やかに言った。
「私は、吉乃に幸せになってほしいのです」
「……はい」
「それだけでございます」
俺は頷いた。
そして、思った。
この人も、吉乃が大切なんだ。
俺と同じくらい。
いや、俺なんかよりずっと。
*
しばらくして、吉乃が帰ってきた。
「あっ、信長さま!」
俺を見つけた瞬間、嬉しそうに笑った。
でも、母親の顔を見ると、少し表情が変わった。
「……母ちゃん?」
「吉乃」
母親が立ち上がった。
「若殿様と、少しお話しなさい」
「……はい」
母親は部屋を出ていった。
俺と吉乃が残された。
いつもの二人きり。
でも、今日はいつもと違う。
*
「……信長さま」
「はい」
「お越しくださったのですね」
「……はい」
吉乃が微笑んだ。
俺は少し迷った。
そして。
「……縁談を断ったって、聞きました」
吉乃の笑顔が止まった。
「……はい」
「どうしてですか?」
吉乃は少し俯いた。
「……好きでもない方と、結婚したくなかったからです」
「…………」
母親の言った通りだった。
「……俺のせいですか?」
吉乃が顔を上げた。
そして。
「……いいえ」
首を横に振った。
「私が、決めたことにございます」
「……でも」
「信長さま」
吉乃は俺を見た。
「私は、信長さまをお慕いしております」
「…………」
胸が締めつけられた。
「ですが、側室にはなれませぬ」
「……はい」
「それでも、好きでもない方と結婚することはできませんでした」
吉乃は小さく笑った。
「……困ったものですね」
「…………」
俺は何も言えなかった。
吉乃は、俺のことが好きだ。
でも、俺の側室にはなりたくない。
そして、他の男とも結婚したくない。
どうすればいいんだ。
*
「……吉乃さん」
「はい」
「俺、吉乃さんのことが好きです」
吉乃の頬が赤くなった。
「……はい」
「でも、吉乃さんの人生を邪魔したくない」
「…………」
「だから……」
俺は言葉を探した。
会わないほうがいい。
そう言うべきなんだろう。
でも。
口が動かなかった。
吉乃は俺を見つめていた。
そして。
「……信長さま」
「はい」
「一つ、お願いがございます」
「……何ですか?」
吉乃は少し迷った。
そして。
「……もう少しだけ、今までのようにお会いできませんか?」
「…………」
俺は固まった。
「……お茶を飲んで、お話をするだけでよいのです」
吉乃が微笑んだ。
「それだけで、私は幸せにございます」
「…………」
胸が痛んだ。
そんなことを言われたら。
断れるわけがない。
「……はい」
俺は頷いた。
「俺も、会いたいです」
吉乃の顔が明るくなった。
「……ありがとうございます」
俺も笑った。
でも。
心のどこかで分かっていた。
このままでは、何も解決しない。
ただ、別れを先延ばしにしているだけだ。
*
その後、俺たちはいつものように茶を飲んだ。
吉乃が淹れてくれた茶は、今日も美味しかった。
俺は菓子を食べた。
吉乃が笑った。
俺も笑った。
何も変わらない。
いつもの時間。
でも。
いつか、これが終わる。
そう思うと、胸が苦しくなった。
「……信長さま」
「はい?」
「また、お越しくださいませ」
「……はい」
俺は頷いた。
吉乃が微笑んだ。
その笑顔を、ずっと見ていたかった。
*
城へ戻ると、濃姫が庭にいた。
俺に気づくと、微笑んだ。
「お帰りなさいませ、信長さま」
「……ただいま」
「吉乃様には、お会いになれましたか?」
「……はい」
濃姫は小さく頷いた。
「左様でございますか」
俺は少し迷った。
そして。
「……吉乃さん、縁談を断ったそうです」
濃姫が驚いた顔をした。
「まあ」
「好きでもない人と結婚したくないって」
「……そうでございますか」
濃姫は少し考えた。
そして。
「……吉乃様は、強い方ですね」
「……え?」
俺は首を傾げた。
「どうしてですか?」
「ご自分のお気持ちを、きちんと大切になさっているからです」
「…………」
俺は黙った。
濃姫は微笑んだ。
「私には、なかなかできぬことにございます」
「……濃姫?」
濃姫は少し目を伏せた。
そして。
「……信長さま」
「はい」
「もし、私が正室でなかったなら……」
そこで言葉が止まった。
「……いえ」
濃姫は小さく笑った。
「何でもございません」
「…………」
俺は濃姫を見つめた。
何を言おうとしたんだろう。
でも、聞けなかった。
*
その夜。
俺は濃姫と同じ布団で眠っていた。
濃姫は静かに俺の手を握っている。
俺は天井を見つめていた。
吉乃が好きだ。
でも、側室にはなってもらえない。
濃姫は俺の妻だ。
でも、俺はまだ濃姫を愛しているとは言えない。
誰も悪くない。
なのに、誰も幸せになれていない。
「……難しいな」
俺は小さく呟いた。
濃姫が目を開けた。
「……何がでございます?」
「……人を好きになることです」
濃姫は少し黙った。
そして。
「……そうでございますね」
小さく答えた。
俺は目を閉じた。
今度こそ、誰も傷つけない方法を考えよう。
そう思った。
……ただ。
このときの俺は、吉乃と過ごせる時間が、もうそれほど残されていないことを知らなかった。




