第23話:好きな女に側室になって欲しいと頼んだら、返事が予想外だったんだが!?
俺は今、人生で一番緊張している。
いや、嘘だ。
本能寺で首を斬られたときのほうが緊張した。
あれは本当に怖かった。
でも、今も相当怖い。
なぜなら。
これから初恋の相手に、側室になってほしいと頼むからだ。
「…………」
改めて考えると、ものすごいことをしようとしている。
現代だったら完全にアウトだ。
結婚している男が、好きになった女の子に「二番目の奥さんになってください」と頼む。
しかも、その男はまだ妻と一度も夫婦らしいことをしていない。
……何だこの状況。
自分で説明していて嫌になってきた。
「若殿」
「はい?」
隣を歩いていた家臣が俺を見た。
「先ほどから、ため息ばかりついておられますな」
「……緊張してるんです」
「合戦へ向かわれるときよりも?」
「……ある意味では」
家臣は呆れたように首を振った。
「若殿は、女人のことになると途端に情けなくなられますな」
「放っておいてください!」
俺だって好きで情けなくなってるわけじゃない。
前世で恋愛経験ゼロだったんだから、仕方ないだろ。
*
吉乃の家に着いた。
庭先では、吉乃が母親と一緒に野菜を洗っていた。
「あっ、信長さま!」
吉乃が俺に気づいた。
嬉しそうに笑う。
その笑顔を見た瞬間、緊張が少し和らいだ。
「こんにちは」
「本日は、いかがなさいました?」
「……大事な話があって」
吉乃の表情が少し変わった。
「……大事なお話、でございますか?」
「はい」
俺は頷いた。
吉乃の母親が慌てて頭を下げた。
「若殿様、どうぞ中へ!」
「あ、ありがとうございます」
俺は家に上がった。
家臣は外で待ってもらうことにした。
今日は、吉乃と二人で話したかった。
*
いつもの部屋。
いつもの茶碗。
いつもの吉乃。
でも、今日はいつもと違う。
吉乃もそれを感じているのか、少し緊張した様子だった。
「……信長さま」
「はい?」
「大事なお話とは……」
俺は深く息を吸った。
逃げるな。
今度こそ、ちゃんと話すんだ。
「……吉乃さん」
「はい」
「俺、吉乃さんのことが好きです」
吉乃の頬が赤くなった。
「……はい」
「この前も言いましたけど、本気です」
「……ありがとうございます」
吉乃は俯いた。
俺は続けた。
「でも、俺には濃姫がいます」
「……はい」
「だから、普通の結婚はできません」
吉乃の表情が少し曇った。
俺は胸が痛くなった。
でも、言わなきゃいけない。
「……それでも」
俺は吉乃を見た。
「俺の側室になってもらえませんか?」
言った。
ついに言ってしまった。
吉乃が目を大きく見開いた。
「…………」
沈黙。
ものすごい沈黙。
俺の心臓が、耳のすぐ横で鳴っているみたいだった。
「……側室、でございますか?」
「はい」
吉乃はしばらく黙っていた。
そして。
「……濃姫様は?」
「話しました」
吉乃が驚いた顔をした。
「……奥方様に?」
「はい」
「何と仰っておられました?」
「……吉乃さんを粗末に扱わないことと、本人の気持ちをちゃんと確かめること。それから、濃姫のことも忘れないように、と」
吉乃は俯いた。
そして、小さく呟いた。
「……お優しい方ですね」
「……はい」
本当にそう思う。
濃姫は、俺なんかにはもったいないくらい立派な人だ。
*
「……信長さま」
しばらくして、吉乃が口を開いた。
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
吉乃は俺を見た。
「……私を、なぜ側室に?」
「…………」
俺は固まった。
なぜって。
好きだから。
それ以外に理由なんてない。
「……吉乃さんが好きだからです」
俺は正直に答えた。
吉乃の頬が赤くなった。
「……それだけでございますか?」
「……え?」
俺は首を傾げた。
吉乃は少し俯いた。
「側室というのは、お世継ぎをもうけるためのお役目もあると聞いております」
「……はい」
「ですが……」
吉乃は顔を上げた。
「信長さまは、私に何をお望みなのですか?」
「…………」
俺は考えた。
何を望む?
吉乃と一緒にいたい。
お茶を飲んで、話をして、笑って。
できれば、手を繋いだり。
いつかは、もっと親しくなれたら嬉しい。
でも。
子供が欲しいから側室にするわけじゃない。
「……一緒にいたいんです」
俺は答えた。
「吉乃さんと」
吉乃が目を瞬かせた。
「……それだけ?」
「……はい」
吉乃は少し黙った。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「信長さまらしいですね」
「……そうですか?」
「はい」
吉乃が微笑んだ。
「普通の殿方なら、お世継ぎのことをお話しになるのでしょうに」
「…………」
いや。
普通の殿方がどうなのか、俺には分からない。
俺は中田龍之介だ。
前世では、女の子と手を繋いだことすらない。
そんな男が、いきなり戦国武将になってしまったんだ。
無理がある。
*
「……信長さま」
吉乃が静かに言った。
「私も、信長さまをお慕いしております」
「…………」
え?
今。
好きって言った?
「……本当ですか?」
「はい」
吉乃は頬を赤くした。
「信長さまがお越しになる日を、いつも楽しみにしております」
「…………」
心臓が跳ねた。
「お茶を淹れるのも、お菓子を用意するのも、信長さまに喜んでいただきたいからでございます」
「…………」
俺は言葉を失った。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
前世では、こんなことを言われたことがなかった。
誰かが自分に会うのを楽しみにしてくれる。
それだけで、こんなに幸せなんだ。
「……吉乃さん」
俺は小さく呼んだ。
吉乃が微笑んだ。
そして。
「ですが」
その笑顔が、少しだけ曇った。
「……私、側室にはなれませぬ」
「…………」
え?
今、何て?
*
「……どうしてですか?」
俺は思わず尋ねた。
吉乃は俯いた。
「信長さまをお慕いしております」
「……はい」
「ですが、私は……」
吉乃は少し迷った。
そして。
「……誰かの二番目には、なりたくないのです」
「…………」
俺は黙った。
吉乃は続けた。
「濃姫様は、とてもお優しい方でした」
「……はい」
「私のような者にも、丁寧に接してくださいました」
吉乃の声が少し震えた。
「その方から、信長さまを奪うようなことは……」
「奪うわけじゃありません!」
俺は慌てて言った。
吉乃は首を横に振った。
「……それでも」
そして、俺を見た。
「私は、信長さまの一番になりたいのです」
「…………」
胸が締めつけられた。
吉乃は微笑んだ。
でも、その目には涙が浮かんでいた。
「……欲張りでしょうか」
「……そんなことありません」
俺は首を振った。
「全然、そんなことありません」
吉乃は小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
*
しばらく沈黙が続いた。
俺は茶碗を見つめていた。
吉乃は俺が好きだ。
でも、側室にはなりたくない。
当然だ。
俺だって、もし好きな人に「二番目でいい?」と聞かれたら嫌だ。
それなのに、俺は吉乃にそれを頼んだ。
なんて身勝手なんだ。
「……ごめんなさい」
俺は頭を下げた。
吉乃が驚いた。
「信長さま?」
「嫌なことを頼んでしまって」
「……いいえ」
吉乃は首を振った。
「お気持ちは、とても嬉しゅうございました」
「…………」
「ですが……」
吉乃は少し俯いた。
「私は、普通の妻になりたいのです」
普通の妻。
夫と一緒に暮らして。
子供を育てて。
家族で食卓を囲んで。
そういう暮らし。
俺が与えられないものだ。
「……分かりました」
俺は頷いた。
「吉乃さんの気持ち、尊重します」
吉乃が顔を上げた。
「……信長さま」
「はい」
「ありがとうございます」
吉乃は微笑んだ。
でも、その笑顔は少し寂しそうだった。
*
帰り際。
吉乃が俺を見送ってくれた。
「……信長さま」
「はい?」
「また、お越しくださいますか?」
「…………」
俺は少し迷った。
会いたい。
ものすごく会いたい。
でも。
会い続けたら、吉乃は縁談を断ってしまうかもしれない。
俺のことを忘れられなくなるかもしれない。
それは、吉乃の幸せを邪魔することになる。
「……少し、考えさせてください」
俺は答えた。
吉乃は小さく頷いた。
「……はい」
その声が、胸に刺さった。
*
城へ戻ると、濃姫が庭にいた。
俺に気づくと、微笑んだ。
「お帰りなさいませ、信長さま」
「……ただいま」
濃姫は俺の顔を見た。
「……何か、ございましたか?」
「…………」
俺は少し迷った。
でも、隠すのはやめよう。
「……吉乃さんに、断られました」
濃姫が目を丸くした。
「……側室のお話を?」
「はい」
俺は頷いた。
「俺のことは好きだけど、二番目にはなりたくないって」
濃姫はしばらく黙っていた。
そして。
「……そうでございましたか」
小さく頷いた。
俺は俯いた。
「……俺、どうしたらいいんでしょう」
濃姫は少し考えた。
そして。
「信長さま」
「はい」
「吉乃様は、ご自分のお気持ちをきちんとお伝えになったのですね」
「……はい」
「では、信長さまも、そのお気持ちを大切になさってくださいませ」
「…………」
俺は顔を上げた。
濃姫は微笑んでいた。
「お慕いする方の幸せを願うことも、愛情の一つにございます」
「…………」
胸が痛んだ。
濃姫は本当に優しい。
俺なんかより、ずっと大人だ。
「……ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
濃姫は小さく笑った。
「ですが」
「はい?」
「今夜は、少しだけ私に甘えてくださいませ」
「……え?」
濃姫が俺の手を取った。
「お辛いのでしょう?」
「…………」
俺は黙った。
辛い。
ものすごく辛い。
初めて好きになった人に、断られた。
しかも、嫌われたわけじゃない。
好きだけど、一緒にはなれない。
そんなこと、あるんだ。
「……はい」
俺は小さく答えた。
濃姫が優しく微笑んだ。
「では、今夜も一緒に眠りましょう」
「……ありがとうございます」
*
その夜。
俺は濃姫の隣で横になっていた。
濃姫は何も聞かなかった。
ただ、俺の手を握ってくれていた。
俺は天井を見つめていた。
吉乃のことが好きだ。
でも、吉乃は側室にはなりたくない。
それなら、俺はどうすればいい?
答えは分かっている。
諦めるしかない。
吉乃が普通の結婚を望むなら、俺はそれを邪魔しちゃいけない。
「…………」
目を閉じた。
涙が少し出た。
濃姫は何も言わなかった。
ただ、俺の手を少し強く握ってくれた。
……優しいな。
本当に。
*
翌朝。
俺は少しだけ気持ちを切り替えていた。
吉乃のことは、忘れられない。
でも、少しずつ前に進もう。
そう思った。
朝食を食べていると、家臣が入ってきた。
「若殿」
「はい?」
「吉乃という娘の縁談について、知らせがございます」
「…………」
俺は箸を止めた。
「……何ですか?」
家臣は少し困った顔をした。
「それが……」
そして。
「吉乃が、縁談を断ったそうでございます。」
「…………」
俺は固まった。
断った?
あの縁談を?
なぜ?
家臣が続けた。
「理由は、誰にも話しておらぬそうですが……」
俺の心臓が跳ねた。
まさか。
まさか、俺のせい?
俺は立ち上がった。
「……吉乃さんに会ってきます!」
「若殿!」
家臣が慌てて止めた。
「お待ちください!」
「何ですか!?」
家臣は深いため息をついた。
「若殿は、もう少しご自分のお立場をお考えくださいませ!」
俺は固まった。
そうだ。
俺は織田信長だ。
吉乃のことが好きでも、何でもできるわけじゃない。
でも。
好きな人が、自分のせいで幸せを諦めようとしているかもしれない。
そんなとき、黙っていられるほど、俺は大人じゃなかった。




